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卑弥呼考 - 内藤 湖南 ( ないとう こなん )

  • 300円均一;日本の名著;4j巻;内藤湖南;古書
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卑彌呼考  後漢書三國志晉書北史等に出でたる倭國女王卑彌呼の事に關しては從來史家の考證甚だ繁く、或は之を以て我神功皇后とし、或は以て筑紫の一女酋とし、紛々として歸一する所なきが如くなるも、近時に於ては大抵後説を取る者多きに似たり。今余が考ふる所は此の二者に異なる者あれば試みに左の序次により、其の所見を下に述べんとす。

一、本文の撰擇
二、本文の記事に關する我邦最舊の見解
三、舊説に對する異論
四、本文の考證
五、結論


       一、本文の撰擇

 卑彌呼の記事を載せたる支那史書の中、晉書北史の如きは、固より後漢書三國志に據りたること疑なければ、此は論を費すことを須ひざれども、後漢書三國志との間に存する※異の點に關しては、史家の疑惑を惹く者なくばあらず。三國志は晉代に成りて、今の范曄後漢書は、劉宋の代に成れる晩出の書なれども、兩書が同一事を記するに當りて、後漢書の取れる史料が、三國志の所載以外に及ぶこと、東夷傳中にすら一二にして止らざれば、其の倭國傳の記事も然る者あるにあらずやとは、史家の動もすれば疑惑を挾みし所なりき。此の疑惑を決せんことは、即ち本文撰擇の第一要件なり。
 次には本文の中、各本に字句の異同あることを考へざるべからず。三國志に就て言はんに、余は未だ宋板本を見ざるも、元槧明修本、明南監本、乾隆殿板本、汲古閣本等を對照し、更に北史通典太平御覽、册府元龜等、此記事引用せる諸書を參考して其の異同の少からざるに驚きたり。其の※異を決せんことは、即ち本文撰擇の第二要件なり。
 今先づ單に其の先出の書たる理由によりて、左に三國志魏書三十の本文を掲ぐべし。

     倭人
倭人在帶方東南大海之中。依山島爲國邑。舊百餘國。漢時有朝見者。今使譯所通三十國。從郡至倭。循海岸水行。歴韓國。乍南乍東。到其北岸狗邪韓國。七千餘里。始度一海千餘里。至對馬國。其大官曰卑狗。副曰卑奴母離。所居絶島。方可四百餘里。土地山險。多深林。道路如禽鹿徑。有千餘戸。無良田。食海物自活。乘船南北市糴。又南渡一海千餘里。名曰瀚海。至一大國。官亦曰卑狗。副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。差有田地。耕田猶不足食。亦南北市糴。又渡一海千餘里。至末盧國。有四千餘戸。濱山海居。草木茂盛。行不見前人。


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