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好悪の論 - 折口 信夫 ( おりくち しのぶ )

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  • 死者の書,春のことぶれ 他「折口信夫集」日本近代文学大系46
  • ●歌舞伎●『仮名手本忠臣蔵』演劇界増刊●折口信夫 木村荘八 他
  • ◆:折口信夫全集 第13巻 國文學篇7 中公文庫 初版
  • 「折口信夫全集 第一五巻 民俗学篇1」中央公論社 昭和30
  • 「折口信夫全集 第一巻古代研究(國文学篇)」中央公論社 昭和29
  • ◆:折口信夫全集 第14巻 國文學篇8 中公文庫 初版
  • ◆:折口信夫全集 第12巻 國文學篇6 中公文庫 初版
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好惡の論 鴎外と逍遙と、どちらが嗜きで、どちらが嫌ひだ。かうした質問なら、わりに答へ易いのです。でも、稍老境を見かけた私どもの現在では、どちらのよい處も、嗜きになりきれない處も、見え過ぎて來ました。それでやつぱり、かうした簡單な討論の方へ加はれさうもありません。だからまして、廣く大海を探つて一粟をつまみあげろと言つた難題には、二の脚を踏まずには居られません。さあだれが嗜きで誰が嫌ひ。そんな印象も殘さない樣な讀み方で、作品を見續けて來た幾年の後、靜かにふりかへつて見ても、假作・實在の人物性格生活に、好惡を考へ分ける事が出來なくなつてゐます。今度、あなたの出題で、はじめて私どもの讀み方の、一面からは變であつた事に氣がつきました。家康を狸おやぢときめ、ざつくばらんな秀吉をひいきにする樣には、參りかねる樣になつて居た心境に心づきました。こんな言ひ方をするのも、甚だ人ずきのしないねつとりした人物標本に、自分で据りこむ樣で氣がひけます。けれども、正直、氣どりなしに、あなたの閻魔帳の黒丸に値する「わかりません」を以て應ずる外はありません。
だが強ひて申さば、自分生活を低く評價せられまいと言ふ意識を顯し過ぎた作品を殘した作者は、必後くちのわるい印象を與へる樣です。
文學上に問題になる生活の價値は、「將來欲」を表現する痛感性の強弱によつてきまるのだと思ひます。概念主義にも望めず、哲學や標榜などからも出ては參りません。まして、唯紳士としての體面を崩さぬ樣、とり紊さぬ賢者として名聲に溺れて一生を終つた人などは、文學者としては、殊にいたましく感じられます。のみか、生活態度とすべき文學や哲學を態度とした増上慢の樣な氣がして、いやになります。鴎外博士なども、こんな意味で、いやと言へさうな人です。あの方の作物の上の生活は、皆「將來欲」のないもので、現在の整頓の上に一歩も出て居ない、おひんはよいが、文學上の行儀手引きです。もつと血みどろになつた處が見えたら、我々の爲になり、將來せられるものがあつた事でせう。
逍遙博士はまだ生きて居られるので、問題にはしにくいと思ひますが、あの如何にも「生き替り死に變り、憾みを霽らさで……」と言つたしやう懲りもない執著が背景になつて、わりに外面整然としない作物に見失はれがちな、生活表現力を見せてゐます。つまりは、あきらめ[井「あきらめ」に傍点]やゆとり(鴎外博士のあそび)や、通人意識・先覺自負などからは、嗜かれる文學が出て來ないのです。この意味の「嗜かれる」といふことは、よい生活を持ち來す、人間の爲になる文學、及び作者の評言といふ事になるのです。
一茶の恥しい日記が後から/\出て來ても、一茶の文學が嗜かれ、一茶が磨かれ、よい人間生活の將來を希求した人として嗜かれて來るばかりではありませんか。其と共に、文學價値も高まつて來るのは事實です。
芭蕉に――まちがひだつたでせうが――妾のあつた發見などが報告せられてから、正風の翁の作品の、文壇價値は、やつぱり高まつて來てゐるのは、時代的に内證せられる事實です。單に、「人間味がある」と言ふ樣な、簡單な懷しさによるものと思ふ事は出來ません。
馬琴の日記を見ても、いやな根性や、じめ/\した、それでゐて思ひあがつた後世觀なども、却て、其文學の背景を色濃くし、性格必然性を考へさせる樣になつて來ました。小づらにくい小言幸兵衞のもでるの樣な爺さまも、文學者として浮きぼりせられて來たのです。だから生活が知れるといふ事は、作者作物との關係、生活の將來力と個性表現傾向などが、長い人生の參考や、暗示や動力になるのです。此點において、私の考へる文學の目的に大なり小なり叶うて來るのです。
文學の目的は、私はかう申します。人間生活の暗示を將來して、普遍化を早める事です。此が、私の考へる文學の普遍性で、同時に、文學價値判斷の目安なのです。だから、結局、日記や傳記によつて、文學作品が註釋せられて、作者の實力が知られると言ふのは、抑文學者として哀れな事で、作品其物に、人間共有の拂ひがたい雲を吸ひよせる樣な、當來の世態の暗示を漂はしてゐる文學でなくてはならないのです。
芥川さんなどは若木の盛りと言ふ最中に、鴎外の幽靈のつき纏ひから遁れることが出來ないで、花の如く散つて行かれました。今一人、此人のお手本にしてゐたことのある漱石居士などの方が、私の言ふ樣な文學に近づきかけて居ました。整正を以てすべての目安とする、我が國の文學者には喜ばれぬ樣ですが、漱石晩年の作の方が遙かに、將來力を見せてゐます。麻の葉や、つくね芋の山水を崩した樣な文人畫や、詩賦をひねくつて居た日常生活よりも高い藝術生活が、漱石居士作品には、見えかけてゐました。此人の實生活は、存外概念化してゐましたが、やつぱり鴎外博士とは違ひました。あの捨て身から生れて來た將來力をいふ人のないのは遺憾です。
さて明治前の文學者に、人間生活の暗示を見せた作家があつたでせうか。私は、最過去時代の文學に厚薄なく愛著を持つ者ですが、どうにも「ある」を言ひきる勇氣はありません。
紫式部――私は、此一人をば信じませんが――は、時代煩悶を作者の心の上の事實にして居ますが、後者の内に移すだけの描寫力を缺いて居ました。だから、露はな現實の問題すら、おもしろをかしく讀み通させました。でも、菊池寛さんの代表したていま文學よりひどい事をするのです。兄君の心弱い、惡意のない美點を利用して、いろ/\に自分利益を計つたり、其愛もない息女を娶つて莫大な富を併せたり、妻――紫上は夜床|避(サ)りの年齡に達した――と例のない程、長い共住みを續けて、奉謝生活の願ひを却けたり、若盛りの罪業の現報を見ながら尚、無意思に近い若妻を苦しめたり、殆、手を降さんばかりにして、其敵たる若い親族を死なしめたりしてゐる。
梗概的に知られて來た源氏性格よりは、作者表現意力の方が遙かに高い。源氏讀みには、かうした源氏の姿がすきになれなかつたのである。其まゝに曲解を續けて來たのだ。だから晩年になつて、源氏は外面上の整ひや調ひを失ふと同時に、貴族社會の欲望と意力を以て表現してゐる。


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