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変った話 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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  • 寺田寅彦随筆集/岩波文庫/全5冊組/函■昭和48年
  • 【望星2008年11月号】寺田寅彦に会いたい!
  • 【ラク】FZ0501026●古書/岩波書店/寺田寅彦全集 文学編 第15巻
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  • 【ちくま日本文学034】寺田寅彦 1878-1935
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      一 電車老子に会った話  中学孔子孟子のことは飽きるほど教わったが、老子のことはちっとも教わらなかった。ただ自分等より一年前のクラスで、K先生という、少し風変り、というよりも奇行を以て有名漢学者に教わった友人達の受売り話によって、孔子の教えと老子の教えとの間に存する重大な相違について、K先生の奇説なるものを伝聞し、そうして当時それを大変面白いと思ったことがあった。その話によると、K先生は教場の黒板粗末富士山の絵を描いて、その麓に一匹の亀を這(は)わせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。それから富士の頂近く水平に一線を劃しておいて、さてこういう説明をしたそうである。「孔子の教えではここにこういう天井がある。それで麓の亀もよちよち登って行けばいつかは鶴と同じ高さまで登れる。しかしこの天井を取払うと鶴はたちまち冲天(ちゅうてん)に舞上がる。すると亀はもうとても追付く望みはないとばかりやけくそになって、呑めや唄えで下界どん底に止まる。その天井を取払ったのが老子の教えである」というのである。何のことだかちっとも分からない。しかし、この分からない話を聞いたとき、何となく孔子の教えよりは老子の教えの方が段ちがいに上等で本当のものではないかという疑いを起したのは事実であった。富士山の上に天井があるのは嘘だろうと思ったのであった。
 二十年の学校生活に暇乞(いとまごい)をしてから以来、何かの機会に『老子』というものも一遍は覗(のぞ)いてみたいと思い立ったことは何度もあった。その度ごとに本屋書架から手頃らしいと思われる註釈本を物色しては買って来て読みかけるのであるが、第一本文が無闇(むやみ)に六(むつ)かしい上にその註釈なるものが、どれも大抵は何となく黴(かび)臭い雰囲気の中を手捜りで連れて行かれるような感じのするものであった。それらの書物を通して見た老子は妙にじじむさいばかりか、何となく偽善者らしい勿体(もったい)ぶった顔をしていて、どうも親しみを感ずる訳には行かないので、ついついおしまいまで通読する機会がなく、従って老子に関する概念さえなしにこの年月を過ごして来たのであった。
 つい近頃本屋の棚で薄っぺらな「インゼル・ビュフェライ叢書」をひやかしていたら、アレクサンダー・ウラールという人の『老子』というのが出て来た。たった七十一頁の小冊子である。値段が安いのと表紙の色刷の模様面白いのとで何の気なしにそれを買って電車に乗った。そうしてところどころをあけて読んでみるとなかなか面白いことが書いてあって、それが実によくわかる。面白いから通読してみる気になって第一頁から順々に読んで行った。原著の方は知らないのであるから誤訳があろうがあるまいが、そんなことは分かるはずもなし、またいくらちがっていてもそんなことは構わない。ただいかにも面白いのでうかうかと二、三十章を一(ひ)と息(いき)に読んでしまった。そうしてその後二、三回の電車の道中に知らず知らず全巻を卒業してしまったのである。
 不思議なことには、このドイツ語紹介された老子はもはや薄汚い唐人服を着たにがにがとこわい顔をした貧血老人ではなくて、さっぱりとした明るい色の背広に暖かそうなオーバーを着た童顔でブロンドドイツ人である。どこかケーベルさんに似ている、というよりはむしろケーベルさんそっくりの老人である。それが電車の中で隣席に腰かけていて、そうして明晰に爽快なドイツ語でゆっくりゆっくり自分に分かるように話してくれるのである。その話が実に面白い哲学講義のようでもあり、また最も実用的な処世訓のようでもあり、どうかするとまた相対性理論非ユークリッド幾何学の話のようでもある。そうかと思うと、また今の時節には少しどうかと心配されるような非戦論を滔々(とうとう)と述べ聞かすのであった。
 同じ思想が、支那服を着ていてそうして栄養不良漢学者に手を引かれてよぼよぼ出て来たのではどうしても理解出来なかったのに、それが背広オーバー姿で電車の中でひょっくり隣合ってドイツ語で話しかけられたばかりに一遍友達になってしまったような体裁である。こんなことから考えてみると、我国固有の国民思想保存涵養(かんよう)させるのでも、いつまでも源平時代鎧兜(よろいかぶと)を着た日本魂(やまとだましい)や、滋籐(しげどう)の弓を提(さ)げた忠君愛国ばかりを学校で教えるよりも、時にはやはり背広を着て折鞄(おりかばん)でも抱え日本魂をも教える方がよくはないかという気がしたのである。
 それはとにかく、このドイツ訳がどれくらい原著に忠実であるかということは自分には分かりかねるが、しかしところどころあたってみるとかなり在来の日本人の註釈などとはちがっていて誤訳ではないかと思うところもある。しかしこのドイツ訳の方がともかくも話の筋がよく通っていて読んで分かりやすいことだけはたしかである。例えば「大方無隅(たいほうむぐう)。大器晩成(たいきばんせい)。大音希声(たいおんきせい)。大象無形(たいしょうむけい)。」というのを「無限に大きな四角には角がない。無限に大きい容器は何物をも包蔵しない。無限に大きい音は声がない。無限に大きな像には形態がない」と訳してある。「大器晩成」の訳は明らかにちがっているようではあるが、他の三句に対してはこの訳の方がぴったりよく適合するから妙である。それは別として、ここのドイツ訳は数学者物理学者にとってなかなか面白く読まれるであろう。同様な意味面白いのは「大曰逝(だいをせいといい)。逝曰遠(せいをえんといい)。遠曰反(えんをはんという)。」の最後の句を「無限の遠方は復帰である」と訳してあるが、これはアインシュタイン宇宙を指しているようで面白い。また「無有入於無間(あることなきはむかんにいる)」を「個体性のないものは連続物質中に侵入する」と訳しているが、これは、何となく古典物理学エーテルを云っているようで面白い。「故致数車無車(ゆえにくるまをかぞうることをいたせばくるまなし)」を「部分の総和は全体ではない」と訳しているのでも、当否は別としてやはり面白い。欠けた硝子(ガラス)片を寄せたものは破(わ)れない硝子板にはならないのである。


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