増上寺物語 - 佐藤 垢石 ( さとう こうせき )
五千両の無心
慶応二年師走のある寒い昧暗(まいあん)、芝増上寺の庫裏(くり)を二人の若い武士が襲った。二人とも、麻の草鞋(わらじ)に野袴、革の襷(たすき)を十字にかけた肉瘤盛り上がった前膊(まえかた)が露(あらわ)である。笠もない、覆面もしない。
経机(きょうき)の上へ悠然と腰をおろして、前の畳へ二本の抜き身を突きさした、それに対して、老いた役者が白い綿入れに巻き帯して平伏している。役者というのは、いまでいう寺の執事長である。一人は土方晋、一人は万理小路某と臆するところもなく役者に名を告げた。そして土方が厳(おごそ)かな言葉で、
『増上寺にも、いまの時世が分かっていよう。国のためだ――迷惑であろうが、直ぐこの場で五千両だけ用達て頼む』
と、迫った。役者は、
『はっ』
こう答えたが、しばし畳から面が離れなかった。役者は、ほんとうに当惑したのである。日ごろ増上寺の懐中を預かっているこの役者が、ここでおののく胸に胸算用をしてみると、あちこち掻き集めたところで手許には金二千両しかない。武士の要求に、三千両足りないのだ。五千両位たやすく並べることと見当をつけてきたのであろうから、二千両しか手許にない、と正直に答えれば、この畳にさしてある白刃がどう物をいうか、分かったものではない。けれど、無いものは無いのだ。何と致し方もない。役者は肚をきめた。
『お言葉たしかに承引致しました。しかし、増上寺は永年手許不如意にて、既刻の話にては、ご無心に三千両足りません。とは言いましても、半刻ほどお待ちくだされば心当たりの筋から用達て参り、ご満足をはかりたい』
土方と、万理小路は眼を見合わせた。土方が万理小路の耳に囁くと、万理小路は役者の背中の上から太い声で、
『分かった。うろたえて騒ぎまわれば寺のためにならぬ。半刻の猶予は余儀なく思う。待つ、早く用達て参れ』
と、圧するように言った。
役者が庫裡の大戸を開けて出ようとすると、そこに見張っていた六、七人の武士が忽として取りまいた。役者は取り巻かれたまま、七代将軍の霊廟有章院別当瑞蓮寺へ行って、まだ明け方の夢がさめない庫裡を叩いた。
即座に三千両は都合になった。増上寺の庫裡へ戻って土方と万理小路の脚下へ、都合五千両が並べられた。土方が合図をすると、大戸の方からも、厨房の方からも十四、五人の武士が駆け込んできて、五千両の金を何処ともなく運び去ったのである。
土方晋は、後の土方伯であった。
翌年の七月、こんどは白昼、土方らは増上寺へ押し込んできた。
『宇都宮戦営の軍費にして、尊王方の勘定方に少々都合がある。たびたびで気の毒に思うが、この度は金三千両だけ用達てくれ』
役者は前の時の僧であった。ところが、その時の増上寺には一文の蓄えもなかったのである。役者は、また白刃の前に怯(おび)えた。震える声で役者はおそるおそる寺の財政の現状について述懐し、何としても即刻融通をつけるという訳には行かぬ有りさまを詳さに語り、数日の猶予を乞うたのである。たってとの仰せならば、この場へ古物買いを連れてきて、寺の宝物など売り払い、お志の幾分なりとご用達てるより他に途がないと、平伏した。
『さようとあれば、詮方ない。きょうはいらぬ』
こう言って、土方はあっさり立ち去った。
淡快な土方晋
その日は、それで済んだけれども、増上寺では後難を恐れた。
いまでも行ってみれば、眼のあたり分かる通り、幕末から維新当時にかけて増上寺の境内や数ある徳川霊廟の境内は、匡賊に類した武士や贋武士のために、惨々(さんざん)な掠奪(りゃくだつ)を蒙っている。諸侯が寄進した青銅の灯篭を足から持って行ったのもあり、宝珠を片っ端から盗み去ったのもある。甚だしいのになると、銅で葺いた内塀の屋根を、長々と剥ぎ去ったのさえある。灯篭を運び去ったのは幕府の大筒を鋳(い)る原料にするのだと豪語したと言うし、銅の屋根を剥ぎ去ったのは、尊王方の軍費に資するのだ、と台詞(せりふ)を残して逃げたと言うが、これを後になって調べてみると、それは悉く幕府に捧げたのでもなく、尊王に資したものでなかった。それは当時薄祿に食うに困ったご家人や浪人が、騒乱のどさくさ紛れに寺内へ忍び込んで手近なものを担ぎ出し、古物屋へ売り飛ばしたのや、小盗の類が贋武士となってやってきたものであると分かった。
しかし、当時の、物ごとに震えてばかりいた増上寺には、その真相は分からなかった。武士と名のつくものには、腫れものに触るようにして為すがままにした。
後難を恐れた役僧達は、相談の末数日後、また別当瑞蓮寺から千五百両借りてきた。そして、これを前日の役者が携えて、土方らの宿所を訪れた。
『本日、千五百両だけ都合でき申した。きょうのところはこれで耐えて頂きたい。
経机(きょうき)の上へ悠然と腰をおろして、前の畳へ二本の抜き身を突きさした、それに対して、老いた役者が白い綿入れに巻き帯して平伏している。役者というのは、いまでいう寺の執事長である。一人は土方晋、一人は万理小路某と臆するところもなく役者に名を告げた。そして土方が厳(おごそ)かな言葉で、
『増上寺にも、いまの時世が分かっていよう。国のためだ――迷惑であろうが、直ぐこの場で五千両だけ用達て頼む』
と、迫った。役者は、
『はっ』
こう答えたが、しばし畳から面が離れなかった。役者は、ほんとうに当惑したのである。日ごろ増上寺の懐中を預かっているこの役者が、ここでおののく胸に胸算用をしてみると、あちこち掻き集めたところで手許には金二千両しかない。武士の要求に、三千両足りないのだ。五千両位たやすく並べることと見当をつけてきたのであろうから、二千両しか手許にない、と正直に答えれば、この畳にさしてある白刃がどう物をいうか、分かったものではない。けれど、無いものは無いのだ。何と致し方もない。役者は肚をきめた。
『お言葉たしかに承引致しました。しかし、増上寺は永年手許不如意にて、既刻の話にては、ご無心に三千両足りません。とは言いましても、半刻ほどお待ちくだされば心当たりの筋から用達て参り、ご満足をはかりたい』
土方と、万理小路は眼を見合わせた。土方が万理小路の耳に囁くと、万理小路は役者の背中の上から太い声で、
『分かった。うろたえて騒ぎまわれば寺のためにならぬ。半刻の猶予は余儀なく思う。待つ、早く用達て参れ』
と、圧するように言った。
役者が庫裡の大戸を開けて出ようとすると、そこに見張っていた六、七人の武士が忽として取りまいた。役者は取り巻かれたまま、七代将軍の霊廟有章院別当瑞蓮寺へ行って、まだ明け方の夢がさめない庫裡を叩いた。
即座に三千両は都合になった。増上寺の庫裡へ戻って土方と万理小路の脚下へ、都合五千両が並べられた。土方が合図をすると、大戸の方からも、厨房の方からも十四、五人の武士が駆け込んできて、五千両の金を何処ともなく運び去ったのである。
土方晋は、後の土方伯であった。
翌年の七月、こんどは白昼、土方らは増上寺へ押し込んできた。
『宇都宮戦営の軍費にして、尊王方の勘定方に少々都合がある。たびたびで気の毒に思うが、この度は金三千両だけ用達てくれ』
役者は前の時の僧であった。ところが、その時の増上寺には一文の蓄えもなかったのである。役者は、また白刃の前に怯(おび)えた。震える声で役者はおそるおそる寺の財政の現状について述懐し、何としても即刻融通をつけるという訳には行かぬ有りさまを詳さに語り、数日の猶予を乞うたのである。たってとの仰せならば、この場へ古物買いを連れてきて、寺の宝物など売り払い、お志の幾分なりとご用達てるより他に途がないと、平伏した。
『さようとあれば、詮方ない。きょうはいらぬ』
こう言って、土方はあっさり立ち去った。
淡快な土方晋
その日は、それで済んだけれども、増上寺では後難を恐れた。
いまでも行ってみれば、眼のあたり分かる通り、幕末から維新当時にかけて増上寺の境内や数ある徳川霊廟の境内は、匡賊に類した武士や贋武士のために、惨々(さんざん)な掠奪(りゃくだつ)を蒙っている。諸侯が寄進した青銅の灯篭を足から持って行ったのもあり、宝珠を片っ端から盗み去ったのもある。甚だしいのになると、銅で葺いた内塀の屋根を、長々と剥ぎ去ったのさえある。灯篭を運び去ったのは幕府の大筒を鋳(い)る原料にするのだと豪語したと言うし、銅の屋根を剥ぎ去ったのは、尊王方の軍費に資するのだ、と台詞(せりふ)を残して逃げたと言うが、これを後になって調べてみると、それは悉く幕府に捧げたのでもなく、尊王に資したものでなかった。それは当時薄祿に食うに困ったご家人や浪人が、騒乱のどさくさ紛れに寺内へ忍び込んで手近なものを担ぎ出し、古物屋へ売り飛ばしたのや、小盗の類が贋武士となってやってきたものであると分かった。
しかし、当時の、物ごとに震えてばかりいた増上寺には、その真相は分からなかった。武士と名のつくものには、腫れものに触るようにして為すがままにした。
後難を恐れた役僧達は、相談の末数日後、また別当瑞蓮寺から千五百両借りてきた。そして、これを前日の役者が携えて、土方らの宿所を訪れた。
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