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岷山の隠士 - 国枝 史郎 ( くにえだ しろう )

  • 横尾忠則装が秀逸!【講談社国枝史郎伝奇文庫】全28巻初版揃い
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1 「いや彼は隴西(ろうせい)の産だ」 「いや彼は蜀(しょく)の産だ」 「とんでもないことで、巴西(はせい)の産だよ」 「冗談を云うな山東(さんとう)の産を」 「李広(りこう)の後裔だということだね」 「涼武昭王※(りょうぶしょうおうこう)の末だよ」  ――青蓮居士謫仙人(せいれんこじたくせんにん)、李太白素性なるものは、はっきり解(わか)っていないらしい。  金持が死ぬ相続問題が起こり、偉人死ぬ素性争いが起こる。
 偉人や金持になることも、ちょっとどうも考えものらしい。

 李白十歳の初秋であった。県令の下(もと)に小奴となった。
 ある日牛を追って堂前を通った。
 県令夫人が欄干に倚(よ)り、四方(あたり)の景色を眺めていた。
 穢らしい子供が、穢らしい牛を、臆面もなく追って行くのが、彼女の審美性を傷付けたらしい。
「無作法ではないか、外(よそ)をお廻り
 すると李白は声に応じて賦(ふ)した。
素面|欄鉤(らんこう)ニ倚リ、嬌声|外頭(がいとう)ニ出ヅ、若シ是織女ニ非ズンバ、何ゾ必シモ牽牛ヲ問ハン」
 これに驚いたのは夫人でなくて、その良人(おっと)の県令であった。
 早速引き上げ小姓とした。そうして硯席に侍(はべ)らせた。
 ある夜素晴らしい山火事があった。
野火山ヲ焼クノ後、人帰レドモ火帰ラズ」
 県令は苦心してここまで作った。後を附けることが出来なかった。
「おい、お前附けてみろ」
 県令李白へこう云った。
 十歳の李白は声に応じて云った。
「焔ハ紅日(こうじつ)ニ隨ツテ遠ク、煙ハ暮雲ヲ逐(お)ツテ飛ブ」
 県令は苦々しい顔をした。それは自分よりも旨いからであった。
 五歳にして六甲を誦し、八歳にして詩書に通じ、百家を観たという寧馨児(ねいけいじ)であった。田舎役人県知事などが、李白に敵うべき道理がなかった。
 ある日美人溺死人があった。
 で、県令は苦吟した。
二八誰ガ家ノ女、飄トシテ来リ岸蘆(がんろ)ニ倚ル、鳥ハ眉上(びじょう)ノ翆(すい)ヲ窺ヒ、魚ハ口傍(こうぼう)ノ朱ヲ弄(ろう)ス」
 すると李白が後を継いだ。
「緑髪ハ波ニ隨(したが)ツテ散リ、紅顔ハ浪ヲ逐(お)ツテ無シ、何ニ因(よ)ツテ伍相(ごしょう)ニ逢フ、応(まさ)ニ是|秋胡(しゅうこ)ヲ想フベシ」
 また県令は厭な顔をした。
 で李白危険を感じ、事を設けて仕(つかえ)を辞した。
 詩的小人というものは、俗物よりも嫉妬深いもので、それが嵩ずると偉いことをする。
 李白逃げたのは利口であった。
 剣を好み諸侯を干(かん)して奇書を読み賦(ふ)を作る。――十五歳迄の彼の生活は、まずザッとこんなものであった。
 年二十性|※儻(てきとう)、縦横の術を喜び任侠を事とす。――これがその時代の彼であった。
 財を軽んじ施(し)を重んじ、産業を事とせず豪嘯す。――こんなようにも記されてある。
 ある日喧嘩をして数人を切った。
 土地にいることが出来なかった。
 このころ東巖子(とうがんし)という仙人が、岷山(みんざん)の南に隠棲していた。
 で、李白はそこへ走った。
 聖フランシスは野禽を相手に、説教をしたということであるが、東巖子も小鳥説教した。彼は道教道士であった。
 彼が山中彷徨(さまよ)っていると、数百の小鳥が集まって来た。頭に止まり肩に止まり、手に止まり指先へ止まった。そうして盛んに啼き立てた。
 それへ説教するのであった。
 李白はそこへかくまわれることになった。
 ある日李白不思議そうに訊いた。
小鳥説教が解(わか)りましょうか?」
馬鹿なことを云うな、解るものか。あんなに無暗(むやみ)と啼き立てられては、第一声が通りゃアしない」
「何故集まって来るのでしょうか?」
「俺が毎日餌をやるからさ。小鳥にもてるのもいいけれど、糞を掛けられるのは閉口だ」
 一度彼が外出すると、彼の道服は鳥の糞で、穢ならしい飛白(かすり)を織るのであった。
「一体道教目的は、どこにあるのでございましょう?」
 ある時李白がこう訊いた。


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