大菩薩峠 32 弁信の巻 - 中里 介山 ( なかざと かいざん )
恐ろしき贈物
小酒井不木
一
ニューヨーク市、西第七十街のあるアパートメントに、グレース・ウォーカーという四十前後の女が住んでいた。おもて向(むき)は極めて静かな生活をしていたけれど、警察はかねてから彼女に目をつけていた。というのは彼女は一口にいえば待合のようなものを営んで、多くの良家の子女に恥かしい行為を勧めていたからである。ところが、あるときヴァイオレット・リオナードという十五歳になる女を取持っていたとき、警察に踏み込まれて、少女はある感化院に送られ、彼女も拘引されて相当の処罪を受けた。
放免されて後、彼女は以前の住家に近いあるアパートメントを借りて、やはり前同様の後ろ暗い仕事を始めていた。ある日のこと、彼女が友だちの訪問を受けて、色々の世間話をして興じ合っていると、丁度そこへ、郵便が来て、一個の小包が届いた。見ると、表面には彼女の宛名がタイプライターで書かれてあったが、差出人の名は何処にも書いてなかった。それは白い紙で包まれた長方形の箱で紅い紐でゆわえてあったから、どう見ても一ポンド入の菓子箱としか思われなかった。
「お菓子でないかしら、それにしてはちと重過ぎるようだが」と彼女は友だちに向って訊ねるように言った。
「きっとお菓子よ。まあ、あけて御覧なさい。名刺が中に入れてあるに違いないから」
ウォーカーは友だちのいうままに、好奇の念に駈られながら、紅い紐を解き、白い紙を開くと、果して菓子箱が出たので、やがてその蓋を開いた。
と、その時、ドーンという音がしたかと思うと、ウォーカーはアッという間もなく、血まみれになって即座に絶命した。彼女の頭は殆んど胴体からもぎ離され、箱の中から雨のように飛び出した鉛や鉄の弾丸によって、心臓も肺も滅茶々々に潰されてしまった。
対座していたウォーカーの友だちは、不思議にも災難を免れた。彼女はただ頭部に軽傷を負っただけで一時は腰を抜かさんばかりに驚いて、ぼんやりしていたが、やがて気を取り直して、警察に急を報ずると、警察からは時を移さず、ブレスナンという探偵が、警察医と二人の部下を従えてやって来た。
死体の横わっている室は、眼もあてられぬ惨状を呈していた。窓硝子、姿見鏡、壁板、額、その他の器具は、粉微塵に砕かれて、その間に血に塗れた肉片が散乱していた。死体検査が済んで、死体を署へ運ばしめてから、部下のものは、捜査の手順として壊れた家具の組立てに取りかかったが、そればかりに一昼夜を要した程であった。
一方、探偵ブレスナンは、問題の箱を検査した。その箱も大部分壊れてしまっていたが、その中には小さな電池、銅線、火薬、弾丸をつめた瓦斯(ガス)管があって、箱の蓋を開くなり、電流が通じて火花を発し、火薬に燃え移るという仕掛けであることがわかった。
これらの物品の多くは、いずれもこれという特徴を持っていなかったが、ただ一つの捜索の手がかりとなるものは箱の包紙であった。というのはその上にウォーカーの宛名が書かれてあったからである。タイプライターで書かれた文字は一寸考えると、筆蹟とはちがって手がかりになりそうにもないが、その実、タイプライターにもそれぞれ個性があって、ある場合には筆蹟よりも確かな鑑別を行うことが出来るのである。殊にこの包紙に書かれた文字は、素人眼にもその特徴が、ありありとわかった。即ちrとaの字の形に、著しい変態が見られたのである。
一通りの検査を終った探偵は、直ちにアンダーウッド・タイプライター商会の支配人アレンを訪ねて、携えて行った包紙の文字を鑑定してもらった。アレンは拡大鏡を取り出して精密に調べ終った後、探偵に向って言った。
「このrの字の垂直線は実に特殊なものでして恐らく六百万の中に一個しかありますまい。ですからこれと同じ特徴を持ったタイプライターを御捜しになれば、この宛名はそのタイプライターで書かれたものと断言して差支ありません。それからこのタイプライターの製造元ですが、数字の形が普通のとちがいますから、調べて見たらじきわかるだろうと思います。今、この場で申上げることは出来ませんが、明日の昼までに必ずたずねて置きましょう」
果して、翌日、アレンは、その製造元が、エリオット・フィッシャー会社であることを探偵に告げたので、探偵はその足で同会社を訪ねると、同じような機械は三百五十台作られたきりであって、しかも紐育(ニューヨーク)市内だけの、主として諸官省に売られたことがわかった。そこで彼は一々そのタイプライターを持っている役所を歴訪して、rとaの字の特徴を検(しら)べることにしたがそれは決して容易なことでなかった。諸官省に公に照介して返事を取れば、最も手早く捜査が進む訳ではあるが、そうすれば、同時に犯人に警告を与えることになるから已(や)むを得ず探偵は、秘密裡に根気よく活動することにきめたのである。
一方に於て警察はまた別の方面から、捜査の歩を進めた。それは即ち犯罪の動機に関係したものである。ウォーカーを殺そうとするのは、ウォーカーに恨みをいだいたものでなくてはならない。ウォーカーは良家の子女を誘悪し堕落せしめたのであるからその女たちの父兄が復讐的にそうした行為に出たのかもしれない。或はまた、女に振られた男が失望のあまり仕出来(しでか)したことであるかもしれない。よって警察はウォーカーの家に出入した男女の取調べにかかったのである。
タイプライターの捜索も待合に出入した男女の調査も何一つ犯罪の手がかりを齎(もた)らさなかった矢先、紐育裁判所の判事ロザルスキー氏の許(もと)へ、突如として第二の恐ろしい贈物が届いたのである。
二
判事ロザルスキーは名判官の評判を取った人であった。常習性犯罪者に対して、彼はいつも思い切って苛酷な判決を与えたから、盗賊たちは彼を非常に怖れ且(かつ)憎んでいた。丁度その頃イタリア人から成る「黒手組」の裁判が行われて、新聞紙を賑(にぎ)わしていた時であって、彼の許へは一日何通となく脅迫状が舞い込んだのであった。それらの脅迫状はいずれも、拙(まず)い文章で書かれてあったが、文章の構造から、差出人はイタリア人であることが、想像された。そして中には、「用心せよ、爆烈弾を見舞うぞ」というような文句の書かれたものさえあった。それにも拘わらず彼は、「黒手組」に対して重刑を申渡した。
ある晩、彼が裁判所から、リヴァーサイド・ドライヴの自宅に帰ると、留守中に一個の小包が届いていた。それは菓子箱か、葉巻煙草の箱かと思われる位の大さで、白い紙で包まれ紅い紐がかけてあったから、彼は何気なしにそれを開いて見ようと思って、取りあげたが、意外に重かったので、これはと思って下に置くと同時に、先日来の脅迫状のことを聯想したのである。
直ちに警察に電話をかけて委細を告げると、探偵エガンは時を移さず駈けつけた。
放免されて後、彼女は以前の住家に近いあるアパートメントを借りて、やはり前同様の後ろ暗い仕事を始めていた。ある日のこと、彼女が友だちの訪問を受けて、色々の世間話をして興じ合っていると、丁度そこへ、郵便が来て、一個の小包が届いた。見ると、表面には彼女の宛名がタイプライターで書かれてあったが、差出人の名は何処にも書いてなかった。それは白い紙で包まれた長方形の箱で紅い紐でゆわえてあったから、どう見ても一ポンド入の菓子箱としか思われなかった。
「お菓子でないかしら、それにしてはちと重過ぎるようだが」と彼女は友だちに向って訊ねるように言った。
「きっとお菓子よ。まあ、あけて御覧なさい。名刺が中に入れてあるに違いないから」
ウォーカーは友だちのいうままに、好奇の念に駈られながら、紅い紐を解き、白い紙を開くと、果して菓子箱が出たので、やがてその蓋を開いた。
と、その時、ドーンという音がしたかと思うと、ウォーカーはアッという間もなく、血まみれになって即座に絶命した。彼女の頭は殆んど胴体からもぎ離され、箱の中から雨のように飛び出した鉛や鉄の弾丸によって、心臓も肺も滅茶々々に潰されてしまった。
対座していたウォーカーの友だちは、不思議にも災難を免れた。彼女はただ頭部に軽傷を負っただけで一時は腰を抜かさんばかりに驚いて、ぼんやりしていたが、やがて気を取り直して、警察に急を報ずると、警察からは時を移さず、ブレスナンという探偵が、警察医と二人の部下を従えてやって来た。
死体の横わっている室は、眼もあてられぬ惨状を呈していた。窓硝子、姿見鏡、壁板、額、その他の器具は、粉微塵に砕かれて、その間に血に塗れた肉片が散乱していた。死体検査が済んで、死体を署へ運ばしめてから、部下のものは、捜査の手順として壊れた家具の組立てに取りかかったが、そればかりに一昼夜を要した程であった。
一方、探偵ブレスナンは、問題の箱を検査した。その箱も大部分壊れてしまっていたが、その中には小さな電池、銅線、火薬、弾丸をつめた瓦斯(ガス)管があって、箱の蓋を開くなり、電流が通じて火花を発し、火薬に燃え移るという仕掛けであることがわかった。
これらの物品の多くは、いずれもこれという特徴を持っていなかったが、ただ一つの捜索の手がかりとなるものは箱の包紙であった。というのはその上にウォーカーの宛名が書かれてあったからである。タイプライターで書かれた文字は一寸考えると、筆蹟とはちがって手がかりになりそうにもないが、その実、タイプライターにもそれぞれ個性があって、ある場合には筆蹟よりも確かな鑑別を行うことが出来るのである。殊にこの包紙に書かれた文字は、素人眼にもその特徴が、ありありとわかった。即ちrとaの字の形に、著しい変態が見られたのである。
一通りの検査を終った探偵は、直ちにアンダーウッド・タイプライター商会の支配人アレンを訪ねて、携えて行った包紙の文字を鑑定してもらった。アレンは拡大鏡を取り出して精密に調べ終った後、探偵に向って言った。
「このrの字の垂直線は実に特殊なものでして恐らく六百万の中に一個しかありますまい。ですからこれと同じ特徴を持ったタイプライターを御捜しになれば、この宛名はそのタイプライターで書かれたものと断言して差支ありません。それからこのタイプライターの製造元ですが、数字の形が普通のとちがいますから、調べて見たらじきわかるだろうと思います。今、この場で申上げることは出来ませんが、明日の昼までに必ずたずねて置きましょう」
果して、翌日、アレンは、その製造元が、エリオット・フィッシャー会社であることを探偵に告げたので、探偵はその足で同会社を訪ねると、同じような機械は三百五十台作られたきりであって、しかも紐育(ニューヨーク)市内だけの、主として諸官省に売られたことがわかった。そこで彼は一々そのタイプライターを持っている役所を歴訪して、rとaの字の特徴を検(しら)べることにしたがそれは決して容易なことでなかった。諸官省に公に照介して返事を取れば、最も手早く捜査が進む訳ではあるが、そうすれば、同時に犯人に警告を与えることになるから已(や)むを得ず探偵は、秘密裡に根気よく活動することにきめたのである。
一方に於て警察はまた別の方面から、捜査の歩を進めた。それは即ち犯罪の動機に関係したものである。ウォーカーを殺そうとするのは、ウォーカーに恨みをいだいたものでなくてはならない。ウォーカーは良家の子女を誘悪し堕落せしめたのであるからその女たちの父兄が復讐的にそうした行為に出たのかもしれない。或はまた、女に振られた男が失望のあまり仕出来(しでか)したことであるかもしれない。よって警察はウォーカーの家に出入した男女の取調べにかかったのである。
タイプライターの捜索も待合に出入した男女の調査も何一つ犯罪の手がかりを齎(もた)らさなかった矢先、紐育裁判所の判事ロザルスキー氏の許(もと)へ、突如として第二の恐ろしい贈物が届いたのである。
二
判事ロザルスキーは名判官の評判を取った人であった。常習性犯罪者に対して、彼はいつも思い切って苛酷な判決を与えたから、盗賊たちは彼を非常に怖れ且(かつ)憎んでいた。丁度その頃イタリア人から成る「黒手組」の裁判が行われて、新聞紙を賑(にぎ)わしていた時であって、彼の許へは一日何通となく脅迫状が舞い込んだのであった。それらの脅迫状はいずれも、拙(まず)い文章で書かれてあったが、文章の構造から、差出人はイタリア人であることが、想像された。そして中には、「用心せよ、爆烈弾を見舞うぞ」というような文句の書かれたものさえあった。それにも拘わらず彼は、「黒手組」に対して重刑を申渡した。
ある晩、彼が裁判所から、リヴァーサイド・ドライヴの自宅に帰ると、留守中に一個の小包が届いていた。それは菓子箱か、葉巻煙草の箱かと思われる位の大さで、白い紙で包まれ紅い紐がかけてあったから、彼は何気なしにそれを開いて見ようと思って、取りあげたが、意外に重かったので、これはと思って下に置くと同時に、先日来の脅迫状のことを聯想したのである。
直ちに警察に電話をかけて委細を告げると、探偵エガンは時を移さず駈けつけた。
中里 介山 (なかざと かいざん) 以外のオススメ作品
大菩薩峠 32 弁信の巻 のリンク元
- http://192.168.1.12:8028/atpedia.jp/word/%e8%89%b2%e3%80%85
- http://atpedia.jp/word/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96
- http://atpedia.jp/word/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2
- http://atpedia.jp/word/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88
- http://atpedia.jp/word/%E5%B0%8F%E9%85%92%E4%BA%95%20%E4%B8%8D%E6%9C%A8
- http://atpedia.jp/word/%E6%80%9D%E3%81%84%E5%87%BA
- http://atpedia.jp/word/%E6%81%90%E3%82%89%E3%81%8F
- http://atpedia.jp/word/%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E8%80%85
- http://atpedia.jp/word/%E7%AE%A1%E7%90%86%E4%BA%BA
- http://atpedia.jp/word/%E8%85%95
「大菩薩峠 32 弁信の巻-中里 介山」の関連ページ
-
山梨県/上日川ダム - ザ・ダムサイト - ザ・ダムサイト
上日川ダムをお気に入りに追加35/42/46.68,138/49/56.604上日川ダムのリンクWed, 25 No大菩薩峠の南にそびえる小金沢山 | 大場正明 Into the Wild -
沖縄県/鍋川ダム - ザ・ダムサイト - ザ・ダムサイト
ツール・ド・ラフランスやっぱ汁なしラ−メンでしょ〜Sun, 26 Ap鍋川ダムTue, 17 No登山に行ってきました!「大菩薩峠」 その2Sat, 07 Noロングツーリング第4弾 県外脱出!九頭 -
秋田県/唐松温泉 - 温泉くちこみリンク&掲示板 - 温泉くちこみリンク&掲示板
08月30日(日)唐松岳~五竜岳縦走 no3 下山家な時2009年10月15日(木)唐松岳・不帰嶮(2-6) - 山小屋だより快晴の朝この時間になると【大菩薩峠】 2009.10.14 - 大人 -
山梨県/はやぶさ温泉 - 温泉くちこみリンク&掲示板 - 温泉くちこみリンク&掲示板
こみリンク12009年09月07日(月)はやぶさ温泉 〔 Pick Up温泉 〕 - 関東周辺の新設日帰り温泉レポ私の日記 ラーメンサイクリング!!温泉大菩薩峠~大菩薩嶺登山 - 紅蓮のポケット2009年08月02日 -
山梨県/裂石温泉 - 温泉くちこみリンク&掲示板 - 温泉くちこみリンク&掲示板
県】2009年07月30日(木)日帰り縦走トレ山行 小菅~大菩薩峠~小金沢連嶺~やまと天目山温泉 ...2006年11月12日(日)11月12日 パワスポ-山梨県 裂石温泉・雲峰荘 LOTUS FLOWER -
徳島県/紅葉温泉 - 温泉くちこみリンク&掲示板 - 温泉くちこみリンク&掲示板
カラ ...山渓の紅葉:ナナの気まぐれdiary~:So-net blog紅葉の大菩薩峠「丹波山道縦走」(1) - ケータイおじさんの日記紅葉全開 | 塾長日記紅葉前線まっしぐらの銀山平森林公園にて - 奥只 -
自民/あ行/井上喜一 - 永田町一丁目情報部 - 永田町一丁目情報部
09月01日(火)大物と言われる政治家の敗北一覧(西日本) - 十ちゃんバツイチ二年生 ...STAND ALONE COMPLEX 9月1日テレビ大菩薩峠 第45回衆 -
長崎県/笛吹ダム - ザ・ダムサイト - ザ・ダムサイト
峡と上日川ダム - 川越だより2009年09月25日(金)社長の本音日記八ツ場ダム問題に見る民主党の非民主主義 - livedoor ...2009年11月04日(水)大菩薩峠より富士山を見る:jun1さん -
新潟県/帰る川ダム - ザ・ダムサイト - ザ・ダムサイト
ていますか? JR取水違反があった川でサケが帰ってきました - ろ ...カモの御一行さま2009年11月25日(水)大菩薩峠の南にそびえる小金沢山 | 大場正明 Into the Wild | WEB ...水カ -
長野県/平ダム - ザ・ダムサイト - ザ・ダムサイト
(水)大菩薩峠の南にそびえる小金沢山 | 大場正明 Into the Wild | WEB ...2009年11月20日(金)秋の紅葉を満喫~世増ダムへドライブ、道の
