山鴫 関連リンク

芥川 竜之介 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

山鴫 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

  • 朗読CD 朗読街道30「魔術・妙な話・春の夜」芥川龍之介
  • 「芥川龍之介」 関口安義   岩波新書
  • ◆◇ 芥川龍之介 著「羅生門・鼻」(新潮文庫) ◇◆
  • 朗読CD 朗読街道28「トロッコ・蜜柑・片恋・他」芥川龍之介
  • 【netJIKOH】★文藝臨時増刊 芥川龍之介読本 昭和29年★
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 6』芥川龍之介★1円
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 1』芥川龍之介★1円
  • 芥川龍之介◆侏儒の言葉・西方の人◆続西方の人収録
  • 別冊毎日グラフ 芥川龍之介 生誕百年、そして今
  • 絶版■芥川龍之介【邪宗門・杜子春】新潮文庫帯/昭和42年/葱.秋
次のページ
芥川龍之介  千八百八十年五月何日かの日暮れ方である。二年ぶりにヤスナヤ・ポリヤナを訪れた Ivan Turgenyef は主(あるじ)の Tolstoi 伯爵と一しよに、ヴアロンカ川の向うの雑木林へ、(やましぎ)を打ちに出かけて行つた。
 鴫打ちの一行には、この二人の翁(おきな)の外にも、まだ若々しさの失せないトルストイ夫人や、犬をつれた子供たちが加はつてゐた。
 ヴアロンカ川へ出るまでの路は、大抵麦畑の中を通つてゐた。日没と共に生じた微風は、その麦の葉を渡りながら、静に土の匂を運んで来た。トルストイは銃を肩にしながら、誰よりも先に歩いて行つた。さうして時々後を向いては、トルストイ夫人と歩いてゐるトウルゲネフに話しかけた。その度に「父と子と」の作家は、やや驚いたやうに眼を挙げながら、嬉しさうに滑らかな返事をした。時によると又幅の広い肩を揺すつて、嗄(しはが)れた笑ひ声を洩す事もあつた。それは無骨(ぶこつ)なトルストイに比べると、上品な趣があると同時に、何処(どこ)か女らしい答ぶりだつた。
 路がだらだら坂になつた時、兄弟らしい村の子供が、向うから二人走つて来た。彼等はトルストイの顔を見ると、一度に足を止めて目礼をした。それから又元のやうに、はだしの足の裏を見せながら、勢よく坂を駈け上つて行つた。トルストイ子供たちの中には、後から彼等へ何事か、大声に呼びかけるものもあつた。が、二人はそれも聞えないやうに、見る見る麦畑の向うに隠れてしまつた。
「村の子供たちは面白いよ。」
 トルストイは残※(ざんくん)を顔に受けながら、トウルゲネフの方を振返つた。
「ああ云ふ連中言葉を聞いてゐると、我々には思ひもつかない、直截(ちよくせつ)な云ひまはしを教へられる事がある。」
 トウルゲネフは微笑した。今の彼は昔の彼ではない。昔の彼はトルストイ言葉に、子供らしい感激を感じると、我知らず皮肉に出勝ちだつた。……
「この間もああ云ふ連中を教えてゐると、――」
 トルストイは話し続けた。
「いきなり一人教室を飛び出さうとする子供があるのだね。そこで何処へ行くのだと尋(き)いて見たら、白墨(チヨオク)を食ひ欠きに行くのですと云ふのだ。貰ひに行くとも云はなければ、折つて来るとも云ふのではない。食ひ欠きに行くと云ふのだね。かう云ふ言葉が使へるのは、現に白墨(チヨオク)を噛じつてゐる露西亜(ロシア)の子供があるばかりだ。我々大人には到底出来ない。」
「成程、これは露西亜子供に限りさうだ。その上僕なぞはそんな話を聞かされると、しみじみ露西亜へ帰つて来たと云ふ心持がする。」
 トウルゲネフは今更のやうに、麦畑へ眼を漂はせた。
「さうだらう。仏蘭西(フランス)なぞでは子供までが、巻煙草位は吸ひ兼ねない。」
「さう云へばあなたもこの頃は、さつぱり煙草を召し上らないやうでございますね。」
 トルストイ夫人は夫の悪謔から、巧妙に客を救ひ出した。
「ええ、すつかり煙草はやめにしました。巴里(パリ)に二人美人がゐましてね、その人たちは私が煙草臭いと、接吻させないと云ふものですから。」
 今度はトルストイが苦笑した。
 その内に一行はヴアロンカ川を渡つて、鴫打(しぎう)ちの場所へ辿(たど)り着いた。其処(そこ)は川から遠くない、雑木林が疎(まばら)になつた、湿気の多い草地だつた。
 トルストイはトウルゲネフに、最も好い打ち場を譲つた。そして彼自身はその打ち場から、百五十歩ばかり遠のいた、草地の一隅に位置を定めた。それからトルストイ夫人はトウルゲネフの側に、子供たちは彼等のずつと後に、各々分れてゐる事になつた。
 空はまだ赤らんでゐた。その空を絡(かが)つた木々の梢が、一面にぼんやり煙つてゐるのは、もう匂の高い若芽が、簇(むらが)つてゐるのに違ひなかつた。トウルゲネフは銃を提(さ)げたなり、透(す)かすやうに木々の間を眺めた。薄明い林の中からは、時々風とは云へぬ程の風が、気軽さうな囀(さへづ)りを漂はせて来た。
駒鳥や鶸(ひは)が啼(な)いて居ります。」
 トルストイ夫人は首を傾けながら、独り語(ごと)のやうにかう云つた。
 徐(おもむろ)に沈黙の半時間が過ぎた。


次のページ

芥川 竜之介 (あくたがわ りゅうのすけ) 以外のオススメ作品

山鴫 (やましぎ) のリンク元

「山鴫-芥川 竜之介」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN