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南路 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
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  • 宮本百合子全集 28巻セット■新日本出版社■1980/82年
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        一  シューッ、シューッ、……ギー。  カッカッカッと揺れながら線路を換え、前の方からだんだん薄暗く構内にさしかかるにつれて、先頭の、重い機関車(ロコモティブ)からは世にも朗らかなカラーンカラン、カラーンカランという、鐘の響が伝って来る。
 車内は、降りる支度で総立ちになっている。窓硝子に顔を近よせて外を見ると、遙か前方にチラチラと赤や緑の警燈が瞬き、黒く、夜のような地下の穹窿(きゅうりゅう)の下には、流れる灯に照らされて、人影が、低い歩廊(プラットフォーム)に三々五々動いている。
 次第に緩くのろく止りかける車室に立って、ギャソリンくさい停車場空気を嗅ぎながら、この楽しそうな鐘の音を聞いたらば、誰でもいい難い感慨に胸を打たれずにはいないだろう。
 如何にも、今、長い旅から還って来たというように鐘は鳴る。嬉しく楽しく、帰った者新来の者の到着を告げ知らすように鐘はなる。
 深いコンクリート円天井に響き渡り車輪や荷担ぎの騒音を超えて、そのリズミカル鐘の音は、云いようない暖かさと休安とを旅人の心に注ぎ込むのである。
 始めて紐育(ニューヨーク)へ着いてこの鐘の音を聞いたとき、自分は危く涙をこぼしそうになった。
 単調な長旅で、もういい加減心も体も疲れている。
 これで、紐育へも着いたのか、と思い、安心と新たな緊張とで、何心なく窓に近寄ろうとした途端、彼方から、思いもかけない鐘の音が、カラーンカラン、カラーンカランとなり始めた。
 幾昼夜、耳に聴えた物音といえば、急しい車輪の轟か、神経を刺す鎖の軋りばかりであった。そこへ図らずもこの抒情的な Ring a bell をきき、自分は、暫くそこに立ち尽したまま、身動き出来ない心持になった。
 ここにも生活がある。ここにも暖い冬日大都市がある。その地上へ。その市中へ。――見えない心が導いて、未知の圏境へ、しっかり憧れを結びつけるような親密と懐しさとが、胸に満ち溢れて来たのである。
 ――そのときから、まる一年と二ヵ月が経った。今、自分の立っているのは、嘗て自分を迎え入れてくれたと同じ停車場である。
 あのとき、私の傍には父がいた。が、今、四枚の切符を、手套をはめた手で揃えているのは、良人である。
 どこからも鐘の響は聞えない。
 石畳みの、広く高いホールには、かげの方から差し込む白い艶消しの光線が漲って、踵の音を四辺に反響させながら、旅行服の婦人が通る。うす灰の空色がかった制服を着たポーターが、赤い帽子の頭を傾けて、旅行鞄を下げて来る。
 待合室で区切られ、また改札口で区切られて、ここではまるで停車場らしいどよめきの来ない乗車口に立って、自分ぼんやりと四周を見廻した。
自分は今、一年以上も棲み馴れた紐育を去ろうとしている。紐育ばかりではない。幾日かの後には、北|亜米利加(アメリカ)を去ろうとしているのだ。――」
 が、人々の顔を眺めながら、私の頭に浮んだこの考えは、一向我ことらしい感興をもって来なかった。この静けさ、この旅の仲間でそんなことは、ちっとも驚くべき大事らしく感じられない。
 地下歩廊(プラットフォーム)へ通う鉄柵の際で、腕組をしながら時刻の来るのを待っている改札掛の赧ら顔は、これより平気であり得ようか。
 手荷物を足許に置き、不規則縦列に連った旅客の眼に、これ以上の何でもなさを注ぎ込むことが出来ようか。
 到着のとき、停車場では、機関車から小さい手押車まで、あらゆる声と響とを振撒いて、階調のある活動をする。けれども、出て行くときは、何時に限らず、気抜けのするほど、実際的に落付いている。たとい、親の死目に逢おうためでも、愛人と待ち焦れた婚宴を挙げようためでも一切構わない。時間が来れば、乗り込ませる。乗り込んだら何時には動き出すだろう、と冷静に納った雰囲気が、高い石壁に落ちる燦(きら)めきのない光線とともに、凝(じ)っと我々の心まで、沈澱させてしまうのである。
 感傷的になりようがない。
 時間が来ると、私共は“All right, sir !”と頭で合図をしながら、ゆさりと鞄を持ち上げたポーターの、盤石のような背後に従って、黙って改札口通り抜けた。
 先は、爪先下りのだらだら坂になっている。それが尽きるところから人の顔も見分け難い薄暗闇歩廊(プラットフォーム)が続いている。左手に、電気燈がキラキラする空の列車が横づけにされている。黙って大股に、車室の暗い腰羽目を幾つも通り越したポーターは、やがて一つのステップの前に立ち止ると、路を開いて、
「ここです」
 と云いながら我々に入口を示した。
 ステップの傍には、黒坊の給仕が、これも腕組をして立っている。
「何号の寝台ですか」
 寝台券を渡すと、彼は、先に立って、我々の場席に案内してくれた。内部はまだ、がらんどうになっている。ちょうど、後の、コムパートメントに近い一隅に、私共を、一昼夜載せて駛(はし)るべきところが定められているのであった。
 良人が、ポーターに賃銀を払い、手廻りのものを入れた小さいスーツ・ケースを座席の下に片寄せている間に、私は、給仕のくれた紙袋に、脱(と)った帽子をしまい込んだ。
 そして、外套の襟(カラー)を寛ろげ、緩くり、夜のような燈火の下に向い合って、深い椅子に埋まり込むと、始めて六日以来の疲れを味うような心持になった。


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