安吾巷談 06 東京ジャングル探検 - 坂口 安吾 ( さかぐち あんご )
安吾巷談
東京ジャングル探検
わが経来りし人生を回想するという年でもないが、子供のころは類例稀れな暴れん坊で、親を泣かせ、先生を泣かせ、郷里の中学を追いだされて上京しても、入れてくれる学校を探すのに苦労した。私が苦労したわけではないが、親馬鹿というもので、私はだいたい学校というものにメッタに顔をださなかった。たまに顔をだすと、たちまち、先生と追いつ追われつの活躍となり、しかし結局先生を組み伏せるのは私の方であるし、当人の身にもツライことで、たのしいものではない。
追いだされるのは仕方がない。当人の身にはホッとして、これで悪縁がきれた、まったくである。不良少年というものは、行きがかりのものだ。当人が誰よりツライのである。けれども、親馬鹿だ。改めて歴とした中学へ入れようとしても、受けつけてくれるものじゃない。結局ヨタモノだけの集る中学へ入学する。そういう中学があったのである。
悪縁が切れたから、改心しようと思って、改心したツモリであったが、どこにも行きがかりというものがある。学問はできないけれども、スポーツは万能選手で、たのまれてチョロ/\と競技会へ出場すると、関東大会でも優勝するし、全国大会でも優勝する。九州の落武者の大ヨタモノの相撲の選手が糞馬力で投げてみたって、十二ポンドの砲丸が七八|米(メートル)ぐらいしか飛ばないものだ。私がヒョイと投げると十一米ふッとぶのである。柔道すると、大ヨタモノがコロ/\私にひッくりかえされる。いくら学問が出来ないたって、こういう連中の中では頭角を現すから、私は改心したツモリであったが、いつのまにか、大ヨタモノの中央に坐っていた。
九州の落武者の多くは、壮士的ではあるが、ヨタモノとは違う。彼らは概ね自活していた。新聞配達とか、露店商。これは今でも学生のアルバイトだが、当時はそうザラではない。夜中にチャルメラ吹く支那ソバ屋もいたし、人力車夫、これがモウケがよかったようだ。雨が降りだすと、ソレッと親方から車をかりて、駅や劇場へ駈けつける。雨天だけの出動で一ヵ月生活できるから、ワリがよかった。
この連中は年齢も二十をすぎ、いっぱし大人の生活をし、女郎買いに行ったりして、一般の中学生の目には異様であるが、ヨタモノとは違う。
硬派、軟派の本ヨタは、年齢的には、むしろ普通の中学生に多かった。
落語で云うと、コレ定吉、ヘーイ、というような筒袖の小僧ッ子が、朝ッパラから五六人あつまって、一升ビンで買ってきた電気ブランをのんでいる。三人ぶんぐらいの洋服や着物を曲げて、電気ブランを買ってきたのである。
小僧ッ子が酔っ払うと、目がすわる。呂律(ろれつ)が廻らなくなることは同じことだが、理性は案外シッカリしていて、ちょッとした大言壮語するぐらいで、大人のように取り乱した酔い方はしないものだ。酔うと発情するような傾向もないし、シンから疲れているようなところもないせいかも知れない。
じゃ一仕事してこようや、と云って、酔いの少いのが、三人ぐらい、曲げ残りの制服や筒袖をきて、でかけて行くのである。腰にまいたバンドが武器だ。筒袖はメリケン・サックというものを忍ばせている。
よその学校のヨタがかったのや、軟派をおどかして金をまきあげることもあるし、セッパつまると、大人にインネンをつけることもある。小僧ッ子とあなどると案外で、ヒョウのような目で突然おそいかかって、メリケンをくらわせたり、バンドをふりまわしたり、警察へアゲられても、仲間のことは一言も喋らず、三四日してニヤニヤと出てくるのがいる。十六七の小さい中学生なのである。
彼らは賭場へのりこむこともある。貸元の賭場ではなくて、車夫だとか、自由労働者とか、本職でもなしズブの素人でもなしという手合の半常習的なレッキとした大人の世界へのりこんで行くのである。
子供とあなどってインチキなことをやると、少年の行動というものはジンソクなもので、居直ったと思うと疾風ジンライ的にバンドを構え、メリケン・サックを閃めかして大人にせまっている。
私は一度だけ、彼らがそんなことをする現場に居合したことがあるが、彼らは私に遠く離れて彼らの仲間と思われぬようにしているようにと注意を与え、細心なイタワリを払ってくれて、仲間になれとか、見張りしてくれとか、そんなことは決して云わなかった。
九州のオッサン組と本ヨタ組は完全に没交渉であったが、私はどちらからも大事にされて、甚だケッコウな身分であった。
九州のオッサン組は年をくっていたが、無邪気でもあり、同時に、低脳でもあったが、ヨタ組は若くて、しかし老成しており、学業は出来ないが、判断は早く、行動はジンソクだった。両者に共通していたことは、スポーツのような子供っぽいことには深く興味を持ち得ないことだけであった。両者がケンカすると、若年のヨタ公が勝ったであろう。なぜなら、しつこさ、あくどさがあった。軟派の現場をとらえ、相手の女学生を輪姦するというようなことは確かにやっていたし、その日常も現実的で、花札のインチキなどを、身をつめて練習していたものである。
後年、私が三十のころ、流浪のあげく、京都の伏見稲荷の袋小路のドンヅマリの食堂に一年ばかり下宿していたことがあった。
はじめ私が泊ったころはタダの食堂、弁当の仕出し屋にすぎなかったが、六十ぐらいのここのオヤジが碁気ちがいだ。毎晩私に挑戦する。
追いだされるのは仕方がない。当人の身にはホッとして、これで悪縁がきれた、まったくである。不良少年というものは、行きがかりのものだ。当人が誰よりツライのである。けれども、親馬鹿だ。改めて歴とした中学へ入れようとしても、受けつけてくれるものじゃない。結局ヨタモノだけの集る中学へ入学する。そういう中学があったのである。
悪縁が切れたから、改心しようと思って、改心したツモリであったが、どこにも行きがかりというものがある。学問はできないけれども、スポーツは万能選手で、たのまれてチョロ/\と競技会へ出場すると、関東大会でも優勝するし、全国大会でも優勝する。九州の落武者の大ヨタモノの相撲の選手が糞馬力で投げてみたって、十二ポンドの砲丸が七八|米(メートル)ぐらいしか飛ばないものだ。私がヒョイと投げると十一米ふッとぶのである。柔道すると、大ヨタモノがコロ/\私にひッくりかえされる。いくら学問が出来ないたって、こういう連中の中では頭角を現すから、私は改心したツモリであったが、いつのまにか、大ヨタモノの中央に坐っていた。
九州の落武者の多くは、壮士的ではあるが、ヨタモノとは違う。彼らは概ね自活していた。新聞配達とか、露店商。これは今でも学生のアルバイトだが、当時はそうザラではない。夜中にチャルメラ吹く支那ソバ屋もいたし、人力車夫、これがモウケがよかったようだ。雨が降りだすと、ソレッと親方から車をかりて、駅や劇場へ駈けつける。雨天だけの出動で一ヵ月生活できるから、ワリがよかった。
この連中は年齢も二十をすぎ、いっぱし大人の生活をし、女郎買いに行ったりして、一般の中学生の目には異様であるが、ヨタモノとは違う。
硬派、軟派の本ヨタは、年齢的には、むしろ普通の中学生に多かった。
落語で云うと、コレ定吉、ヘーイ、というような筒袖の小僧ッ子が、朝ッパラから五六人あつまって、一升ビンで買ってきた電気ブランをのんでいる。三人ぶんぐらいの洋服や着物を曲げて、電気ブランを買ってきたのである。
小僧ッ子が酔っ払うと、目がすわる。呂律(ろれつ)が廻らなくなることは同じことだが、理性は案外シッカリしていて、ちょッとした大言壮語するぐらいで、大人のように取り乱した酔い方はしないものだ。酔うと発情するような傾向もないし、シンから疲れているようなところもないせいかも知れない。
じゃ一仕事してこようや、と云って、酔いの少いのが、三人ぐらい、曲げ残りの制服や筒袖をきて、でかけて行くのである。腰にまいたバンドが武器だ。筒袖はメリケン・サックというものを忍ばせている。
よその学校のヨタがかったのや、軟派をおどかして金をまきあげることもあるし、セッパつまると、大人にインネンをつけることもある。小僧ッ子とあなどると案外で、ヒョウのような目で突然おそいかかって、メリケンをくらわせたり、バンドをふりまわしたり、警察へアゲられても、仲間のことは一言も喋らず、三四日してニヤニヤと出てくるのがいる。十六七の小さい中学生なのである。
彼らは賭場へのりこむこともある。貸元の賭場ではなくて、車夫だとか、自由労働者とか、本職でもなしズブの素人でもなしという手合の半常習的なレッキとした大人の世界へのりこんで行くのである。
子供とあなどってインチキなことをやると、少年の行動というものはジンソクなもので、居直ったと思うと疾風ジンライ的にバンドを構え、メリケン・サックを閃めかして大人にせまっている。
私は一度だけ、彼らがそんなことをする現場に居合したことがあるが、彼らは私に遠く離れて彼らの仲間と思われぬようにしているようにと注意を与え、細心なイタワリを払ってくれて、仲間になれとか、見張りしてくれとか、そんなことは決して云わなかった。
九州のオッサン組と本ヨタ組は完全に没交渉であったが、私はどちらからも大事にされて、甚だケッコウな身分であった。
九州のオッサン組は年をくっていたが、無邪気でもあり、同時に、低脳でもあったが、ヨタ組は若くて、しかし老成しており、学業は出来ないが、判断は早く、行動はジンソクだった。両者に共通していたことは、スポーツのような子供っぽいことには深く興味を持ち得ないことだけであった。両者がケンカすると、若年のヨタ公が勝ったであろう。なぜなら、しつこさ、あくどさがあった。軟派の現場をとらえ、相手の女学生を輪姦するというようなことは確かにやっていたし、その日常も現実的で、花札のインチキなどを、身をつめて練習していたものである。
後年、私が三十のころ、流浪のあげく、京都の伏見稲荷の袋小路のドンヅマリの食堂に一年ばかり下宿していたことがあった。
はじめ私が泊ったころはタダの食堂、弁当の仕出し屋にすぎなかったが、六十ぐらいのここのオヤジが碁気ちがいだ。毎晩私に挑戦する。
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掲載記事1989年 - karatanibiblio @ ウィキ - karatanibiblio @ ウィキ
.5.15→講談社学術文庫、1995.6 →改題「小説という闘争:中上健次」『坂口安吾と中上健次』太田出版、1996.2→講談社文芸文庫、2006.9 →加筆修正・改題「近代文学の終り」、『定本 -
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掲載記事1988年 - karatanibiblio @ ウィキ - karatanibiblio @ ウィキ
について:坂口安吾『堕落論』」、『新潮』1988年12月号「特集=昭和文学の結節点」 →『坂口安吾と中上健次』太田出版、1996.2→講談社文芸文庫、2006.9● 「中野重治と転向」、『中央 -
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