安吾巷談 10 世界新記録病 - 坂口 安吾 ( さかぐち あんご )
安吾巷談
世界新記録病
スポーツというものは自らたのしむ境地で、それ自体に好戦的な要素はないものだ。国際競技とか、対校試合とかいうのも、世界の現状が国家単位であったり、チームが学校に属しているからの便宜的な区分で、スポーツは本来、個人的なもの(チームをも個とみて)である。現状に於てもスポーツの最高エベントは国際試合に限るわけでなく、ウインブルトンの庭球、又はプロ・ボクシングの世界選手権試合に於けるが如く、人種、国家の如何をとわず、最高エベントが個人的に争われている例も少くはない。年々アメリカで行われていた千五百|米(メートル)のインドアレース(陸上)なども、オリムピックのレース以上に豪華な大レースを展開するのが例で、こういうレースの在り方は選手がプロ化する危険はあるが、スポーツ本来としては、このように個人的に争わるべき性質のものだ。
スポーツも勝負であるから、勝敗を争うのは当然であるが、それと同時に、練習の結果をためしている賭の要素が大きい。練習をつみ、その技術に深入りするほど、賭に打込む情熱も大きなものになる。偶然にまかせるルーレットの類とちがって、練習というものは合理的なものだ。いや、力というものを技術によって合理化し、ほぼ、あますところなく合理化してしまうのが、訓練、又は、練習というものなのである。もう一つ、その上に、試合に際して、相手とせりあって発する場合の力というものがある。つまり、勝負強いとか、勝負師の力があるとか云われているものが、これだ。そして、これが、賭というものなのである。
吉岡が十秒三のレコードを何度もだした。だからメトカルフとせり合って一着になる可能性があると時計から割りだしたって、どうにもならない。本当の勝負というものはタイムではなくて、相手が自分より一米出ているから、これを抜いてでる、これを力といい、レースという。吉岡は百米を何十歩だかで走り、そのきまった歩数で走る時によいレコードがでるというようなことを言っていたが、そのような独走的な、又、無抵抗なものは、単に机上の算数であって、力というものではない。レースは相手とせりあうことによって、相手をぬいて行く力を言うのである。吉岡は決勝にものこらなかった。
水上競技も、古橋の出現までは、時計をたよりに勝負の力というものを忘れていた。タイムで比較して、勝つ、勝つ、と云いながら、四百米では、勝ったことがない。バスタークラブとか、メディカの力というものを忘れていたのである。日本の水泳選手で、アメリカのお株をうばって、レースの力というものを見せてくれたのは古橋だ。今度の日米競泳でも、古橋は勝負強さを見せてくれた。タイムの問題ではなくて、相手が自分の前にいるから、これを抜く、という力なのである。日本は古橋一人だが、アメリカの選手は概ね時計の選手ではなくて、レースの選手なのだ。負けたとはいえ、古橋をタッチの差まで追いつめたマクレンの二百米の追泳ぶりは力の凄さを如実に示している。四百米リレーでも、マクレンはあんまり得意の種目ではない百米で、百米専門の浜口を二米ぬいて、寄せつけなかった。タイムでどうこういうのでなくて、相手次第、せり合って負けないという型なのである。
欧米選手は概ねこの型のレース屋なのである。日本の選手は箱庭流のタイム屋だ。しかし、日本の選手だって、レースに於て賭けることを忘れているわけはない。現に古橋のような超特別のレース屋も現れている。しかし外国選手はレース屋という点では、たいがい古橋に負けず劣らずだ。これは食べ物の相違、体力の相違と見るべきかも知れない。
運動選手というものは、練習中に、自分の最高タイムを知る、というやり方は、あんまりとらないものだ。限界が分ると困ったことになるからだ。ジャンプ競技は特別そうで、自分の限界へくると、バアを一センチあげても、一尺あがったような恐怖を感じてしまうものだ。この恐怖を克服するのは並たいていのことではない。そこで、ふだんはバネをつける練習に主点をおいて、本当に飛ぶ練習は、フォームの練習だけにとめておく程度で、全部を試合に賭ける。競走にしろ、水泳にしろ、レースというものはタイムではなくて、競りあいなのだから、練習というものによって、力を技術的に合理化したアゲクに於ては、結局、競り合い、相手次第の賭が全部ということになるのだ。
碁や将棋でも同じことで、呉清源や、木村や、大山は、特に妙手をさすでもなく、技術はさほどぬきんでてもいないが、勝負づよい、という。そして、だから、天才というのではなくて、ネバリ屋だなどゝ、言いだしベイは誰だか知らないが、商売人までみんなそう言って、それですんでいるのである。これ即ち、十秒三の吉岡流であり、箱庭水泳のタイム流というもので、競り合いに現れてくる力、勝負の差はそれが決定的なものだということを知らないのである。人事をつくして(というのは、合理的な訓練をつくした上で)最後には競りあいに賭ける。そのとき現れてくる力の差が、本当の力の差である。フォームが美しくて、独走とか独泳にさいしてピッチに閃きがあるといっても、競り合いで役に立たなければ、ダメなのである。棋理に明るいったって、力ではない。理に通じることと、レースの強さは別のものだ。
すべてを試合にかける、出たとこまかせだ、というと、いかにも明快で、選手の心事は澄んでいるようであるが、そうは参らんものである。練習をつむにしたがって、自分の力の理にかなった限界というものは、これを知るまいと努めても、チャンと感じられてしまうから困る。ジャムプなどゝいう足のバネに依存するスポーツとなると、足の毛が一本ぬけたぐらいの重量の変化がしつこく感じられるぐらい、コンディションに敏感になりすぎてしまうのである。
スポーツも勝負であるから、勝敗を争うのは当然であるが、それと同時に、練習の結果をためしている賭の要素が大きい。練習をつみ、その技術に深入りするほど、賭に打込む情熱も大きなものになる。偶然にまかせるルーレットの類とちがって、練習というものは合理的なものだ。いや、力というものを技術によって合理化し、ほぼ、あますところなく合理化してしまうのが、訓練、又は、練習というものなのである。もう一つ、その上に、試合に際して、相手とせりあって発する場合の力というものがある。つまり、勝負強いとか、勝負師の力があるとか云われているものが、これだ。そして、これが、賭というものなのである。
吉岡が十秒三のレコードを何度もだした。だからメトカルフとせり合って一着になる可能性があると時計から割りだしたって、どうにもならない。本当の勝負というものはタイムではなくて、相手が自分より一米出ているから、これを抜いてでる、これを力といい、レースという。吉岡は百米を何十歩だかで走り、そのきまった歩数で走る時によいレコードがでるというようなことを言っていたが、そのような独走的な、又、無抵抗なものは、単に机上の算数であって、力というものではない。レースは相手とせりあうことによって、相手をぬいて行く力を言うのである。吉岡は決勝にものこらなかった。
水上競技も、古橋の出現までは、時計をたよりに勝負の力というものを忘れていた。タイムで比較して、勝つ、勝つ、と云いながら、四百米では、勝ったことがない。バスタークラブとか、メディカの力というものを忘れていたのである。日本の水泳選手で、アメリカのお株をうばって、レースの力というものを見せてくれたのは古橋だ。今度の日米競泳でも、古橋は勝負強さを見せてくれた。タイムの問題ではなくて、相手が自分の前にいるから、これを抜く、という力なのである。日本は古橋一人だが、アメリカの選手は概ね時計の選手ではなくて、レースの選手なのだ。負けたとはいえ、古橋をタッチの差まで追いつめたマクレンの二百米の追泳ぶりは力の凄さを如実に示している。四百米リレーでも、マクレンはあんまり得意の種目ではない百米で、百米専門の浜口を二米ぬいて、寄せつけなかった。タイムでどうこういうのでなくて、相手次第、せり合って負けないという型なのである。
欧米選手は概ねこの型のレース屋なのである。日本の選手は箱庭流のタイム屋だ。しかし、日本の選手だって、レースに於て賭けることを忘れているわけはない。現に古橋のような超特別のレース屋も現れている。しかし外国選手はレース屋という点では、たいがい古橋に負けず劣らずだ。これは食べ物の相違、体力の相違と見るべきかも知れない。
運動選手というものは、練習中に、自分の最高タイムを知る、というやり方は、あんまりとらないものだ。限界が分ると困ったことになるからだ。ジャンプ競技は特別そうで、自分の限界へくると、バアを一センチあげても、一尺あがったような恐怖を感じてしまうものだ。この恐怖を克服するのは並たいていのことではない。そこで、ふだんはバネをつける練習に主点をおいて、本当に飛ぶ練習は、フォームの練習だけにとめておく程度で、全部を試合に賭ける。競走にしろ、水泳にしろ、レースというものはタイムではなくて、競りあいなのだから、練習というものによって、力を技術的に合理化したアゲクに於ては、結局、競り合い、相手次第の賭が全部ということになるのだ。
碁や将棋でも同じことで、呉清源や、木村や、大山は、特に妙手をさすでもなく、技術はさほどぬきんでてもいないが、勝負づよい、という。そして、だから、天才というのではなくて、ネバリ屋だなどゝ、言いだしベイは誰だか知らないが、商売人までみんなそう言って、それですんでいるのである。これ即ち、十秒三の吉岡流であり、箱庭水泳のタイム流というもので、競り合いに現れてくる力、勝負の差はそれが決定的なものだということを知らないのである。人事をつくして(というのは、合理的な訓練をつくした上で)最後には競りあいに賭ける。そのとき現れてくる力の差が、本当の力の差である。フォームが美しくて、独走とか独泳にさいしてピッチに閃きがあるといっても、競り合いで役に立たなければ、ダメなのである。棋理に明るいったって、力ではない。理に通じることと、レースの強さは別のものだ。
すべてを試合にかける、出たとこまかせだ、というと、いかにも明快で、選手の心事は澄んでいるようであるが、そうは参らんものである。練習をつむにしたがって、自分の力の理にかなった限界というものは、これを知るまいと努めても、チャンと感じられてしまうから困る。ジャムプなどゝいう足のバネに依存するスポーツとなると、足の毛が一本ぬけたぐらいの重量の変化がしつこく感じられるぐらい、コンディションに敏感になりすぎてしまうのである。
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安吾巷談 10 世界新記録病 のリンク元
- http://atpedia.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
- http://atpedia.jp/word/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97
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- [[ezweb]] 池袋 2店舗目ショップ コンノ
- [[ezweb]] クロール 世界新記録
- [[ezweb]] バネをつける練習
- [[ezweb]] 坂口安吾 走り高跳び
- [[ezweb]] 坂口病
「安吾巷談 10 世界新記録病-坂口 安吾」の関連ページ
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坂口安吾 - 本と猫 - 本と猫
▽ページトップ■なぜ生きるんだ ‐自分を生きる言葉‐ ★★☆☆☆▽No.1▼次へ昔、何かで「安吾を読んでないヤツが読書家語るな」みたいな記事を目にしたことがあった。それで意地になって、読んでいなかったのが坂口安吾 -
主観的Book Review - 本と猫 - 本と猫
幸太郎/いしいしんじ/磯崎憲一郎/内田百閒/小川糸/小川洋子★か行海堂尊/角田光代/鏑木蓮/河上朔/菊地敬一/ゲッツ板谷★さ行坂口安吾/重松清/瀬戸内晴美★た行高杉 良/高任和夫/津島佑子/千野帽子/★な行 -
掲載記事1989年 - karatanibiblio @ ウィキ - karatanibiblio @ ウィキ
出版、1996.2→講談社文芸文庫、2006.9● 「解説 堕落の倫理」、坂口安吾『坂口安吾全集1』ちくま文庫、1989.12● 「あとがき」(1989.10.7.記)、『シンポジウム』思潮社、1989.12 -
掲載記事1988年 - karatanibiblio @ ウィキ - karatanibiblio @ ウィキ
について:坂口安吾『堕落論』」、『新潮』1988年12月号「特集=昭和文学の結節点」 →『坂口安吾と中上健次』太田出版、1996.2→講談社文芸文庫、2006.9● 「中野重治と転向」、『中央 -
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