地方文化運動報告 ――尾道市図書館より―― - 中井 正一 ( なかい まさかず )
地方文化運動報告
――尾道市図書館より――
終戦の混乱から広島県の東部地方がその身辺を整理しはじめたのは昨年の九月中旬頃からであった。図書館もその本を疎開先より帰し、館の汚れた窓ガラスを拭き終えたのは九月の末頃であった。これから疲れはてた青年達をして、この昏冥の意識の中から、立上らしめるきっかけを与えるには何うしたらよいであろうか。次から次に、マックアーサー司令部から与えられつつある自由を、真実の姿をもって、青年の魂の中に浸み込ませるには何うしたらいいんだろう。
暗澹たる想い、というのはその時の私のいつわらざる心持であった。どこから、この尾道の一角に手をかけて行くべきであろうか。私のこころは暗かった。
或る日、書庫の整理に書塵に白くなっていた時、一人の青年が黙々と長身を利して、高い書架の本を降ろしているのを発見した。
「君は誰だ」「広島高等学校のものです。本がすきだから手伝っているんです」と言った。私は彼をして働くままにまかせていた。幾日かの中に、彼が絵を描くことも判って来た。
「先生絵をもって来ましょうか」「うん、もって来い」彼は素人油絵を青年らしい率直な誇をもって持って来た。
「これを館長室にかけろ」実は書庫のボロ本を整理して、一つの部屋を作って、私達がそこを館長室と名を付けたばかりなところである。未だ明治時代のアセチレンのガス燈の管が十字架を逆さにした型で下っているこの部屋の壁に、彼はこの絵をかけたのである。私はこの稚拙な、しかし清純な絵を見ているうちに、何か胸たぎる想いが湧いて来た。
「ここに一人の青年が結集している。ここにすでに最小単位の文化運動が始まっている。」
私は「ようし」と腹の底で呻ったのである。治安維持法は、十月四日に断ちきられた。私は、三日後、十月七日、そのスタートを切った。
日曜日の朝九時(学生を対象とする)、水曜日の午後二時(一般婦人を対象とする)の二つの講演会、金曜日の午後一時よりの座談会を計画して実行に移した。人事と本の年間予算が二千八百円、私の年棒がタッタ百円の館では講師の経費は勿論出っこないから、終始独演ということになる。しかし、悲しい哉、聴衆はいつでも五人、十人である。三人位の聴衆に大きな声でやるのは淋しいというより実際悲しかった。例の広高生の槇田と、私の講義は出来る限り聴衆となろうとする七十七歳の私の母のほかは、外来聴衆はただ一人という時は、母の方が可哀そうに私を見ているらしいのには閉口した。しかし、むしろヒロイックになって、その時の私の講義の出来栄えは、自分でも相当満足すべきものと思うものがあった。
館の横には太陽館という映画館がある。私の最も対象とした、帰還軍人、特攻クズレは白いマフラを巻いて群をなしてうろついている。それだのに私の講演は、閑古鳥が鳴きつづけた。その寒むざむとした思いは、今思い出しても腹の冷えるような思いであった。
市は私の図書館に電気を仲々つけてくれなかった。ついに私は十二月二十八日思い切ってポケットマネーで電気をつけ、早速希望音楽会を開いた。チャイコフスキーの「悲愴」とベートーベンの「第九」という、敗戦の年の暮を一層重く苦しくするものを敢えて選んだ。百名の青年男女が、ガラス窓の破れてソヨソヨ風の吹き透す会場で、皆外套襟巻すがたで聞き入った。第九の合唱がはじまるまで、人々は壊えはてし国の悲しさが、この部屋に凝集するかのような思いであった。そのかわり、「第九」の合唱となり「ああ、友よ」と遠い敗れ去ったドイツから、二百年の彼方シルレル、ベートーベンから呼びかけられたとき。皆、深く、頭をうなだれて、眼に涙をうかべさえしたものもあった。私も一生、あの時の如く「第九シンフォニー」を激情をもって聴いたことも、また聴くこともあるまい。私は会が終って、感動の激情を聴衆に伝えずにはいられなかった。
これが一つのエポックとなって、日曜日の午後三時から毎週、「希望音楽会」をつづけたのであった。絵の展覧会も、座談会がきっかけで書庫の前に二十点ばかりを常置した。街に出す展覧会の広告が、また、その頃では街に咲く一つの華ともなり、「平和が来たんだぞ」という一つの呼びかけともなったのであった。ボロボロの図書館は、かくして、ボロのフォードが身震いして走り出したように、ついに動きはじめたのであった。これはまた、青年達を、一種の好奇の眼をもって、周りにひきつける役割を果たしたのである。「あっあのボロ車が?」と。
特攻隊の神風隊の大尉であるまたは復員の陸軍少尉殿である青年達は、この図書館で、丁稚達を教育しようと考えついた。そして教師陣を編成した。私もその一人に加わった。文化史、社会学、哲学、経済史、簿記、法律学、歴史学、英語、独逸語等を三時間ずつ毎夜授講することにした。
暗澹たる想い、というのはその時の私のいつわらざる心持であった。どこから、この尾道の一角に手をかけて行くべきであろうか。私のこころは暗かった。
或る日、書庫の整理に書塵に白くなっていた時、一人の青年が黙々と長身を利して、高い書架の本を降ろしているのを発見した。
「君は誰だ」「広島高等学校のものです。本がすきだから手伝っているんです」と言った。私は彼をして働くままにまかせていた。幾日かの中に、彼が絵を描くことも判って来た。
「先生絵をもって来ましょうか」「うん、もって来い」彼は素人油絵を青年らしい率直な誇をもって持って来た。
「これを館長室にかけろ」実は書庫のボロ本を整理して、一つの部屋を作って、私達がそこを館長室と名を付けたばかりなところである。未だ明治時代のアセチレンのガス燈の管が十字架を逆さにした型で下っているこの部屋の壁に、彼はこの絵をかけたのである。私はこの稚拙な、しかし清純な絵を見ているうちに、何か胸たぎる想いが湧いて来た。
「ここに一人の青年が結集している。ここにすでに最小単位の文化運動が始まっている。」
私は「ようし」と腹の底で呻ったのである。治安維持法は、十月四日に断ちきられた。私は、三日後、十月七日、そのスタートを切った。
日曜日の朝九時(学生を対象とする)、水曜日の午後二時(一般婦人を対象とする)の二つの講演会、金曜日の午後一時よりの座談会を計画して実行に移した。人事と本の年間予算が二千八百円、私の年棒がタッタ百円の館では講師の経費は勿論出っこないから、終始独演ということになる。しかし、悲しい哉、聴衆はいつでも五人、十人である。三人位の聴衆に大きな声でやるのは淋しいというより実際悲しかった。例の広高生の槇田と、私の講義は出来る限り聴衆となろうとする七十七歳の私の母のほかは、外来聴衆はただ一人という時は、母の方が可哀そうに私を見ているらしいのには閉口した。しかし、むしろヒロイックになって、その時の私の講義の出来栄えは、自分でも相当満足すべきものと思うものがあった。
館の横には太陽館という映画館がある。私の最も対象とした、帰還軍人、特攻クズレは白いマフラを巻いて群をなしてうろついている。それだのに私の講演は、閑古鳥が鳴きつづけた。その寒むざむとした思いは、今思い出しても腹の冷えるような思いであった。
市は私の図書館に電気を仲々つけてくれなかった。ついに私は十二月二十八日思い切ってポケットマネーで電気をつけ、早速希望音楽会を開いた。チャイコフスキーの「悲愴」とベートーベンの「第九」という、敗戦の年の暮を一層重く苦しくするものを敢えて選んだ。百名の青年男女が、ガラス窓の破れてソヨソヨ風の吹き透す会場で、皆外套襟巻すがたで聞き入った。第九の合唱がはじまるまで、人々は壊えはてし国の悲しさが、この部屋に凝集するかのような思いであった。そのかわり、「第九」の合唱となり「ああ、友よ」と遠い敗れ去ったドイツから、二百年の彼方シルレル、ベートーベンから呼びかけられたとき。皆、深く、頭をうなだれて、眼に涙をうかべさえしたものもあった。私も一生、あの時の如く「第九シンフォニー」を激情をもって聴いたことも、また聴くこともあるまい。私は会が終って、感動の激情を聴衆に伝えずにはいられなかった。
これが一つのエポックとなって、日曜日の午後三時から毎週、「希望音楽会」をつづけたのであった。絵の展覧会も、座談会がきっかけで書庫の前に二十点ばかりを常置した。街に出す展覧会の広告が、また、その頃では街に咲く一つの華ともなり、「平和が来たんだぞ」という一つの呼びかけともなったのであった。ボロボロの図書館は、かくして、ボロのフォードが身震いして走り出したように、ついに動きはじめたのであった。これはまた、青年達を、一種の好奇の眼をもって、周りにひきつける役割を果たしたのである。「あっあのボロ車が?」と。
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