小鈴 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )
弟の家内が今年の正月で三十三を迎えた。三十三は女の厄年といわれている。
厄年というものを迷信的に考えはしないけれど、たとえば女の子の十六歳、十九歳などという年齢を、何か意味あるけじめのように見ることは、その年頃の生理やそれにつれて激しく動く感情の波立ちから、全然根拠が無いとも思われない。三十三という年ごろも、女の生涯からみれば、何かそこに配偶の年や生活環境ということからもかかわって来る様々の変化が予想されないものでもないのかもしれない。日本のしきたりでは、良人と妻とは七つ八つ年が違うのが普通だから、その年ごろの妻たちは大体四十前位の良人をもっているわけで、男の人たちの社会へ向う心持、事業に向う心持、異性に向う心持は、やはり四十歳ごろ一つの変転を経るのが一般らしい。三十三が女の大厄と昔のひとの云ったのは、案外そこいらの機微にふれているのかとも思う。
昔の生活の輪は女にとってきびしくとも小さかったから、その頃の三十三の女のひとたちは、自分の身一つの厄除けを家運長久とともに、神へでも願をかけ、何かの禁厭をして、その年を平安に送ることに心がけたのだろう。
暮になったとき柔和な顔を忙しさで上気させている弟の家内の日頃の姿を目に浮かべ、私は何を三十三のお祝にやったらいいだろうと考えながら銀座を歩いた。
私が十九の時母は紅白の鱗形の襦袢の袖を着せた。三十三もやっぱり鱗なのかしら。私の三十三歳の一年などというものは、はたも自分もそんなことを思うどころでない朝夕の動きの間で過ぎたのであったが、もし本気で厄除けなどを考えだしたら、今年のような世の中を凌ぐ主婦たちに、どんな禁厭が利くというのだろう。それを思うと、今日では女の身の上にも昔の厄の呪文のような輪なんか、とうにもっと大きいものの中にふっ飛ばされてしまっていることが痛切に感じられて、面白く愉快な気持がした。
私たちの今日の生活では、自分一つの身を安泰に保つ可能などというものが云ってみれば根底から失われて来ている。自分だけで除けられる厄というようなものは、せいぜい健康上の注意位のものだろう。そのことにしても、既に一般的な困難の条件の上に見出される種類のものとなっている。
正月になってから街へ出た不図した折に、私はある店で小さい鈴を見つけた。財布につける極くありふれた鈴で、赤い緒のちょいとついた一個八十五銭ほどの鈴である。何心なく手にとってその鈴の束の鳴る音を聴いていたら、同じような小鈴ながら中にはいくらか澄んだいい音色のものもあって、可愛い心が誘われた。
馬だって初荷のときは鈴をつけられる。私の弟のやさしい従順な家内が、あんなに朝から晩まであれこれ心をくばって暮しているのに、腰紐に小さい鈴が一つくっついていて、朝身じまいをするときだの、夜着物をきかえる時だの、何処かでチリリと鳴ったとしたら、やっぱりそれはわるい心地もしないだろう。
同じ店にあった紅の小袋にその鈴をいれて、お年玉とした。これは、今年のお祝いよ、歩めよ小馬、のお祝いよ。そう云ってわたした。
いろんな女のひとの生活をみていると、この頃では二十五六歳という年が、複雑な内容でその人たちの行く手に現われるのがよくわかる。何か一つ遣りたいこと、しとげたい目的をもっている女性にとって、二十五・六という年は結婚とも絡んで愈々そのことに本腰にならせるか、或は余技的なものにするかという境のようなところがある。そんなことでも、二十五は男の厄という古い現実はいつか消しとばされているのである。
〔一九四一年三月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「モダン日本」
1941(昭和16)年3月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
厄年というものを迷信的に考えはしないけれど、たとえば女の子の十六歳、十九歳などという年齢を、何か意味あるけじめのように見ることは、その年頃の生理やそれにつれて激しく動く感情の波立ちから、全然根拠が無いとも思われない。三十三という年ごろも、女の生涯からみれば、何かそこに配偶の年や生活環境ということからもかかわって来る様々の変化が予想されないものでもないのかもしれない。日本のしきたりでは、良人と妻とは七つ八つ年が違うのが普通だから、その年ごろの妻たちは大体四十前位の良人をもっているわけで、男の人たちの社会へ向う心持、事業に向う心持、異性に向う心持は、やはり四十歳ごろ一つの変転を経るのが一般らしい。三十三が女の大厄と昔のひとの云ったのは、案外そこいらの機微にふれているのかとも思う。
昔の生活の輪は女にとってきびしくとも小さかったから、その頃の三十三の女のひとたちは、自分の身一つの厄除けを家運長久とともに、神へでも願をかけ、何かの禁厭をして、その年を平安に送ることに心がけたのだろう。
暮になったとき柔和な顔を忙しさで上気させている弟の家内の日頃の姿を目に浮かべ、私は何を三十三のお祝にやったらいいだろうと考えながら銀座を歩いた。
私が十九の時母は紅白の鱗形の襦袢の袖を着せた。三十三もやっぱり鱗なのかしら。私の三十三歳の一年などというものは、はたも自分もそんなことを思うどころでない朝夕の動きの間で過ぎたのであったが、もし本気で厄除けなどを考えだしたら、今年のような世の中を凌ぐ主婦たちに、どんな禁厭が利くというのだろう。それを思うと、今日では女の身の上にも昔の厄の呪文のような輪なんか、とうにもっと大きいものの中にふっ飛ばされてしまっていることが痛切に感じられて、面白く愉快な気持がした。
私たちの今日の生活では、自分一つの身を安泰に保つ可能などというものが云ってみれば根底から失われて来ている。自分だけで除けられる厄というようなものは、せいぜい健康上の注意位のものだろう。そのことにしても、既に一般的な困難の条件の上に見出される種類のものとなっている。
正月になってから街へ出た不図した折に、私はある店で小さい鈴を見つけた。財布につける極くありふれた鈴で、赤い緒のちょいとついた一個八十五銭ほどの鈴である。何心なく手にとってその鈴の束の鳴る音を聴いていたら、同じような小鈴ながら中にはいくらか澄んだいい音色のものもあって、可愛い心が誘われた。
馬だって初荷のときは鈴をつけられる。私の弟のやさしい従順な家内が、あんなに朝から晩まであれこれ心をくばって暮しているのに、腰紐に小さい鈴が一つくっついていて、朝身じまいをするときだの、夜着物をきかえる時だの、何処かでチリリと鳴ったとしたら、やっぱりそれはわるい心地もしないだろう。
同じ店にあった紅の小袋にその鈴をいれて、お年玉とした。これは、今年のお祝いよ、歩めよ小馬、のお祝いよ。そう云ってわたした。
いろんな女のひとの生活をみていると、この頃では二十五六歳という年が、複雑な内容でその人たちの行く手に現われるのがよくわかる。何か一つ遣りたいこと、しとげたい目的をもっている女性にとって、二十五・六という年は結婚とも絡んで愈々そのことに本腰にならせるか、或は余技的なものにするかという境のようなところがある。そんなことでも、二十五は男の厄という古い現実はいつか消しとばされているのである。
〔一九四一年三月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「モダン日本」
1941(昭和16)年3月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
宮本 百合子 (みやもと ゆりこ) 以外のオススメ作品
- 天津教古文書の批判 - 狩野 亨吉
- 右門捕物帖 18 明月一夜騒動 - 佐々木 味津三
- 幼き日 (ある婦人に与ふる手紙) - 島崎 藤村
- 路傍の雑草 - 島崎 藤村
- 女王 - 野口 雨情
小鈴 (こすず) のリンク元
「小鈴-宮本 百合子」の関連ページ
-
あ行/あ/荒川百合子 - ゴルフくちこみリンク&掲示板 - ゴルフくちこみリンク&掲示板
荒川百合子をお気に入りに追加くちこみリンク最近のブログから「荒川百合子」は見つかりませんでしたtechnorati検索から「荒川百合子」は見つかりませんでしたキャッシュ 使い方 サイ -
女子アナ - 巨尻タレント@wiki - 巨尻タレント@wiki
PR:巨尻専門サイト↓ヒップサイズ1メートル!! 巨尻家庭教師↓江藤愛皆藤愛子 秋元優里進藤晶子夏目三久吉田小江子根本美緒高畑百合子堀井美香加藤シルビア葉山エレーヌ酒井ゆきえ小谷真生子武内陶子岡安弥生石本沙織青山祐子丸岡いずみ山本モナ延友陽子中井美穂宮本 -
あ行/あ/荒川百合子 - ゴルフくちこみリンク&掲示板 - ゴルフくちこみリンク&掲示板
荒川百合子をお気に入りに追加引っ越しました!新しいサイトはこちらをクリックrakuten_design=slide;rakuten_affiliateId=04a91095.52a5fed9 -
堀 百合子 - 堀さんと宮村くんwiki - 堀さんと宮村くんwiki
堀 百合子(ほり ゆりこ)棘のある人京介の夫。京子と創太の母。茶髪。おっとりした性格。京介と別居していたが30「灰色の男」からまた一緒に住むようになる。働いていて家にいないことが多い。仕事 -
自民/か行/小池百合子 - 永田町二丁目情報部 - 永田町二丁目情報部
小池百合子をお気に入りに追加くちこみリンクWed, 14 Oc小池百合子さん - 日本再発見ノート ~地域づくりコンサルタントの見聞録~Wed, 21 Oc「反環境」で「共闘」する真正保守(笑)と政 -
投票 文化人・政治家・その他 - 巨尻タレント@wiki - 巨尻タレント@wiki
%) 小池百合子 16 (1%) 飯島みゆき 15 (1 -
投票 女子アナ部門 - 巨尻タレント@wiki - 巨尻タレント@wiki
%) 高畑百合子 181 (3%) 田代杏子 155 (3 -
2000年11月◆川崎ロック - STRIPwiki - STRIPwiki
11/21~311.牧瀬茜2.坂上なつみ.3.夕貴美保4.細川百合子.5.葉山小姫6.白石琴子.11/16~201.牧瀬茜2.詩月琴美.3.星野さやか4.細川百合子.5.葉山小姫6.白石琴子.11 -
さ行 - とある魔術の禁書目録 Index - とある魔術の禁書目録 Index
最強スレ「三巻まで」ルール次巻予告修羅場白い悪魔真・■■スクライドスクールデイズ鈴科百合子(すずしなゆりこ)鮮血の結末相関図そげぶそげぶ病その幻想をぶち殺す! -
カーラ/コメントログ - Flora's Secret - Flora's Secret
くかっこいいと思いますよ? -- (百合子) 2007-02-27 164354 おだてても何もでないと知ってて言ってるなら上等だ -- (カーラ) 2007-03-01 121605
