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宣言一つ - 有島 武郎 ( ありしま たけお )

  • ○有島武郎『カインの末裔クララの家出』岩波文庫/昭15年初版
  • ○有島武郎『小さき者へ生まれ出づる悩み』岩波文庫/昭15年初版
  • 生れ出る悩み 有島武郎 初版本復刻 近代文学の名作
  • ●即決!復刻全集近代文学館ほるぷhon61有島武郎 生れ出る悩み
  • 「有島武郎(新潮日本文学アルバム9)」遠藤祐編集、1984新潮社
  • 有島武郎「惜しみなく愛は奪う」(文庫本)
  • ★即決 【或る女(下)】 有島武郎 古典
  • ●中古図書●日本文学全集 有島武郎集 集英社
  • ★即決 【或る女(下)】 有島武郎 古典
  • 有島武郎「小さき者へ」角川文庫昭和42年発行
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 思想実生活とが融合した、そこから生ずる現象――その現象はいつでも人間生活統一を最も純粋な形に持ち来たすものであるが――として最近日本において、最も注意せらるべきものは、社会問題の、問題としてまた解決としての運動が、いわゆる学者もしくは思想家の手を離れて、労働者そのものの手に移ろうとしつつあることだ。ここで私のいう労働者とは、社会問題の最も重要位置を占むべき労働問題の対象たる第四階級と称せられる人々をいうのだ。第四階級のうち特に都会生活している人々をいうのだ。
 もし私の考えるところが間違っていなかったら、私が前述した意味労働者は、従来学者もしくは思想家自分たちを支配すべきある特権を許していた。学者もしくは思想家学説なり思想なりが労働者運命を向上的方向に導いていってくれるものであるとの、いわば迷信を持っていた。そしてそれは一見そう見えたに違いない。なぜならば、実行に先立って議論が戦わされねばならぬ時期にあっては、労働者は極端に口|下手(べた)であったからである。彼らは知らず識らず代弁者にたよることを余儀なくされた。単に余儀なくされたばかりでなく、それにたよることを最上無二の方法であるとさえ信じていた。学者思想家も、労働者の先達であり、指導者であるとの誇らしげな無内容態度から、多少の覚醒はしだしてきて、代弁者にすぎないとの自覚にまでは達しても、なお労働問題の根柢的解決自分らの手で成就さるべきものだとの覚悟を持っていないではない。労働者はこの覚悟に或る魔術的暗示を受けていた。しかしながらこの迷信からの解放は今成就されんとしつつあるように見える。
 労働者人間生活改造が、生活に根ざしを持った実行の外でしかないことを知りはじめた。その生活といい、実行といい、それは学者思想家には全く欠けたものであって、問題解決の当体たる自分たちのみが持っているのだと気づきはじめた。自分たちの現在目前の生活そのままが唯一の思想であるといえばいえるし、また唯一の力であるといえばいえると気づきはじめた。かくして思慮深い労働者は、自分たちの運命を、自分たちの生活とは異なった生活をしながら、しかも自分たちの身の上についてかれこれいうところの人々の手に託する習慣を破ろうとしている。彼らはいわゆる社会運動家、社会学者動く所には猜疑(さいぎ)の眼を向ける。公けにそれをしないまでも、その心の奥にはかかる態度動くようになっている。その動き方はまだ幽(かす)かだ。それゆえ世人一般はもとよりのこと、いちばん早くその事実に気づかねばならぬ学者思想家たち自身すら、心づかずにいるように見える。しかし心づかなかったら、これは大きな誤謬(ごびゅう)だといわなければならない。その動き方は未だ幽かであろうとも、その方向に労働者動きはじめたということは、それは日本にとっては最近に勃発したいかなる事実よりも重大な事実だ。なぜなら、それは当然起こらねばならなかったことが起こりはじめたからだ。いかなる詭弁(きべん)も拒むことのできない事実成り行きがそのあるべき道筋を辿(たど)りはじめたからだ。国家権威学問の威光もこれを遮(さえぎ)り停めることはできないだろう。在来の生活様式がこの事実によってどれほどの混乱に陥ろうとも、それだといって、当然現わるべくして現われ出たこの事実をもみ消すことはもうできないだろう。
 かつて河上肇(かわかみはじめ)氏とはじめて対面した時(これから述べる話柄は個人的なものだから、ここに公言するのはあるいは失当かもしれないが、ここでは普通礼儀をしばらく顧みないことにする)、氏の言葉の中に「現代において哲学とか芸術とかにかかわりを持ち、ことに自分哲学者であるとか、芸術家であるとかいうことに誇りをさえ持っている人に対しては自分侮蔑(ぶべつ)を感じないではいられない。彼らは現代がいかなる時代であるかを知らないでいる。知っていながら哲学芸術に没頭しているとすれば、彼らは現代から取り残された、過去に属する無能者である。彼らがもし『自分たちは何事もできないから哲学芸術をいじくっている。どうかそっと邪魔にならない所に自分たちをいさしてくれ』というのなら、それは許されないかぎりでもない。しかしながら、彼らが十分の自覚と自信をもって哲学なり、芸術なりにたずさわっていると主張するなら、彼らは全く自分立場を知らないものだ」という意味を言われたのを記憶する。私はその時、すなおに氏の言葉受け取ることができなかった。そしてこういう意味言葉をもって答えた。「もし哲学者なり芸術家なりが、過去に属する低能者なら、労働者生活をしていない学者思想家もまた同様だ。それは要するに五十歩百歩の差にすぎない」。この私の言葉に対して河上氏はいった、「それはそうだ。だから私は社会問題研究者としてあえて最上生活にあるとは思わない。私はやはり何者にか申しわけをしながら、自分仕事に従事しているのだ。……私は元来芸術に対しては深い愛着を持っている。芸術上の仕事をしたら自分としてはさぞ愉快だろうと思うことさえある。しかしながら自分内部的要求は私をして違った道を採らしている」と。これでここに必要な二人の会話のだいたいはほぼ尽きているのだが、その後また河上氏に対面した時、氏は笑いながら「ある人は私が炬燵(こたつ)にあたりながら物をいっていると評するそうだが、全くそれに違いない。あなたもストーヴにあたりながら物をいってる方だろう」と言われたので、私もそれを全く首肯した。河上氏にはこの会話の当時すでに私とは違った考えを持っていられたのだろうが、その時ごろの私の考えは今の私の考えとはだいぶ相違したものだった。今もし河上氏があの言葉を発せられたら、私はやはり首肯したではあろうけれども、ある異なった意味において首肯したに違いない。今なら私は河上氏の言葉をこう解する、「河上氏も私も程度の差こそあれ、第四階級とは全く異なった圏内に生きている人間だという点においては全く同一だ。河上氏がそうであるごとく、ことに私は第四階級とはなんらの接触点をも持ちえぬのだ。私が第四階級の人々に対してなんらかの暗示を与ええたと考えたら、それは私の謬見(びゅうけん)であるし、第四階級の人が私の言葉からなんらかの影響を被(こうむ)ったと想感したら、それは第四階級の人の誤算である。第四階級者以外の生活思想とによって育ち上がった私たちは、要するに第四階級以外の人々に対してのみ交渉を持つことができるのだ。


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