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変る - 豊島 与志雄 ( とよしま よしお )

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  • ★ジャンクリストフ2/ロマンロラン豊島与志雄昭和37年岩波文庫
  • ★ジャンクリストフ1/ロマンロラン豊島与志雄昭和37年岩波文庫
  • ★ジャンクリストフ8/ロマンロラン豊島与志雄昭和38年岩波文庫
  • レ・ミゼラブル全4冊 ユーゴー・豊島与志雄 岩波文庫
  • レ・ミゼラブル 全4巻 ユーゴー作 豊島与志雄 訳 岩波文庫
  • 岩波文庫 レ・ミゼラブル 1巻 豊島与志雄訳 挿絵原画 
  • ロマン・ロラン:豊島与志雄訳:ジャン・クリストフ 全8冊
  • ジャン・クリストフ/ロマン・ロラン 豊島与志雄訳 岩波文庫全4冊
  • ●死刑囚最後の日●ユーゴー豊島与志雄●養徳叢書S24●即決
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 壁と天井が白く塗ってあるので、狭い屋内は妙に明るく見えるが、数個の電灯燭光はさほど強くない。柱の籠に投げ入れてある桃の蕾と菜の花の色も、季節に早いせいばかりでなく、へんに淡い。だが、木下大五郎存在は目立った。帽子外套の襟及び袖の折返しに、薄茶色の絨毛がもりあがっている。その色ではなく、そうした服装が、季節後れというよりも、なんだか場違いなのだ。ひいては、彼の存在そのものまでが場違いなのである。
 その場違いなものを、大五郎はかすかに感じながら、また誇りともしていた。眼には穏かな光があった。残り少ない銚子の酒を、小さな盃で一杯ぐっと飲んで、隣席の男の横顔をじっと眺めた。
 長髪眼鏡、可なりいたんだ背広外套の痩せた中年の男だった。新聞雑誌関係の者らしい。
「君の顔は立派ですな。中高で、何より、鼻が高く、ギリシャ型というんですか……。そこにいくと、僕の顔なんか、どうも……。」
 大五郎は、帽子絨毛と同じ色の手袋を、呑み台の上に投げ出していたのへ、ちょっと手をやり、その手ですぐ、日焼けのした頬を撫でた。
 相手の男は、ちらと見返しただけで、煙草をふかしながら、ちびりちびり飲んでいる。
立派ギリシャ型の顔ですな。」
 こんどは、何の反応もなく、その横顔の筋肉一つ動かなかった。大五郎のことを全く無視してる態度である。
 だが、斜後ろの方から、しゃがれた女の声が飛んできた。
お酒一本きりですから、すんだら帰って下さいね。ここは、酒をのむところで、お饒舌りをするところではありませんからね。」
 それぐらいの女の声には、大五郎は何の痛痒も感じない。彼はゆっくり椅子から立上って、その方を向いた。そこの、土間から低い框になって、畳の敷いてあるところに、鮨の盆をのせた餉台をかこんで、商人風の二人の男と、三十四五歳の丸髷の女が坐っていた。
 しばらく、大五郎は女の方を眺めた。
「君が、お上さんかね。え、お上さんかい。」
 女はつんと彼方を向いて、何の返事もなかった。誰も黙っている。
 大五郎は屋内を見渡して、また椅子に腰を下した。呑み台の向うの女中が、隣席の男に酌をしながら、にやりと笑った。大五郎はつきだしの小魚を一匹つまんで、銚子をあけた。
お酒がすんだら、帰って下さいね。」
 また、女の声がした。
 彼女は立上っていた。小紋錦紗のすらりとした姿で、重ね着の淡色の襟を二枚、白縮緬半襟の上にのぞかせ、臙脂羽根の帯締に小さな銀鍵をさげている。それが、着附のうまさにすらりと見えるが、贅肉が多く、首筋が太く、声はしゃがれていた。
「ほんとは、お断りしたかったんですよ。やたらにほかのお客さんに話しかけると、気分をわるくしますからね。満洲写真だの、そんなものは、新聞じゃあるまいし、ここには不向きですよ。いきなりいろいろなことを並べられたら、誰だっていい気持はしませんからね。ほんとはお断りしたかったんですよ。お酒一本きりですから、すんだら帰って下さいよ。」
 彼女は云いたてながら、畳敷きのところから、狭い板廊下を通って、青布の暖簾の彼方へ消えた。暖簾の向うは、広い板の間で、相当な料理屋の勝手許になっていて、この酒場はつまり、その料理屋の宣伝機関の一つなのである。それから見れば別に不似合でもなく、畳敷きの上手の半間の置床には、青銅の薄端(うすばた)に水仙の花の一茎がすっきりと活けてある。
 大五郎はその水仙の花をぼんやり見ていた。客が二人はいって来て、畳敷きの下手の方の餉台につき、女中が酒と小皿物を運んでいったが、大五郎はまだぼんやりと、水仙の方に酔眼を向けていた。
 丸髷の女がまた暖簾から出て来て、元の席へ行きながら、彼の方へいいたてた。


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