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山陰土産 - 島崎 藤村 ( しまざき とうそん )

  • isco【釣】月刊 山陰の釣り 2004年 1-12月号 12冊
  • 〔未使用〕山陰観光列車みすゞ潮彩(複数枚有)
  • 1977年03月 交通公社の全国小型時刻表 四国山陰南近畿時刻改正
  • 山陰・三朝温泉◆三朝館◆特別宿泊割引券 【\17,150⇒\12,950】
  • ★消えた走る鉄道郵便車両、消印、山陰線取扱便、最終印7便 ★
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  • 全国ダイヤ式時刻表 昭和35年 中国・四国・山陰・近畿・九州編
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    一 大阪より城崎(きのさき)へ  朝曇りのした空もまだすゞしいうちに、大阪の宿を發(た)つたのは、七月の八日であつた。夏帽子一つ、洋傘一本東京を出る前の日に「出來(でき)」で間に合はせて來た編あげの靴も草鞋をはいた思ひで、身輕な旅となつた。
 こんなに無雜作に山陰行の旅に上ることの出來たのはうれしい。もつとも、今度は私一人の旅でもない。東京から次男の鷄二をも伴つて來た。手荷物も少なく、とは願ふものの、出來ることなら山陰道の果(はて)までも行つて見たいと思ひ立つてゐたので、着更へのワイシヤツ、ヅボン下、寢衣(ねまき)など無くてかなはぬ物の外に、二三の案内記をも携へてゆくことにした。私達は夏服のチヨツキも脱いで、手提かばんの中に納めてしまつた。鷄二は美術書生らしい繪具箱を汽車のなかまで持ち込んで、いゝ折と氣にいつた景色とでもあつたら、一二枚の習作を試みて來たいといふ下心であつた。畫布なぞは旅の煩ひになるぞ、さうは思つても、それまで捨ててゆけとはさすがに私もいへなかつた。かうして私達二人は連れ立つて出かけた。汽車新淀川を渡るころには最早なんとなく旅の氣分が浮んで來た。
 關西地方を知ることの少い私に取つては、ひろ/″\とした淀川流域を見渡すだけでもめづらしい。私も年若な時分には、伊賀近江一部から大和路へかけてあの邊を旅し※つたことがあつて、殊に琵琶湖のほとりの大津膳所(ぜぜ)、瀬田、石山あたりは當時の青年時代のなつかしい記憶のあるところであり、好きな自然としては今でもあの江州(がうしう)の地方をその一つに思ひ出すくらゐであるが、それから三十年あまりこのかた、私の旅といへば、兎角足の向き易い關東地方に限られてゐた。私は西は土佐あたりまでしか知らない。山陰山陽方面には全く足を踏みいれたことがない。山陰道とはどんなところか。さう思ふ私は、多くの興味をかけて東京を發(た)つて來たと同時に、一方には旅の不自由懸念しないでもなかつた。地名のむづかしさには、まづ苦しむ。しかし、鷄二とさし向ひに汽車の窓際に腰かけて、一緒に乘つてゆく男女旅客風俗を眺めたり、大阪の宿からもらつて來た好ましい扇子などを取り出して見たりするころには、私もこの旅に上つてくるまでのいろ/\な心づかひを忘れてゐた。
 大阪近郊の平坦な地勢は、甲(かぶと)、武庫(むこ)、六甲(ろくかふ)の山々を望むあたりまで延びて行つてゐる。耕地はよく耕されてゐて、ぶだう畠、甘藷の畠なぞを除いては、そこいらは一面の青田だ。まだ梅雨期のことで、眼にいるものは皆涼しく、そして憂鬱であつた。伊丹から池田までゆくと、花を造つた多くの畠を見る。街路樹のベツドかと見えて、篠懸(すゞかけ)の苗木が植ゑてあり、その間には紫陽花(あぢさい)なぞがさき亂れてゐた。さすがにその邊までは大阪のやうな大きな都會を中心に控へた村々の續きらしくも思はれた。

 大阪から汽車で、一時間半ばかり乘つてゆくうちに、はや私達はかなりの山間に分け入る思ひをした。同車した乘客のなかには、石のあらはれた溪流を窓の外に指さして見せて、それが武庫川であると私達に教へてくれる人もある。これからトンネル一つ過ぎると丹波の國であるとか、こゝはまだ攝津の中であるとか、そんなことを語り合ふのも汽車の旅らしかつた。
 正午過ぐるころに、藍本(あゐもと)といふひなびた停車場を通つて丹波の國に入つた。まだ私達は半分大阪の宿にゐる氣がしてあの關西風格子戸や暗くはあるが清潔な座敷からいくらも離れて來てゐないやうな心地もしてゐたのに、眼に見るものは全くそれらとかけはなれた緑の世界であつた。ところ/″\にさいた姫百合の花も周圍の單調を破つてゐた。古市(ふるいち)の驛を通り過ぎたところには、どつちを向いて見ても滴るやうな濃い緑ばかり。宛(あた)かも青い木の葉を食ふ蟲の血が緑色であるやうに、私達の總身の血潮までその濃い緑に變るかと疑はれるばかりだ。思ひ比べると、大阪の宿で見て來た庭の草木の色はなかつた。半生を東京の町中に多く暮して來た私などが、あの深い煤煙と塵埃との中に息づいてゐるやうな幹も草も黒ずみくすぶつた都會の樹木を笑へた義理でもない。漸くのことで、私も日頃の自然に遠い生活から離れて來て、思ふさま七月の生氣を呼吸することの出來るやうな旅に身を置き得た心地もした。
 何を見、何を拾はうとして、私は鷄二と一緒にこの山陰行の旅に上つて來たのであるか。はじめて見る山陰道、關東を見た眼で見比べたらばと思ふ關西の地方、その未知の國々がこれからゆく先に私達を待つてゐた。しかし、そんなに深く入つて見るつもりで、私はこの旅に上つて來たものではない。むしろ多くの旅人と同じやうに、淺く浮びあがることを樂しみにして、東京の家を出て來たものである。その意味からいつても、重なり重なる山岳の輪廓を車窓の外に望みながら、篠山(さゝやま)まで來た、丹波大山まで來た、とゆく先の停車場で驛々の名を讀み、更に次の驛まで何マイルと記してあるのを知り、時に修學旅行途中かと見えるやうな日に燒けた女學生の群が、車窓に近くゆき過ぐるのを眺めることすら、私はそれを樂しみにした。
 更に山地深く進んだ。
父さん柏原(かいばら)といふところへ來たよ」
柏原と書いて、(かいばら)か。讀めないなあ。」
 私も鷄二も首をひねつた。土地案内な私達は、ゆく先で讀みにくい地名に逢つた。石生と書いて、(いさふ)と讀ましてあるのも、むづかしい。その邊は生活に骨の折れさうな山村でもある。私達はやせた桑の畠などを見て通り過ぎた。黒井といふ驛あたりから、福知山(ふくちやま)迄は殆んど單調な山の上の旅で、長く續いた道を歩いて見たら、かなり退屈するだらうと思はれるところだ。


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