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厄年と etc. - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

  • 【光文社文庫】かんべむさし◆課長の厄年
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 気分にも頭脳の働きにも何の変りもないと思われるにもかかわらず、運動出来仕事をする事の出来なかった近頃の私には、朝起きてから夜寝るまでの一日の経過はかなりに永く感ぜられた。強(し)いて空虚を充たそうとする自覚努力の余勢がかえって空虚その物を引展(ひきの)ばすようにも思われた。これに反して振り返って見た月日経過はまた自分ながら驚くほどに早いものに思われた。空漠な広野の果を見るように何一つ著しい目標のないだけに、昨日歩いて来た途(みち)と今日との境が付かない。たまたま記憶の眼に触れる小さな出来事の森や小山も、どれという見分けの付かないただ一抹(いちまつ)の灰色波線を描いているに過ぎない。その地平線の彼方には活動していた日の目立った出来事の峰々が透明空気を通して手に取るように見えた。
 それがために、最近の数ヶ月は思いの外に早く経ってしまった。衰えた身体を九十度の暑さに持て余したのはつい数日前の事のように思われたのに、もう血液の不充分な手足の末端は、障子火鉢くらいで防ぎ切れない寒さに凍えるような冬が来た。そして私の失意や希望意志とは全く無関係歳末正月が近づきやがて過ぎ去った。そうして私は世俗で云う厄年(やくどし)の境界線から外へ踏み出した事になったのである。
 日本では昔から四十歳になると、すぐに老人仲間には入れられないまでも、少なくも老人候補者くらいには数えられたもののようである。しかし自分はそう思わなかった。四十が来ても四十一が来ても別に心持の若々しさを失わないのみならず肉体の方でもこれと云って衰頽(すいたい)の兆候らしいものは認めないつもりでいた。それでもある若い人達団体の中では自分等の仲間は中老連などと名づけられていた。
 あまり鏡というものを見る機会のない私は、ある朝偶然縁側(えんがわ)の日向(ひなた)に誰かがほうり出してあった手鏡を弄(もてあそ)んでいるうちに、私の額の辺に銀色に光る数本の白髪発見した。十年ほど前にある人から私の頭の頂上に毛の薄くなった事を注意されて、いまに禿(は)げるだろうと、予言された事があるが、どうしたのかまだ禿頭(とくとう)と名の付くほどには進行しない。禿頭父親から男の子遺伝する性質だという説があるが、それがもし本当だとすると、私の父は七十七歳まで完全に蔽(おお)われた顱頂(ろちょう)を有(も)っていたから、私も当分は禿げる見込が少ないかもしれない。しかしその代りにいつの間にか白髪が生えていた。
 それから後に気を付けて見ると同年輩の友人の中の誰彼の額やこめかみにも、三尺以上|距(はな)れていてもよく見えるほどの白髪発見した。まだ自分等よりはずっと若い人で自分より多くの白髪所有者もあった。ある時たまたま逢った同窓と対話していた時に、その人の背後の窓から来る強い光線頭髪に映っているのを注意して見ると、漆黒な色の上に浮ぶ紫色表面色が或るアニリン染料思い出させたりした。
 またある日私の先輩一人老眼鏡をかけた見馴れぬ顔に出会(でくわ)した。そして試みにその眼鏡を借りて掛けて見ると、眼界が急に明るくなるようで何となく爽やかな心持がした。しばらくかけていて外すと、眼の前に蜘蛛(くも)の糸でもあるような気がして、思わず眼の上を指先でこすってみた。それから気が付いて考えてみると、近頃少し細かい字を見る時には、不知不識(しらずしらず)眼を細くするような習慣が生じているのであった。
 去年の夏子供縁日松虫を買って来た。そして縁側の軒端(のきば)に吊しておいた。宵のうちには鈴を振るような音がよく聞こえたが、しかしどうかするとその音がまるで反対の方向から聞こえるように思われた。不思議だと思って懐中時計の音で左右の耳の聴力試験してみると、左の耳が振動数の多い音波に対して著しく鈍感になっている事が分った。のみならず雨戸をしめて後に寝床へはいるとチンチロリンの声が聞こえなかった。すぐ横にねている子供にはよく聞こえているのに。
 私の方では年齢の事などは構わないでいても、年齢の方では私を構わないでおかないのだろう。ともかくも白髪視力聴力の衰兆とこれだけの実証はどうする事も出来ない。これだけの通行券を握って私は初老関所通過した。そしてすぐ眼の前にある厄年の坂を越えなければならなかった。
 厄年というものはいつの世から称え出した事か私は知らない。どういう根拠に依ったものかも分らない。たぶんは多くの同種類の云い伝えと同様に、時と場所との限られた範囲内での経験資料とある形而上的の思想との結合から生れたものに過ぎないだろう。例えば二百十日颱風(たいふう)を聯想させたようなものかもしれない。もっとも二百十日八朔(はっさく)の前後にわたる季節に、南洋方面から来る颱風がいったん北西に向って後に抛物線(ほうぶつせん)形の線路を取って日本通過する機会の比較的多いのは科学的の事実である。そういう季節目標として見れば二百十日意味のない事はない、しかし厄年の方は果してそれだけの意味さえあるものだろうか。
 科学知識進歩した結果として、科学的根拠の明らかでない云い伝えは大概他の宗教迷信と同格に取扱われて、少なくも本当の意味での知識階級の人からは斥(しりぞ)けられてしまった。もちろん今でも未開時代そのままの模範的な迷信が到るところに行われて、それが俗にいわゆる知識階級のある一部まで蔓延(まんえん)している事は事実であるが、それとは少し趣を異にした事柄で、科学的に験証され得る可能性を具え命題までが、一からげにして掃き捨てられたという恐れはないものだろうか。そのようにして塵塚に埋れた真珠はないだろうか。
 根拠の無い事を肯定するのが迷信ならば、否定すべき反証明らかでない命題否定するのは、少なくも軽率とは云われよう。分らぬ事として竿の先に吊しておくのは慎重ではあろうが忠実とは云われまい。例えば厄年のごときものが全く無意味命題であるか、あるいは意味の付け方によっては多少の意味の付けられるものではあるまいか。
 このような疑問を抱いて私は手近な書物から人間の各年齢における死亡率曲線を捜し出してみた。すべての有限統計材料に免れ難い偶然的の偏倚(へんい)のために曲線は例のように不規則な脈動的な波を描いている。しかし不幸にして特に四十二歳の前後に跨(また)がった著しい突起を見出すことは出来なかった。


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