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妖婆 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

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  • 「芥川龍之介」 関口安義   岩波新書
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  • 芥川龍之介◆侏儒の言葉・西方の人◆続西方の人収録
  • 別冊毎日グラフ 芥川龍之介 生誕百年、そして今
  • 絶版■芥川龍之介【邪宗門・杜子春】新潮文庫帯/昭和42年/葱.秋
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芥川龍之介  あなたは私の申し上げる事を御信じにならないかも知れません。いや、きっと嘘だと御思いなさるでしょう。昔なら知らず、これから私の申し上げる事は、大正の昭代にあった事なのです。しかも御同様住み慣れている、この東京にあった事なのです。外へ出れば電車や自働車が走っている。内へはいればしっきりなく電話のベルが鳴っている。新聞を見れば同盟罷工(どうめいひこう)や婦人運動報道が出ている。――そう云う今日、この大都会の一隅でポオやホフマン小説にでもありそうな、気味の悪い事件が起ったと云う事は、いくら私が事実だと申した所で、御信じになれないのは御尤(ごもっと)もです。が、その東京の町々の燈火が、幾百万あるにしても、日没と共に蔽いかかる夜をことごとく焼き払って、昼に返す訣(わけ)には行きますまい。ちょうどそれと同じように、無線電信飛行機がいかに自然征服したと云っても、その自然の奥に潜んでいる神秘世界地図までも、引く事が出来たと云う次第ではありません。それならどうして、この文明日光に照らされた東京にも、平常は夢の中にのみ跳梁(ちょうりょう)する精霊たちの秘密な力が、時と場合とでアウエルバッハの窖(あなぐら)のような不思議を現じないと云えましょう。時と場合どころではありません。私に云わせれば、あなたの御注意次第で、驚くべき超自然的な現象は、まるで夜咲く花のように、始終我々の周囲にも出没去来しているのです。
 たとえば冬の夜更などに、銀座通りを御歩きになって見ると、必ずアスファルトの上に落ちている紙屑が、数にしておよそ二十ばかり、一つ所に集まって、くるくる風に渦を巻いているのが、御眼に止まる事でしょう。それだけなら、何も申し上げるほどの事はありませんが、ためしにその紙屑が渦を巻いている所を、勘定(かんじょう)して御覧なさい。必ず新橋から京橋までの間に、左側に三個所、右側に一個所あって、しかもそれが一つ残らず、四つ辻に近い所ですから、これもあるいは気流の関係だとでも、申して申せない事はありますまい。けれどももう少し注意して御覧になると、どの紙屑の渦の中にも、きっと赤い紙屑が一つある――活動写真広告だとか、千代紙の切れ端だとか、乃至(ないし)はまた燐寸(まっち)の商標だとか、物はいろいろ変(かわっ)ていても、赤い色が見えるのは、いつでも変りがありません。それがまるでほかの紙屑を率(ひきい)るように、一しきり風が動いたと思うと、まっさきにひらりと舞上ります。と、かすかな砂煙の中から囁くような声が起って、そこここに白く散らかっていた紙屑が、たちまちアスファルトの空へ消えてしまう。消えてしまうのじゃありません。一度にさっと輪を描いて、流れるように飛ぶのです。風が落ちる時もその通り、今まで私が見た所では、赤い紙が先へ止まりました。こうなるといかにあなたでも、御不審が起らずにはいられますまい。私は勿論不審です。現に二三度は往来へ立ち止まって、近くの飾窓(ショウウインドウ)から、大幅の光がさす中に、しっきりなく飛びまわる紙屑を、じっと透かして見た事もありました。実際その時はそうして見たら、ふだんは人間の眼に見えない物も、夕暗にまぎれる蝙蝠(こうもり)ほどは、朧げにしろ、彷彿(ほうふつ)と見えそうな気がしたからです。
 が、東京の町で不思議なのは、銀座通り落ちている紙屑ばかりじゃありません。夜更けて乗る市内の電車でも、時々尋常の考に及ばない、妙な出来事に遇うものです。その中でも可笑(おか)しいのは人気(ひとけ)のない町を行く赤電車青電車が、乗る人もない停留場ちゃんと止まる事でしょう。これも前の紙屑同様、疑わしいと御思いになったら、今夜でもためして御覧なさい。同じ市内の電車でも、動坂線(どうざかせん)と巣鴨線(すがもせん)と、この二つが多いそうですが、つい四五日前の晩も、私の乗った赤電車が、やはり乗降りのない停留場へぱったり止まってしまったのは、その動坂線の団子坂下(だんござかした)です。しかも車掌がベルの綱へ手をかけながら、半ば往来の方へ体を出して、例のごとく「御乗りですか。」と声をかけたじゃありませんか。私は車掌台のすぐ近くにいましたから、すぐに窓から外を覗いて見ました。と、外は薄雲のかかった月の光が、朦朧(もうろう)と漂っているだけで、停留場の柱の下は勿論、両側の町家がことごとく戸(と)を鎖した、真夜中の広い往来にも、さらに人間らしい影は見えません。妙だなと思う途端、車掌がベルの綱を引いたので、電車はそのまま動き出しましたが、それでもまだ窓から外を眺めていると、停留場が遠くなるのに従って、今度は何となく私の眼にも、そこの月の光の中に、だんだん小さくなって行く人影があるような気がしました。これは申すまでもなく、私の神経の迷かもしれませんが、あの先を急ぐ赤電車車掌が、どうして乗る人もない停留場電車止めなどしたのでしょう。しかもこんな目に遇ったのは、何も私ばかりじゃなく、私の知人の間にも、三四人はいようと云うのです。して見ると、まさか電車車掌がその度に寝惚(ねぼ)けたとも申されますまい。現に私の知人の一人なぞは、車掌をつかまえて、「誰もいないじゃないか。」と、きめつけると、車掌不審そうな顔をして、「大勢さんのように思いましたが。」と、答えた事があるそうです。
 そのほかまだ数え立てれば、砲兵工廠(こうしょう)の煙突の煙が、風向きに逆って流れたり、撞(つ)く人もないニコライの寺の鐘が、真夜中に突然鳴り出したり、同じ番号の電車が二台、前後して日の暮の日本橋通りすぎたり、人っこ一人いない国技館の中で、毎晩のように大勢の喝采(かっさい)が聞えたり、――所謂(いわゆる)「自然の夜の側面」は、ちょうど美しい蛾(が)の飛び交うように、この繁華な東京の町々にも、絶え間なく姿を現しているのです。従ってこれから私が申上げようと思う話も、実はあなたが御想像になるほど、現実世界と懸け離れた、徹頭徹尾あり得べからざる事件と云う次第ではありません。いや、東京の夜の秘密を一通り御承知になった現在なら、無下(むげ)にはあなたも私の話を、莫迦(ばか)になさる筈はありますまい。もしまたしまいまで御聞きになった上でも、やはり鶴屋南北(つるやなんぼく)以来の焼酎火(しょうちゅうび)の※(におい)がするようだったら、それは事件そのものに嘘があるせいと云うよりは、むしろ私の申し上げ方が、ポオやホフマンの塁(るい)を摩(ま)すほど、手に入っていない罪だろうと思います。何故と云えば一二年以前、この事件当事者が、ある夏の夜私と差向いで、こうこう云う不思議に出遇った事があると、詳しい話をしてくれた時には、私は今でも忘れられないほど、一種の妖気(ようき)とも云うべき物が、陰々として私たちのまわりを立て罩(こ)めたような気がしたのですから。
 この当事者と云う男は、平常私の所へ出入をする、日本橋辺のある出版書肆(しょし)の若主人で、ふだんは用談さえすませてしまうと、※々(そうそう)帰ってしまうのですが、ちょうどその夜は日の暮からさっと一雨かかったので、始は雨止みを待つ心算(つもり)ででも、いつになく腰を落着けたのでしょう。色の白い、眉の迫った、痩(や)せぎすな若主人は、盆提灯(ぼんちょうちん)へ火のはいった縁先のうす明りにかしこまって、かれこれ初夜も過ぎる頃まで、四方山(よもやま)の世間話をして行きました。その世間話の中へ挟みながら、「是非一度これは先生に聞いて頂きたいと思って居りましたが。


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