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堕落論 - 坂口 安吾 ( さかぐち あんご )

  • 【坂口安吾文庫本 2冊】白痴・堕落論
  • ☆BOOK367☆堕落論☆坂口 安吾(著)★中古品
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  • ◆堕落論◆
  • 「堕落論」坂口安吾 昭和22年 初版本
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 半年のうちに世相は変った。醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋(やみや)となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌(いはい)にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。
 昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角(せっかく)の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。現代法律にこんな人情存在しない。けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終らせたいということは一般的な心情の一つのようだ。十数年前だかに童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかったし、私自身も、数年前に私と極めて親しかった姪(めい)の一人二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。一見|清楚(せいそ)な娘であったが、壊れそうな危なさがあり真逆様(まっさかさま)に地獄へ堕(お)ちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに堪えないような気がしていたからであった。
 この戦争中、文士は未亡人恋愛書くことを禁じられていた。戦争未亡人挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で彼女達に使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。軍人達の悪徳に対する理解力は敏感であって、彼等は女心の変り易さを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を案出に及んだまでであった。
 いったいが日本の武人は古来婦女子の心情を知らないと言われているが、之(これ)は皮相の見解で、彼等の案出した武士道という武骨千万法則人間の弱点に対する防壁がその最大意味であった。
 武士仇討のために草の根を分け乞食となっても足跡を追いまくらねばならないというのであるが、真に復讐情熱をもって仇敵の足跡を追いつめた忠臣孝子があったであろうか。彼等の知っていたのは仇討法則法則規定された名誉だけで、元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。昨日の敵と妥協否|肝胆(かんたん)相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照らし、忽(たちま)ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。日本戦史武士道戦史よりも権謀術数戦史であり、歴史証明にまつよりも自我本心を見つめることによって歴史カラクリを知り得るであろう。今日軍人政治家未亡人恋愛に就(つ)いて執筆を禁じた如く、古(いにしえ)の武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。
 小林秀雄政治家のタイプを、独創をもたずただ管理支配する人種と称しているが、必ずしもそうではないようだ。政治家の大多数は常にそうであるけれども、少数の天才管理支配方法に独創をもち、それが凡庸(ぼんよう)な政治家規範となって個々の時代、個々の政治を貫く一つの歴史の形で巨大な生き者の意志を示している。政治場合に於て、歴史は個をつなぎ合せたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治も亦(また)巨大な独創を行っているのである。この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか。そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人歴史の前ではただ運命従順子供であったにすぎない。政治家によし独創はなくとも、政治歴史の姿に於て独創をもち、意慾をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く。何人が武士道を案出したか。之も亦歴史の独創、又は嗅覚であったであろう。歴史は常に人間を嗅ぎだしている。そして武士道は人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。
 私は天皇制に就ても、極め日本的な(従って或いは独創的な)政治作品を見るのである。天皇制天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、その陰謀は常に成功のためしがなく、島流しとなったり、山奥へ逃げたり、そして結局常に政治理由によってその存立を認められてきた。社会的に忘れた時にすら政治的に担(かつ)ぎだされてくるのであって、その存立の政治理由はいわば政治家達の嗅覚によるもので、彼等は日本人性癖を洞察し、その性癖の中に天皇制発見していた。それは天皇家に限るものではない。代り得るものならば、孔子家でも釈迦(しゃか)家でもレーニン家でも構わなかった。ただ代り得なかっただけである。
 すくなくとも日本の政治家達(貴族武士)は自己の永遠の隆盛(それは永遠ではなかったが、彼等は永遠を夢みたであろう)を約束する手段として絶対君主の必要を嗅ぎつけていた。平安時代藤原氏天皇の擁立を自分勝手にやりながら、自分天皇の下位であるのを疑りもしなかったし、迷惑にも思っていなかった。天皇存在によって御家騒動処理をやり、弟は兄をやりこめ、兄は父をやっつける。彼等は本能的な実質主義者であり、自分の一生が愉(たの)しければ良かったし、そのくせ朝儀を盛大にして天皇を拝賀する奇妙な形式が大好きで、満足していた。天皇を拝むことが、自分自身の威厳を示し、又、自ら威厳を感じる手段でもあったのである。
 我々にとっては実際馬鹿げたことだ。我々は靖国神社の下を電車が曲るたびに頭を下げさせられる馬鹿らしさには閉口したが、或種の人々にとっては、そうすることによってしか自分を感じることが出来ないので、我々は靖国神社に就てはその馬鹿らしさを笑うけれども、外の事柄に就て、同じような馬鹿げたことを自分自身でやっている。そして自分馬鹿らしさには気づかないだけのことだ。宮本武蔵一乗寺下り松の果し場へ急ぐ途中八幡様の前を通りかかって思わず拝みかけて思いとどまったというが、吾神仏をたのまずという彼の教訓は、この自らの性癖に発し、又向けられた悔恨深い言葉であり、我々は自発的にはずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを意識しないというだけのことだ。


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