大島が出来る話 - 菊池 寛 ( きくち かん )
苦学こそしなかったが、他人から学資を補助されて、辛(から)く学校を卒業した譲吉は、学生時代は勿論(もちろん)卒業してからの一年間は、自分の衣類や、身の廻りの物を、気にし得る余裕は少しもなかった。
学生で居た頃は、彼はニコニコの染絣(そめがすり)などを着て居た。高等程度の学生としては、粗服に過ぎて居た。が、衣類に対しては、無感覚で無頓着であった譲吉は、自分の着て居る絣が、ニコニコであるか何であるかさえ知らなかった。
そして豪放と云う看板の下に、自分の粗服を少しも気に掛けまいとした。実際また気に掛けても居なかった。
が、譲吉が一旦学校を卒業してからと云うものは、服装を調(ととの)える必要を痛切に感じ始めたのである。彼が学生時代から、ズーッと補助を受けて居る、近藤氏の世話で××会社に入社した当初は、夫(それ)が不快になるまで、自分の服装の見すぼらしさを感じたのである。
夫は夏の終であったが、彼は、初(はじめ)て出社すると云うのに、白地の木綿絣を着て居るに過ぎなかった。
課長と、初対面の挨拶(あいさつ)が済んでから、彼は同僚となるべき人々に、一々紹介された。
「岡村君に吉川君。」と、課長は最初に、二人の青年を紹介した。岡村と云われた青年は、中肉の身体(からだ)にスッキリと合って居る、琥珀(こはく)色の、瀟洒(しょうしゃ)な夏服を着て居た。そして、手際(てぎわ)よく結ばれた玉虫色のネクタイが、此(こ)の男の調った服装の中心を成して居た。吉川と云う方は、明石縮(あかしちぢみ)の単衣(ひとえ)に、藍無地(あいむじ)の絽(ろ)の夏羽織を着て、白っぽい絽の袴(はかま)を穿(は)いて居た。二人とも、五分も隙(すき)のない身装(みなり)である。夏羽織も着て居ない譲吉は、此の二人の調った服装から、可なり不快な圧迫を受けた。夫は、対手(あいて)が人格的に、若(も)しくは学問的に、また道徳的に、自分に優越して居る為に受くる圧迫とは、全く違って居る。考えて見れば下らない事かも知れなかった。が、夫にも拘(かか)わらず、その圧迫は、可なりに重苦しく、不快なものであった。岡村と吉川との、二人ばかりではなかった。その後から紹介された、十五六人の人々は、一人として、譲吉のような、見すぼらしい様子はして居なかった。
譲吉はその後、一週間ばかり、毎日自分の服装の不備に就(つ)いての、不快な意識を続けて居た。其(そ)の裡(うち)に漸(ようや)く、譲吉の世話になって居る、近藤夫人の好意になる背広が、出来上ったのであった。
自分の家が貧しい為、何等(なんら)の金銭上の補助を仰ぎ得ない譲吉に取っては、近藤夫人が何かにつけて唯一の頼りであった。譲吉が高等商業の予科に在学中、故郷に居る父が破産して危く廃学しようとした時、救い上げて呉(く)れたのは、譲吉の同窓の友人であった近藤の父たる近藤氏であった。夫以来譲吉はズーッと、学資を近藤夫人の手から仰いで居た。が、近藤夫人の譲吉に対する厚意は、ただ学資の補助と云う、物質的の恩恵には、止(とど)まらなかった。
譲吉に対する夫人の贈与なり注意には、常に温い感情が、裏附けられて居た。その温情を譲吉は、沁々(しみじみ)と感じて居るのであった。学資ばかりでなく、譲吉は、衣類や襯衣(シャツ)や、日用品の殆(ほとん)ど凡(すべ)てを、近藤夫人の厚意に依って、不自由しなかったのである。
学校を出てからも、譲吉は近藤夫人の庇護(ひご)なしには、何(ど)うともする事が出来なかった。
「富井さんも愈々(いよいよ)口が定(き)まったのなら、孰(いず)れ洋服が入(い)るでしょうから、三越へそう云ってお調(こし)らえなさい。少しいいのを調(こさ)えた方が結局は得ですから。」と譲吉が、入社が定まった事を報告に行くと、夫人は祝辞を述べてから、直(す)ぐこう云い出した。譲吉は夫人に金を借りてでも、洋服を新調したい積(つも)りであったから、夫人のこうした好意は、骨身に浸みる程、有り難く感じたのである。無論、近藤夫人の好意は、洋服|丈(だけ)には止まらなかった。
「色々の身の廻りの物が入るでしょうから。」と云いながら、夫人は新しい十円札を三枚、譲吉の前に差し出した。
譲吉は、過去に於て幾度(いくたび)、夫人の華奢(きゃしゃ)な手から、こうした贈与を受けたかも知れない。その度に譲吉は、夫人から受くる恩恵に狎(な)れて、純な感謝の念が、一回毎に、薄れて行かぬよう、絶えず自分の心を戒しめて居た。譲吉は、此日三十円を受けながら、卒業してからも尚(なお)、夫人を煩わして居ることを少しは情なく思ったが、夫人に頼らずには、実際何も出来なかった。が、夫人から、金銭の贈与を受ける事だけは、もう今度でおしまいにしたいと、心の裡で思った。
夫人の好意に依(よ)る、背広と三十円とは、譲吉が今迄感じて居た、不快な圧迫に対する、最上の対症薬であった。入社した二三週間目からは、譲吉も自分の服装に相当の自信を以て、快活に働いて居たのである。
その内に、譲吉の生活にも、僅(わず)かながら余裕が生じて来た。殊(こと)に、学校を出た翌年、近藤夫人の尽力で結婚して以来は、更に月々相当の余裕を生じた。夫人は、譲吉の為に相当の資産家の娘を世話して呉れたからである。
夫に連れて、譲吉の服装も段々調って来た。結婚の時に、近藤夫人は譲吉の為に、フロックコートを新調して呉れたし、その外にも譲吉は、四五着の背広やモーニングを持つようになった。
そして豪放と云う看板の下に、自分の粗服を少しも気に掛けまいとした。実際また気に掛けても居なかった。
が、譲吉が一旦学校を卒業してからと云うものは、服装を調(ととの)える必要を痛切に感じ始めたのである。彼が学生時代から、ズーッと補助を受けて居る、近藤氏の世話で××会社に入社した当初は、夫(それ)が不快になるまで、自分の服装の見すぼらしさを感じたのである。
夫は夏の終であったが、彼は、初(はじめ)て出社すると云うのに、白地の木綿絣を着て居るに過ぎなかった。
課長と、初対面の挨拶(あいさつ)が済んでから、彼は同僚となるべき人々に、一々紹介された。
「岡村君に吉川君。」と、課長は最初に、二人の青年を紹介した。岡村と云われた青年は、中肉の身体(からだ)にスッキリと合って居る、琥珀(こはく)色の、瀟洒(しょうしゃ)な夏服を着て居た。そして、手際(てぎわ)よく結ばれた玉虫色のネクタイが、此(こ)の男の調った服装の中心を成して居た。吉川と云う方は、明石縮(あかしちぢみ)の単衣(ひとえ)に、藍無地(あいむじ)の絽(ろ)の夏羽織を着て、白っぽい絽の袴(はかま)を穿(は)いて居た。二人とも、五分も隙(すき)のない身装(みなり)である。夏羽織も着て居ない譲吉は、此の二人の調った服装から、可なり不快な圧迫を受けた。夫は、対手(あいて)が人格的に、若(も)しくは学問的に、また道徳的に、自分に優越して居る為に受くる圧迫とは、全く違って居る。考えて見れば下らない事かも知れなかった。が、夫にも拘(かか)わらず、その圧迫は、可なりに重苦しく、不快なものであった。岡村と吉川との、二人ばかりではなかった。その後から紹介された、十五六人の人々は、一人として、譲吉のような、見すぼらしい様子はして居なかった。
譲吉はその後、一週間ばかり、毎日自分の服装の不備に就(つ)いての、不快な意識を続けて居た。其(そ)の裡(うち)に漸(ようや)く、譲吉の世話になって居る、近藤夫人の好意になる背広が、出来上ったのであった。
自分の家が貧しい為、何等(なんら)の金銭上の補助を仰ぎ得ない譲吉に取っては、近藤夫人が何かにつけて唯一の頼りであった。譲吉が高等商業の予科に在学中、故郷に居る父が破産して危く廃学しようとした時、救い上げて呉(く)れたのは、譲吉の同窓の友人であった近藤の父たる近藤氏であった。夫以来譲吉はズーッと、学資を近藤夫人の手から仰いで居た。が、近藤夫人の譲吉に対する厚意は、ただ学資の補助と云う、物質的の恩恵には、止(とど)まらなかった。
譲吉に対する夫人の贈与なり注意には、常に温い感情が、裏附けられて居た。その温情を譲吉は、沁々(しみじみ)と感じて居るのであった。学資ばかりでなく、譲吉は、衣類や襯衣(シャツ)や、日用品の殆(ほとん)ど凡(すべ)てを、近藤夫人の厚意に依って、不自由しなかったのである。
学校を出てからも、譲吉は近藤夫人の庇護(ひご)なしには、何(ど)うともする事が出来なかった。
「富井さんも愈々(いよいよ)口が定(き)まったのなら、孰(いず)れ洋服が入(い)るでしょうから、三越へそう云ってお調(こし)らえなさい。少しいいのを調(こさ)えた方が結局は得ですから。」と譲吉が、入社が定まった事を報告に行くと、夫人は祝辞を述べてから、直(す)ぐこう云い出した。譲吉は夫人に金を借りてでも、洋服を新調したい積(つも)りであったから、夫人のこうした好意は、骨身に浸みる程、有り難く感じたのである。無論、近藤夫人の好意は、洋服|丈(だけ)には止まらなかった。
「色々の身の廻りの物が入るでしょうから。」と云いながら、夫人は新しい十円札を三枚、譲吉の前に差し出した。
譲吉は、過去に於て幾度(いくたび)、夫人の華奢(きゃしゃ)な手から、こうした贈与を受けたかも知れない。その度に譲吉は、夫人から受くる恩恵に狎(な)れて、純な感謝の念が、一回毎に、薄れて行かぬよう、絶えず自分の心を戒しめて居た。譲吉は、此日三十円を受けながら、卒業してからも尚(なお)、夫人を煩わして居ることを少しは情なく思ったが、夫人に頼らずには、実際何も出来なかった。が、夫人から、金銭の贈与を受ける事だけは、もう今度でおしまいにしたいと、心の裡で思った。
夫人の好意に依(よ)る、背広と三十円とは、譲吉が今迄感じて居た、不快な圧迫に対する、最上の対症薬であった。入社した二三週間目からは、譲吉も自分の服装に相当の自信を以て、快活に働いて居たのである。
その内に、譲吉の生活にも、僅(わず)かながら余裕が生じて来た。殊(こと)に、学校を出た翌年、近藤夫人の尽力で結婚して以来は、更に月々相当の余裕を生じた。夫人は、譲吉の為に相当の資産家の娘を世話して呉れたからである。
夫に連れて、譲吉の服装も段々調って来た。結婚の時に、近藤夫人は譲吉の為に、フロックコートを新調して呉れたし、その外にも譲吉は、四五着の背広やモーニングを持つようになった。
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寛 - 横浜市立大学 3S・FALCONS - 横浜市立大学 3S・FALCONS
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名前 菊池善人 題名 GTOフレンド フレンドキャラ 詳細 鬼塚栄吉(GTO) 自分の技の効果が25%上がる相手の技の効果が%下がる
