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寒の夜晴れ - 大阪 圭吉 ( おおさか けいきち )

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  • 上戸彩 写真集「晴れのち雨、のち晴れ。」の切り抜き
  • 上戸彩 写真集 『晴れのち雨、のち晴れ』水着
  • 上戸彩 写真集 晴れのち雨、のち晴れ
  • ☆上戸彩 写真集 『晴れのち雨、のち晴れ』 初版☆
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 また雪の季節がやって来た。雪というと、すぐに私は、可哀そうな浅見三四郎(あさみさんしろう)のことを思い出す。
 その頃私は、ずっと北の国の或る町の――仮にH市と呼んでおこう――そのH市の県立女学校で、平凡国語教師を勤めていた。浅見三四郎というのは、同じ女学校英語教師で、その頃の私の一番親しい友人でもあった。
 三四郎実家は、東京にあった。かなり裕福な商家であったが、次男坊で肌合の変っていた三四郎は、W大学英文科を卒(お)えると、教師になって軽々(かるがる)諸国行脚の途についた。なんでも文学を志したというのだが、いまだ志成らずして、私とH市で落合った頃には、もう三十|面(づら)をかかえて八つになる子供のいい父親になっていた。少しばかり気の短い男だったが、それだけに腹のないひどく人の好い男で、私は直ぐに親しくなって行った。もっとも、私が一番親しくしていたわけではない。誰れも彼も、三四郎を親しみ、三四郎に多かれ少かれ好意を持たない人はなかった。実家が裕福なためもあったろう、職員間でもなにかと心が寛(ゆる)く、交際も凡(すべ)て明るくて、変に理窟めいたところが少しもなかった。どうして、文学などという暗い道の辿れる男ではない。私はわけもなく親しくなって行きながら、すぐにそのことに気づいてしまった。
 わけても微笑ましいのは、家庭に於ける三四郎だった。どんなに彼が、美しい妻と一粒種の子供を愛していたか、それは女生徒達の、弥次気分も通り越した尊敬と羨望に現わされていた。事実私は、どの教師でも必らずつけられているニックネームを、三四郎に関する限り耳にした事がなかった。それはまことに不思議なことでさえあった。
 いまから思うと、すべての禍根は、こうした三四郎の円満な性格の中に、既に深く根を下していたのかも知れない。
 当時H市の郊外で、三四郎住居の一番近くに住っていたのは私だった。それで恐ろしい出来事の最初の報せを私が受けたのであるが、悪い時には仕方のないもので、恰度その頃、当の三四郎が暫く家を留守にしていた間のことであったので、不意を喰(くら)って私はすっかり周章(あわて)てしまった。三四郎が家を留守にしていたと云うのは、その頃県下の山間部に新しく開校された農学校へ、学務部からの指命を受け学期末の一ヶ月を臨時の講師に出掛けていたのだった。その農学校は二十五日から冬の休暇に入る予定であった。それで二十五日の晩には、三四郎はH市の自宅へ帰って来る予定だった。ところが不幸な出来事は三四郎よりも一日早く、二十四日の晩に持上ってしまった。
 その頃の三四郎の留守宅には、妻の比露子(ひろこ)の従弟(いとこ)に当る及川(おいかわ)というM大学学生が、月始めからやって来ていた。この男に関しては、私は余り詳しく知らない。ただ明るい立派青年で、大学スキー部に籍を置いていて、毎年冬になると雪国従姉のところへやって来ることだけは知っていた。全くH市の郊外では、もう十二月にもなれば、軒下からスキーをつけることが出来る。その及川と比露子と、その年の春小学校へ入ったばかりの、三四郎最愛の一粒種である春夫(はるお)の三人が、留守宅に起居していた。いってみれば及川は、三四郎の留守宅の用心棒と云った形だった。しかし奇怪な出来事は、それにもかかわらず降って湧いたように舞い下った。
 さて、十二月二十四日のその晩は、朝からどんより曇っていた鉛色の空が夕方になって崩れると、チラチラと白いものが降りはじめた。最初は降るともなく舞い下っていたその雪は、六時七時と追々に量を増してひとしきり激しく降りつのったが、八時になると紗幕(しゃまく)をあげたようにパタッと降りやんで、不意に切れはじめた雪の隙間から深く澄んだ星空が冴え冴えと拡がっていった。こうした気象の急変は、しかし、この地方では別に珍しくも思われなかった。いつでも冬が深くなると、寒三十日を中心にして気象がヘンにいじけて来るのだった。いつもいつも日中はどんよりと曇りつづけ、それが夜になると皮肉にもカラリと晴れて、月や星が、冴えた紺色夜空に冷く輝きはじめる。土地の人びとは、そのことを「寒(かん)の夜晴(よば)れ」と呼んでいた。
 八時に遅がけの夕飯を済ました私は、もう女学校休暇に入ったので、何処か南の方へ旅行に出掛ける仕度をしていた時だった。
 三四郎が級主任をしている補習科A組の美木(みき)という生徒が、不意に転げ込んで来て、三四郎の留守宅に持上った兇事の報せを齎(もた)らして来た。私は寒空に冷水を浴びた思いで、それでもすぐにスキーをつけると、あわてふためいて美木と一緒に走りはじめた。
 私達が家を出ると、直ぐに市内の教会から、クリスマス前夜(イヴ)の鐘が鳴りはじめたので、もうその時は九時になっていたに違いない。
 美木という生徒は、大柄な水々しい少女で、どこの女学校にもきまって二、三人はいる早熟組の一人だった。化粧することを心得、スカート長さがいつも変って、ノートの隅に小さな字で詩人の名ばかり書き並べていようという。美木はまた、よく三四郎のところへ遊びに来ていた。「浅見先生文学を教えて頂く」なぞと云いながら、三四郎の留守にも度々訪れたというのだから、その「文学」は三四郎でなく、及川にあったのかも知れない。いずれにしても美木は、その夜も三四郎の宅を訊ねて行ったという。けれども戸締りがしてないのに家の中に人の気配がないと、ふと不審を覚えていつもの軽い気持で玄関から奥へ通ずる扉(ドア)を開けてみた。そして家の中の異様な出来事をみつけると、一番近い私のところまで駈けつけて来たという。
 さて、私の家から三四郎の家までは、スキーで行けば十分とかからない。
 三四郎住居は、丸太材を適度に配したヒュッテ風の小粋な住居(すまい)で、同じように三軒並んだ右端の家であった。


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