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小祝の一家 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
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        一  二月の夜、部屋に火の気というものがない。  乙女肩当て穢れた染絣の掻巻(かいまき)をはおり、灰のかたまった茶色の丸い瀬戸火鉢の上へヘラ台の畳んだのを渡したところへ腰かけテーブルへ顔を伏せて凝(じ)っとしている。
 厳しい寒気は、星の燦く黒い郊外の空から、往来や畑の土を凍らし、トタン屋根をとおし、夜と一緒に髪の根にまでしみて来る。
 テーブルの前に低く下った電燈のあたたかみが微に顔に感じられた。電燈はすぐ近くに乙女の艶のない髪を照し、少しはなれて壁際に積まれたビールの空箱の中の沢山の仮綴の書籍を照し出している。テーブルのニスが滑らかに光った。その光沢はいかにも寒げで、とても手を出す気がしない。――
 暫くして、乙女が懐手をしたまま、顔だけ掻巻の袖の上から擡げ、
「――湯たんぽ、まだ冷えないかい?」
 ゆっくりした、一言一言に力をこめたような口調で夫の勉に訊いた。
 同じテーブルに向って正面のところには、家じゅうただ一脚の籐椅子にかけて、勉が、やっぱり掻巻をドテラがわりにシャツの上から着て頬杖をついている。勉は、北国生れの色白な顔に際立って大きい口元を動かし、口重げに、
「いや。……やろうか?」
と云った。
「いいえ、いい」
 二人ながら小柄な体へ掻巻をかぶった夫婦はまた黙りこみかけたが、今度は乙女が、
「――祖父(じっ)ちゃん、本当にミツ子こと小包にして送ってよこすかしんないね」
 長い眉毛をつり上げたような表情で云い、不安そうに荒れている自分の唇をなめた。
「ふむ……」
祖父(じっ)ちゃん……――何すっかしんないよ」
「…………」
 テーブルの上に、塵紙のような紙に灰墨で乱暴に書いた貞之助の手紙があった。年よりならきッと書きそうな冒頭の文句も何もなしで、いきなり、度々手紙をやったがいつ金を送ってよこすつもりかと書き出し、東京貴様はどんな偉い運動をやっているか知らんが、こっちでは一家五人が飢え死にしかけている。総領息子貴様はどうしてくれる。金をよこさないのなら、手足まといのミツ子を小包にしてでも送りかえす。そのつもりでいれ! かすれたり、そうかと思うとにじんだり、貞之助の頑固に毛ばだった眉毛思い出させる不揃いの文字罵倒しているのであった。小祝勉殿と書いてある封筒の下のところに、ひどい種油の汚点がついて、それがなかみまで透っている。
 故郷のA市で、貞之助はここ数年間、毎朝納豆の呼び売りをしていた。おふくろのまきは夜になると親父をはげまして自分から今川焼屋台を特別風当りのきつい、しかし人通りの繁い川岸通りまで引き出して一時頃まで稼ぎ、小学を出た弟の勇は銀行給仕に通った。それで、妹のアヤを合わせて一家が暮しているのであった。
 勉夫婦が、三つのミツ子をそんな暮しの中へあずけたのには、わけがあった。
 前年の春、勉は仕事をしているプロレタリア文化団体関係でやられ、びんたをくわされたのが原因で、悪性中耳炎になった。勉は脳膜炎をおこすほどになったとき警察から、施療の済生会病院へ入れられた。そこでは軍医の卵が、一々そこを切れ、あすこをつめろと教えられながら勉の耳を手術した。その後の手当専門医が診てびっくりしたほど粗末な扱いで、夏に入って、極め悪性の乳嘴突起炎を起した。友達のつてで別の病院入院したが危篤の状態が一ヵ月以上も続いた。コサック帽のように頭に巻きつけた繃帯の上まで血をにじませて寝ている勉が果して恢復するかどうかということは、耳鼻科主任の、練達な手術を施した医者にさえ明言出来なかったのである。勉を生かそうとする努力の裡で乙女友達着物をかりて質に入れるようなひどい苦面をし、やっと夜汽車にのってミツ子を祖父(じい)さん祖母(ばあ)さんのところへ謂わば押しつけに置いて来たのであった。
 二円、三円と金を送れたのは、初めの二三ヵ月のことであった。秋が深まってから、乙女は手編の毛糸マントをミツ子に送ってやった。養育費を送るという年より達との初めの約束は実現されなくなった。勉の命はとりとめた。けれども、その春以来、彼がその団体献身的に働いていた出版部の活動非常な困難に陥った。人手がなく、そして、金もなかった。朝、勉が丹精して集めた古い「マルクス主義」の合本を抱え外套の襟を立てて耳の傷をかばい表から出かけると、乙女がその後を締めて水口から自分もついて出、顔なじみの古本屋店頭で勉から十銭玉いくつか貰って引かえす。そういうことが一度ならずあった。
 先ず、金を送って貰いたい。次いで、ミツ子がどんなにまきの手をふさぎ、そのために「おやき」の商売も減って来たかということを、勇の筆跡で細々(こまごま)くどいてよこした。勉夫婦は、自分達が金を送れないことについて深く気の毒に思った。だが、今川焼の売り上げがだんだん減るということを、一概にミツ子の厄介の故とばかりきめて小言を云って来ている親父の考えの狭さに勉はいやな感情をもった。十七になる次男坊の勇が、親父の云うまま、一行自分の文句を加えずそのくどくどした手紙を書いてよこした気持をも、勉は少年時代から家を見た自身の経験から見落していなかった。A市は東北飢饉地方にまきこまれていた。戦争になってからこの地方一帯の農家の困りかたは甚しかった。暮に、若者兵隊に出した家のおっかあ連がかたまって戦地からかえせと押しかけたような事件もあった。川風が凍みるからと云って、焼き立ての「おやき」の熱いところを懐へ入れ、それを喰い喰い夜遊びから帰る若者が減るのは当然のことであった。そんな小銭がつかえる者は「おやき」をやめて、ワンタン屋の屋台に入った。
 勉は、真面目にそういう世の中の有様を説明し、自分たちの生活の窮迫の原因をも、そういうものとして貞之助の納得のゆくように書き、わきに、この手紙は勇にも必ず読ますようにと書き添えたのであった。
 程経って来た貞之助の手紙は、そういう勉の努力が全く無駄であることを示した。貞之助は鈍重な狡(ずる)さを働かせ、暮しの行詰りの全責任をこの機会に長男である勉の肩にうつしてしまおうと、孫のミツ子をかせにつかいはじめたのであった。


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