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女客 - 泉 鏡花 ( いずみ きょうか )

  • 泉鏡花 『泉鏡花集成 12』 (ちくま文庫)
  • 泉鏡花 『泉鏡花集成 1』 (ちくま文庫)
  • 泉鏡花 ★ 豪華版 日本現代文学全集 泉鏡花集 ★ 講談社
  • 泉鏡花 『泉鏡花集成 6』 (ちくま文庫)
  • 泉鏡花 『泉鏡花集』 限定版 恩地孝四郎装幀 著者落款入 函
  • 泉鏡花 『泉鏡花集成 5』 (ちくま文庫)
  • 古書「名著複刻全集 日本橋 泉鏡花」
  • 日本幻想文学集成 1 泉鏡花 須永朝彦編 梅木英治
  • 図録★番町の家・慶応義塾図書館所蔵泉鏡花遺品展★09年
  • 泉鏡花賞受賞 柳美里「フルハウス」初版
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       一 「謹さん、お手紙、」  と階子段(はしごだん)から声を掛けて、二階の六畳へ上(あが)り切らず、欄干(てすり)に白やかな手をかけて、顔を斜(ななめ)に覗(のぞ)きながら、背後向(うしろむ)きに机に寄った当家の主人(あるじ)に、一枚を齎(もた)らした。 「憚(はばか)り、」  と身を横に、蔽(おお)うた燈(ともしび)を離れたので、玉(ぎょく)ぼやを透かした薄あかりに、くっきり描き出(いだ)された、上り口の半身は、雲の絶間の青柳(あおやぎ)見るよう、髪も容(かたち)もすっきりした中年増(ちゅうどしま)。
 これはあるじの国許(くにもと)から、五ツになる男の児(こ)を伴うて、この度上京、しばらくここに逗留(とうりゅう)している、お民といって縁続き、一蒔絵師(あるまきえし)の女房である。
 階下(した)で添乳(そえぢ)をしていたらしい、色はくすんだが艶(つや)のある、藍(あい)と紺、縦縞(たてじま)の南部の袷(あわせ)、黒繻子(くろじゅす)の襟のなり、ふっくりとした乳房の線、幅細く寛(くつろ)いで、昼夜帯の暗いのに、緩く纏(まと)うた、縮緬(ちりめん)の扱帯(しごき)に蒼味(あおみ)のかかったは、月の影のさしたよう。
 燈火(ともしび)に対して、瞳|清(すず)しゅう、鼻筋がすっと通り、口許(くちもと)の緊(しま)った、痩(や)せぎすな、眉のきりりとした風采(とりなり)に、しどけない態度(なり)も目に立たず、繕わぬのが美しい
「これは憚り、お使い柄|恐入(おそれい)ります。」
 と主人は此方(こなた)に手を伸ばすと、見得もなく、婦人(おんな)は胸を、はらんばいになるまでに、ずッと出して差置くのを、畳をずらして受取って、火鉢の上でちょっと見たが、端書(はがき)の用は直ぐに済んだ。
 机の上に差置いて、
「ほんとに御苦労様でした。」
「はいはい、これはまあ、御丁寧な、御挨拶(ごあいさつ)痛み入りますこと。お勝手からこちらまで、随分遠方でござんすからねえ。」
「憚り様ね。」
「ちっとも憚り様なことはありやしません。謹さん、」
「何ね、」
「貴下(あなた)、その(憚り様ね)を、端書を読む、つなぎに言ってるのね。ほほほほ。」
 謹さんも莞爾(にっこり)して、
「お話しなさい。」
「難有(ありがと)う、」
「さあ、こちらへ。」
「はい、誠にどうも難有う存じます、いいえ、どうぞもう、どうぞ、もう。」
「早速だ、おやおや。」
大分丁寧でございましょう。」
「そんな皮肉を言わないで、坊やは?」
「寝ました。」
「母は?」
行火(あんか)で、」と云って、肱(ひじ)を曲げた、雪なす二の腕、担いだように寝て見せる。
「貴女(あなた)にあまえているんでしょう。どうして、元気な人ですからね、今時行火をしたり、宵の内から転寝(うたたね)をするような人じゃないの。鉄は居ませんか。」
女中さんは買物に、お汁(みおつけ)の実を仕入れるのですって。それから私がお道楽、翌日(あした)は田舎料理を達引(たてひ)こうと思って、ついでにその分も。」
「じゃ階下(した)は寂(さみ)しいや、お話しなさい。」
 お民はそのまま、すらりと敷居へ、後手弱腰に、引っかけの端をぎゅうと撫(な)で、軽(かろ)く衣紋(えもん)を合わせながら、後姿の襟清く、振返って入ったあと、欄干(てすり)の前なる障子を閉めた。
「ここが開(あ)いていちゃ寒いでしょう。」
「何だかぞくぞくするようね、悪い陽気だ。」
 と火鉢を前へ。
「開(あけ)ッ放しておくからさ。」
「でもお民さん、貴女が居るのに、そこを閉めておくのは気になります。」
 時に燈に近う来た。瞼(まぶた)に颯(さっ)と薄紅(うすくれない)。

       二

 坐(すわ)ると炭取を引寄せて、火箸(ひばし)を取って俯向(うつむ)いたが、
お礼に継いで上げましょうね。」
「どうぞ、願います。」
「まあ、人様のもので、義理をするんだよ、こんな呑気(のんき)ッちゃありやしない。串戯(じょうだん)はよして、謹さん、東京(こっち)は炭が高いんですってね。」
 主人(あるじ)は大胡座(おおあぐら)で、落着澄まし、
「吝(けち)なことをお言いなさんな、お民さん、阿母(おふくろ)は行火(あんか)だというのに、押入には葛籠(つづら)へ入って、まだ蚊帳(かや)があるという騒ぎだ。」
「何のそれが騒ぎなことがあるもんですか。またいつかのように、夏中蚊帳が無くっては、それこそお家は騒動ですよ。」
騒動どころか没落だ。いや、弱りましたぜ、一夏は。
 何しろ、家の焼けた年でしょう。あの焼あとというものは、どういうわけだか、恐しく蚊が酷(ひど)い。まだその騒ぎの無い内、当地(こちら)で、本郷のね、春木町の裏長屋を借りて、夥間(なかま)と自炊をしたことがありましたっけが、その時も前の年火事があったといって、何年にもない、大変な蚊でしたよ。けれども、それは何、少(わか)いもの同志だから、萌黄縅(もえぎおどし)の鎧(よろい)はなくても、夜一夜(よっぴて)、戸外(おもて)を歩行(ある)いていたって、それで事は済みました。
 内じゃ、年よりを抱えていましょう。夜が明けても、的(あて)はないのに、夜中一時二時までも、友達の許(とこ)へ、苦(くるし)い時の相談手紙なんか書きながら、わきで寝返りなさるから、阿母(おっか)さん、蚊が居ますかって聞くんです。


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