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城のある町にて - 梶井 基次郎 ( かじい もとじろう )

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  • ▼ちくま文庫 梶井基次郎 / 梶井基次郎全集 全1巻 ▼
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     ある午後 「高いとこの眺めは、アアッ(と咳(せき)をして)また格段でごわすな」  片手に洋傘(こうもり)、片手に扇子日本手拭を持っている。頭が奇麗(きれい)に禿(は)げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓(せん)をはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたまま峻(たかし)の脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望(ちょうぼう)へ向けたままで、さもやれやれといったふうに石垣のはなのベンチへ腰をかけた。――
 町を外(はず)れてまだ二里ほどの間は平坦な緑。I湾の濃い藍(あい)が、それのかなたに拡がっている。裾(すそ)のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲水平線の上に静かに蟠(わだかま)っている。――
「ああ、そうですな」少し間誤(まご)つきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉(のど)や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんの拘(こだわ)りもしらないようなその老人に対する好意が頬(ほほ)に刻まれたまま、峻(たかし)はまた先ほどの静か展望のなかへ吸い込まれていった。――風がすこし吹いて、午後であった。

 一つには、可愛(かわい)い盛りで死なせた妹のことを落ちついて考えてみたいという若者めいた感慨から、峻はまだ五七日を出ない頃の家を出てこの地の姉の家へやって来た。
 ぼんやりしていて、それが他所(よそ)の子の泣声だと気がつくまで、死んだ妹の声の気持がしていた。
「誰だ。暑いのに泣かせたりなんぞして」
 そんなことまで思っている。
 彼女がこと切れた時よりも、火葬場での時よりも、変わった土地へ来てするこんな経験の方に「失った」という思いは強く刻まれた。
たくさんの虫が、一匹の死にかけている虫の周囲に集まって、悲しんだり泣いたりしている」と友人に書いたような、彼女の死の前後の苦しい経験がやっと薄い面紗(ヴェイル)のあちらに感ぜられるようになったのもこの土地へ来てからであった。そしてその思いにも落ちつき、新しい周囲にも心が馴染(なじ)んで来るにしたがって、峻には珍しく静かな心持がやって来るようになった。いつも都会に住み慣れ、ことに最近は心の休む隙もなかった後で、彼はなおさらこの静けさの中でうやうやしくなった。道を歩くのにもできるだけ疲れないように心掛ける。棘(とげ)一つ立てないようにしよう。指一本詰めないようにしよう。ほんの些細(ささい)なことがその日の幸福左右する。――迷信に近いほどそんなことが思われた。そして旱(ひでり)の多かった夏にも雨が一度来、二度来、それがあがるたびごとにやや秋めいたものが肌に触れるように気候もなって来た。
 そうした心の静けさとかすかな秋の先駆は、彼を部屋の中の書物妄想(もうそう)にひきとめてはおかなかった。草や虫や雲や風景を眼の前へ据えて、ひそかに抑えて来た心を燃えさせる、――ただそのことだけが仕甲斐(しがい)のあることのように峻(たかし)には思えた。

「家の近所にお城跡がありまして峻の散歩にはちょうど良いと思います」姉が彼の母のもとへ寄来した手紙にこんなことが書いてあった。着いた翌日の夜。義兄と姉とその娘と四人ではじめてこの城跡へ登った。旱(ひでり)のためうんかがたくさん田に湧いたのを除虫燈で殺している。それがもうあと二三日だからというので、それを見にあがったのだった。平野は見渡す限り除虫燈の海だった。遠くになると星のように瞬(またた)いている。山の峡間(はざま)がぼうと照らされて、そこから大河のように流れ出ている所もあった。彼はその異常光景に昂奮(こうふん)して涙ぐんだ。風のない夜で涼みかたがた見物に来る町の人びとで城跡は賑(にぎ)わっていた。暗(やみ)のなかから白粉(おしろい)を厚く塗った町の娘達がはしゃいだ眼を光らせた。

 今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍(いらか)を並べていた。
 白堊(はくあ)の小学校土蔵作り銀行。寺の屋根。そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑(くず)めいて、緑色植物が家々の間から萌(も)え出ている。ある家の裏には芭蕉(ばしょう)の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好(かっこう)に刈られた松も見える。みな黝(くろず)んだ下葉と新しい若葉で、いいふうな緑色容積を造っている。
 遠くに赤いポストが見える。
 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。
 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。


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