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客居偶録 - 北村 透谷 ( きたむら とうこく )

  • ◆本◆現代日本文学全集4 S31発行 北村透谷/樋口一葉 q
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     其一 旅心  暫らく都門|熱閙(ねつたう)の地を離れて、身を閑寂たる漁村に投ず。これ風流|韻事(ゐんじ)の旅にあらず。自から素性を養ひて、心神の快を取らんとてなり。わが生、素(も)と虚弱、加ふるに少歳、生を軽うして身を傷(やぶ)りてより、功名念絶えて唯だ好む所に従ふを事とす。不幸にして籍を文園に投じ、猜忌(さいき)の境に身を※めり。斯の如きは素願にあらず、希(ねがは)くは名もなく誉もなき村人の中に交りて、わが「真村」をその幽囚より救はんか。

     其二 夏休

 天の炎暑を司(つかさど)る、必らずしも人を苦しむるのみにあらず。居常唯だ書籍に埋もれ、味なき哲理に身を呑まれて、徒(いたづ)らに遠路に喘(あへ)ぐものをして、忽焉(こつえん)、造化の秘蔵の巻に向ひ不可思議の妙理を豁破(くわつぱ)せしむるもの、夏の休息あればなり。学校より帰る人は、久しく疎遠なりし父兄の情を温め、官省職務より離るゝものは、家を携へて適好の閑を消す、斯くの如きは夏の恩恵なり。ひとり文界の浪士のみ之を占むるにあらず、無名の詩人、無文の歌客、こゝやかしこにさまよふめり。

     其三 村家

 わが来り投ぜしところは、都門を離るゝ事遠からずと雖(いへども)、又た以て幽栖(いうせい)の情を語るに足るべし。これ唯だ海辺の一漁村、人烟稀にして家少なく、数屋の茅檐(ばうえん)、燕来往し、一匹の小犬全里を護る。濤声松林洩れて襲ひ、海風清砂を渡つて来る。童子の背は渋を引きたる紙の如く黒く、少娘の嬌は半躰を裸(あ)らわして外出するによりて損せず。雄鶏昼鳴いて村叟の眠を覚さず、野雀軒に戯れて児童の之を追ふものなし。前家に碓舂(たいしよう)の音を聴き、後屋に捉績(そくせき)の響を聞く。人朴にして笑語高く、食足りて歓楽多し。都城繁労の人を羨(うらや)む勿(なか)れ、人間|縦心(しようしん)の境は爾(なんぢ)にあり。

     其四 暁起

 一鴉鳴き過ぎて、何心ぞ、我を攪破(かうは)する。忽(たちま)ち悟る人間十年の事、都(す)べて非なるを。指を屈すれば友輩幾個白骨に化し、壮歳久しく停まらざらんとす。逝(ゆ)く者は逐ふ可からず。来る者は未だ頼み難し。友を憶へば零落の人、親を思へば遠境にあり。寝を出て襟を正して端然として坐す。この身功名の為に生れず、又た濃情の為に生れず、筆硯を顧みて暫らく撫然たり。

     其五 乞食

 天の人に対する何ぞ厚薄あらん。富めるもの驕(おご)る可からず、貧しきもの何ぞ自ら愧(は)づるを須(もち)ひん。額上の汗は天与黄金、一粒の米は之れ一粒の玉、何ぞ金殿玉楼の人を羨まむ。唯だ憫(あは)れむべきは食を乞ふの人。天の彼を罰するか、彼の自ら罰するか、韓郎の古事、世に期し難く、靖節(せいせつ)の幽意、人の悟ることなし。
 夕陽西に傾いて戸々の炊烟(すゐえん)漸く上るの時、一群の村童、奇異の旅客を纏(まと)ふて来る。只だ見る粗造の木車一輛、之を挽(ひ)くものは五十に余れる老爺、之に乗るものは、十歳ばかりも他に増さるべし、乗るものは小鼓を打つて題目を誦し、挽くものは家に就いて喜捨を仰ぐ。髪は霜に打たれし蓬(よもぎ)の如く、衣は垢に塗(まみ)れて臭気高し。われは爾時、晩食を喫了して戸外に出で、涼を納(い)れて散策す。此の躰を見て惆悵(ちうちやう)として去る能はず、熟視すれば乗者の衣は三紋の、あはれ昔時を忍ぶ会津武士、脚は破衣を脱して露(あら)はるゝところ銃創を印し、眼は空しく開けども明を見ず。側目して両者を視れば、むかしながらの義は堅く、主の車を推して主の食を乞ひ、はる/″\と西国の霊塲に詣づるものと覚えたり。吁(あゝ)、当年豪雄の戦士官軍を悩まし奥州の気運を支へたりし快男子、今は即ち落魄(らくはく)して主従唯だ二個、異境に彷徨(はうくわう)して漁童の嘲罵に遭(あ)ふ。然も主は僕を捨てず、僕は主を離れず、木車一輛、山海を越えて百里の外に旅す。讃(ほ)むべきかな会津武士、この気節を以て而して斯の如し、深く人間学ぶに堪えたり。蝉羽子(せんうし)悄然として立つこと少時、渠(かれ)を招きて与(とも)に車を推し、之を小亭に引きて飯を命じ、鮮魚を宰(さい)して食はしめ、未だ言を交ゆる事多からず、其の旧事を回想せしめん事を恐るればなり。われ先づ去る、去る時語なく、無限の情あり。

     其六 海浴

 酒にあらず、色にあらず、人生憂を鎖するの途、豈(あに)少なからんや。炎熱|焦(や)くが如く樹葉皆な下垂するの時、海に下りて衣を脱すれば涼気先づ来る。浪高く小砂を転じ、忽(たちま)ち捲いて忽ち落つ、之れを見て快意そゞろに生じ、身を飜(ひるがへ)して浪上にのぼれば、自から虚舟の思あり。手を抜いて躰を進むるに心甚だ壮なり。濤声うしろに響いて気更に昂り、疲倦するまで還るを忘る。惜しいかな旅嚢(りよなう)バイロン詩集を携へず、その游泳の歌をこの浪上に吟ずるを得ざるを。

     其七 初月

 黄昏(たそがれ)家を出で、暫らく水際に歩して還(ま)た田辺に迷ふ。螢火漸く薄くして稲苗|将(まさ)に長ぜんとす。


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