女房文学から隠者文学へ 後期王朝文学史 - 折口 信夫 ( おりくち しのぶ )
女房文学から隠者文学へ
後期王朝文学史
一 女房歌合せ
数ある歌合せのうちに、時々、左の一の座其他に、女房とばかり名告つた読人(ヨミビト)が据ゑられてゐる。禁裡・仙洞などで催されたものなら、匿名の主は、代々の尊貴にわたらせられる事は言ふまでもない。公家・長上の家で興行せられた番(つがひ)の巻物なら、其処の亭主の君の作物なる事を示してゐるのである。此は、後鳥羽院にはじまつた事ではなかつた。かうした朗らかな戯れも、此発想競技と、女房との間に絡んだ幾代の歴史を踏まへて、極めて自然に現れて来たのである。
私は、此文の書き出しに、都合のよい機会(ツイデ)に行きあうた様だ。文学史に向けて持つて来た、私の研究の立ちどの、知つて置いていたゞけさうなよい事情になつて来たことである。現在ある様式や、考へ方は、幾度幾様とも知れぬ固定や、其から救ひ出した合理化の力を受けて来たのだ。宮廷は勿論、上流公家の家庭生活の要件として、曾(かつ)ては生きてゐた儀礼が、固定を重ねつゝ伝承せられて来た。女房と歌合せとの関係も、そこにあるのだ。
大きな氏族或は邑落では、主長の希望や命令を述べた口頭文章が、公式には、段々複雑な手順を経て伝達せられる様になつた。が、非公式に出るものは、家あるじの側に侍る高級官女――巫女の資格を以て奉仕した――に口授せられたものが、其文句の受けてに其まゝ伝達せられたのである。宮廷の内侍宣(ナイシセン)など云ふ勅書は、此しきたりから生れたのだ。「上の女房」と言はれたものは、言ふまでもなく、宮廷の官女はすべて、前期王朝には、神の摂政たる主上に仕へる巫女であつた。宮廷と生活様式を略(ほぼ)一つにした氏族の長上――後期王朝の古い家筋の公家は、其が官吏化したもの――も、古代には、邑落や、民団の主長としての――神となれる――資格を持つた。其に伴つて、氏族の巫女を使うて、さうした用をさせてゐた事は察せられる。「宣旨」と言ふ女房名の、広く公家にも行はれたのは、此因縁である。手続きの簡単な宣が、文書の形を採つたのは、公式の宣命・詔旨などの様式の整備せられたのに連れて、起つた事らしい。
此が、平安の女房中心の宮廷文学を生む、本筋の原因でもあつた。今は此以上、女房の文学・仮名記録を説いてゐる事は出来ない。唯、其相聞贈答の短歌を中心に、多少律文学の歴史に言ひ及すことは、免(ゆる)されて居る、と思うてもよさ相である。其に、当面の問題なる女房の「歌合せ」に絡んだ点を言ふ事は、勿論許されてゐることにしておきたい。
宮廷の女房は、主上仰せ出しの文章を、筆録して伝達することが、伝来の役儀である。さすれば、御製の詞章は女房が筆録し、ある人々に諷誦して聞かせ、後々は段々、整理保存する様になつた事は、考へてさし支へはない。主上の作物ながら、女房の手で発表せられるのだから、仮り名として、無名の女房を装はれる様になるのは、自然な道筋である。
歌合せの、刺戟となつた点だけから見れば、在り来りの聯句・闘詩起原説は、手を携へて見る事が出来る。だが、平安初期の貴族・学者の流行させた詩合せや、聯句からばかり発生した、と唱へる常識説は、どうあつても、承認が出来ない。
歌合せの異式とも見える「前栽(センザイ)合せ」は、消息の歌文を結ぶ木草の枝の風流から出て居る。歌合せは整理せられて、宴遊の形をとつた。だがよく見ると、厳かな神事から出た俤を止めてゐる。つけあひは、連歌誹諧を形づくつて行つた。此側には、機智と、低い笑ひとが、宿命的にくつゝいて居た。賦物(フシモノ)の如き、無意義な制約の守られて居たのも、出発点がさうだからである。
だが、此二つは、発生点は一つであり、分化の過程にも、互ひに深く影響し合うて来た。歌垣と、歌垣以前からあつた神・人問答の信仰様式から出た種子が、灌木や、栽ゑ草の花と、其に寄せた歌との調和をめどにしたものであつて、歌合せの興隆にさのみ遅れた流行ではない。其が更に、後の貝合せ・艶書合せと称する「恋歌合せ」に移つて行つた痕まで、一筋に通つてゐる。
かうして見ると、詩合せから受けた影響は、先進学者の予断よりも、ずつと微かであつたことが知れよう。片哥や、相聞の類の、歌垣の場(ニハ)に発生した唱和・贈答の発想法は、いろ/\に分化して行つた。旋頭(セドウ)歌の如き、単長歌の如き、或は短歌の類まで、皆此かけあひ・つけあひの発想をば基礎にして居るのである。此形式方面を多分に伝へて完成したのは、歌合せと連歌とであつた。かけあひは、言語の上の詭計式の表現や、機智ではぐらかしたり、身をかはしたりする修辞法を発達させた。天徳四年内裡歌合せは、女房歌合せと称せられたものである。宮廷の歌合せの古くよりあつた事は、万葉巻一額田王の「秋山われは」の歌を、最正しく考へることからでも言へる。「歌を以て判ずる歌」と序にあるのは、額田王以外の人々も、歌を以て主張したものと見る方がよいのである。「春秋|諍(モノアラソ)ひ」の極めて古い形なのであつた。
歌垣の歌の、古詞何々|振(ブリ)を繰り返す様になつて行く一方に、風雅な遊戯・宴遊の方便に用ゐられた側が、次第に、文学態度の意識を生じて来た。万葉の群詠の中には、さうした部類に入るものが尠くない。古今以前の在民部卿家歌合せなどを中に据ゑて見れば、歌合せの固有種子なる事はわかる。天徳のを女房歌合せと言ふ訣は、後宮方の歌合せなる事を露(あらは)にして言はねばならぬ理由のあつた為なのだ。
当時公卿等は、流行の詩合せに専心になつて、歌合せを顧みなくなつて居た。
私は、此文の書き出しに、都合のよい機会(ツイデ)に行きあうた様だ。文学史に向けて持つて来た、私の研究の立ちどの、知つて置いていたゞけさうなよい事情になつて来たことである。現在ある様式や、考へ方は、幾度幾様とも知れぬ固定や、其から救ひ出した合理化の力を受けて来たのだ。宮廷は勿論、上流公家の家庭生活の要件として、曾(かつ)ては生きてゐた儀礼が、固定を重ねつゝ伝承せられて来た。女房と歌合せとの関係も、そこにあるのだ。
大きな氏族或は邑落では、主長の希望や命令を述べた口頭文章が、公式には、段々複雑な手順を経て伝達せられる様になつた。が、非公式に出るものは、家あるじの側に侍る高級官女――巫女の資格を以て奉仕した――に口授せられたものが、其文句の受けてに其まゝ伝達せられたのである。宮廷の内侍宣(ナイシセン)など云ふ勅書は、此しきたりから生れたのだ。「上の女房」と言はれたものは、言ふまでもなく、宮廷の官女はすべて、前期王朝には、神の摂政たる主上に仕へる巫女であつた。宮廷と生活様式を略(ほぼ)一つにした氏族の長上――後期王朝の古い家筋の公家は、其が官吏化したもの――も、古代には、邑落や、民団の主長としての――神となれる――資格を持つた。其に伴つて、氏族の巫女を使うて、さうした用をさせてゐた事は察せられる。「宣旨」と言ふ女房名の、広く公家にも行はれたのは、此因縁である。手続きの簡単な宣が、文書の形を採つたのは、公式の宣命・詔旨などの様式の整備せられたのに連れて、起つた事らしい。
此が、平安の女房中心の宮廷文学を生む、本筋の原因でもあつた。今は此以上、女房の文学・仮名記録を説いてゐる事は出来ない。唯、其相聞贈答の短歌を中心に、多少律文学の歴史に言ひ及すことは、免(ゆる)されて居る、と思うてもよさ相である。其に、当面の問題なる女房の「歌合せ」に絡んだ点を言ふ事は、勿論許されてゐることにしておきたい。
宮廷の女房は、主上仰せ出しの文章を、筆録して伝達することが、伝来の役儀である。さすれば、御製の詞章は女房が筆録し、ある人々に諷誦して聞かせ、後々は段々、整理保存する様になつた事は、考へてさし支へはない。主上の作物ながら、女房の手で発表せられるのだから、仮り名として、無名の女房を装はれる様になるのは、自然な道筋である。
歌合せの、刺戟となつた点だけから見れば、在り来りの聯句・闘詩起原説は、手を携へて見る事が出来る。だが、平安初期の貴族・学者の流行させた詩合せや、聯句からばかり発生した、と唱へる常識説は、どうあつても、承認が出来ない。
歌合せの異式とも見える「前栽(センザイ)合せ」は、消息の歌文を結ぶ木草の枝の風流から出て居る。歌合せは整理せられて、宴遊の形をとつた。だがよく見ると、厳かな神事から出た俤を止めてゐる。つけあひは、連歌誹諧を形づくつて行つた。此側には、機智と、低い笑ひとが、宿命的にくつゝいて居た。賦物(フシモノ)の如き、無意義な制約の守られて居たのも、出発点がさうだからである。
だが、此二つは、発生点は一つであり、分化の過程にも、互ひに深く影響し合うて来た。歌垣と、歌垣以前からあつた神・人問答の信仰様式から出た種子が、灌木や、栽ゑ草の花と、其に寄せた歌との調和をめどにしたものであつて、歌合せの興隆にさのみ遅れた流行ではない。其が更に、後の貝合せ・艶書合せと称する「恋歌合せ」に移つて行つた痕まで、一筋に通つてゐる。
かうして見ると、詩合せから受けた影響は、先進学者の予断よりも、ずつと微かであつたことが知れよう。片哥や、相聞の類の、歌垣の場(ニハ)に発生した唱和・贈答の発想法は、いろ/\に分化して行つた。旋頭(セドウ)歌の如き、単長歌の如き、或は短歌の類まで、皆此かけあひ・つけあひの発想をば基礎にして居るのである。此形式方面を多分に伝へて完成したのは、歌合せと連歌とであつた。かけあひは、言語の上の詭計式の表現や、機智ではぐらかしたり、身をかはしたりする修辞法を発達させた。天徳四年内裡歌合せは、女房歌合せと称せられたものである。宮廷の歌合せの古くよりあつた事は、万葉巻一額田王の「秋山われは」の歌を、最正しく考へることからでも言へる。「歌を以て判ずる歌」と序にあるのは、額田王以外の人々も、歌を以て主張したものと見る方がよいのである。「春秋|諍(モノアラソ)ひ」の極めて古い形なのであつた。
歌垣の歌の、古詞何々|振(ブリ)を繰り返す様になつて行く一方に、風雅な遊戯・宴遊の方便に用ゐられた側が、次第に、文学態度の意識を生じて来た。万葉の群詠の中には、さうした部類に入るものが尠くない。古今以前の在民部卿家歌合せなどを中に据ゑて見れば、歌合せの固有種子なる事はわかる。天徳のを女房歌合せと言ふ訣は、後宮方の歌合せなる事を露(あらは)にして言はねばならぬ理由のあつた為なのだ。
当時公卿等は、流行の詩合せに専心になつて、歌合せを顧みなくなつて居た。
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