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岩野泡鳴氏 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

  • 岩野泡鳴全集 泡鳴全集 第6巻 大正10年 
  • ◆本◆現代日本文学全集13 S29発行 岩野泡鳴/近松秋江 q
  • 新体詩集闇の盃盤★岩野泡鳴★大正5年初版★明治文学
  • 日本文学全集 5 木下尚江 徳富蘆花 岩野泡鳴 筑摩書房 昭和45年
芥川龍之介  何でも秋の夜更けだつた。  僕はと一しよに、巣鴨行(すがもゆき)の電車に乗つてゐた。泡鳴氏は昂然(かうぜん)と洋傘の柄にマントの肘(ひぢ)をかけて、例の如く声高に西洋草花栽培法だの氏が自得の健胃法だのをいろいろ僕に話してくれた。
 その内にどう云ふ拍子だつたか、話題が当時評判だつた或小説の売れ行きに落ちた。すると泡鳴氏は傍若無人に、
「しかし君、新進作家とか何とか云つたつて、そんなに本は売れやしないだらう。僕の本は大抵――部売れるが、君なんぞは一体何部位売れる?」と云つた。
 僕は聊(いささ)か恐縮しながら、止むを得ず「傀儡師(くわいらいし)」の売れ高を答へた。
「皆そんなものかね?」
 泡鳴氏は更に追求した。
 僕よりも著書の売れ高の多い新進作家は大勢ある。――僕は二三の小説を挙げて、僕の仄聞(そくぶん)する売れ高を答へた。それらは不幸にも氏の著書より、多数は売行きが好いに違ひなかつた。
「さうかね。存外好く売れるな。」
 泡鳴氏は一瞬間、不審さうに顔を曇らせた。が、それは文字通り一瞬間に過ぎなかつた。僕がまだ何とも答へない内に、氏の眼には忽(たちま)ち前のやうな溌剌たる光が還(かへ)つて来た。と同時に泡鳴氏は恰(あたか)も天下を憐れむが如く、悠然とかう云ひ放つた。
「尤も僕の小説はむづかしいからな。」
 詩人小説家戯曲家評論家、――それらの資格は余人がきめるが好い。少くとも僕の眼に映じた我岩野泡鳴氏は、殆(ほとん)ど荘厳な気がする位、愛すべき楽天主義者だつた。



底本:「芥川龍之介全集 第九巻」岩波書店
   1996(平成8)年7月8日発
入力:もりみつじゅんじ
校正松永正敏
2002年5月17日作成
青空文庫作成ファイル
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