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幕末維新懐古談 12 名高かった店などの印象 - 高村 光雲 ( たかむら こううん )

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幕末維新懐古談 名高かった店などの印象  雷門に接近した並木には、門に向って左側に「山屋」という有名酒屋があった(麦酒(むぎさけ)、保命酒(ほめいしゅ)のような諸国の銘酒なども売っていた)。その隣りが遠山という薬種屋(やくしゅや)、その手前南方へ)に二八そば(二八、十六文で普通そば屋)ですが、名代十一屋(じゅういちや)というのがある。それから駒形に接近した境界(さかい)にこれも有名だった伊阪(いざか)という金物屋(かなものや)がある(これは刃物が専門で、何時(いつ)でも職人が多く買い物に来ていた)。右側は奴(やっこ)の天麩羅(てんぷら)といって天麩羅茶漬(ちゃづけ)をたべさせて大いに繁昌をした店があり、直ぐ隣りに「三太郎ぶし」といった店があった。これはお歯黒をつけるには必ず必要の五倍子(ふし)の粉を売っていた店で、店の中央石臼(いしうす)を据(す)えて五倍子粉を磨(す)っている陰陽の生人形が置いてあって人目を惹(ひ)いたもの、これは近年まで確かあったと覚えている。その手前に「清瀬(きよぜ)」という料理屋があってなかなか繁昌しました。その横町が、ちっと不穏当なれど犬の糞横町(くそよこちょう)……これも江戸名物の一つとも申すか……。
 清瀬から手前絵馬屋(えまや)があった。浅草の生(は)え抜きで有名な店でありました。何か地面訴訟(あらそい)があって、双方お上バンショウ訴訟の意)した際、絵馬屋は旧家のこと故、古証文を取り出し、これは梶原(かじわら)の絵馬の註文書でござりますと差し出した処、お上の思(おぼ)し召しで地所を下されたとかで、此店(これ)が拝領地であったとかいうことでありました(並木吾妻橋との間に狭い通りがあって、並木の裏通りになっている。これは材木町といって材木屋がある)。それから並木から駒形へ来ると、名代酒屋で内田というのがあった。土蔵六戸|前(まえ)もあった。横町が内田|横丁(よこちょう)で、上野方面へ行くと本願寺正門前へ出て菊屋通りとなる見当――
 内田から手前に百助(ももすけ)(小間物(こまもの)店があった。職工用の絵具一切を売っているので、諸職人はこの店へ買いに行ったもの)、この横丁が百助横丁、別に唐辛子(とうがらし)横丁ともいう。その手前の横丁の角が鰌屋(どじょうや)(これは今もある)。鰌屋横丁を真直に行けば森下(もりした)へ出る。右へ移ると薪炭(しんたん)問屋丁子屋(ちょうじや)、その背面(うしろ)が材木町の出はずれになっていて、この通り前川(まえかわ)という鰻屋がある。これも今日繁昌している。これから駒形堂です。
 堂は六角堂で、本尊観世音(かんぜおん)、浅草寺の元地であって、元の観音本尊が祭られてあった所です。縁起(えんぎ)をいうと、その昔、隅田川(すみだがわ)をまだ宮戸川といった頃、土師臣中知(はじのおみなかとも)といえる人、家来の檜熊(ひのくま)の浜成(はまなり)竹成(たけなり)という両人の者を従え、この大河網打ちに出掛けたところ、その網に一寸八分黄金|無垢(むく)の観世音の御像(おぞう)が掛かって上がって来た。主従は有難きことに思い、御像をその駒形堂の所へ安置し奉ると、十人の草刈りの小童(こわらわ)が、藜(あかざ)の葉をもって花見堂のような仮りのお堂をしつらえ、その御像を飾りました。遠近(おちこち)の人々は語り伝えて参詣(さんけい)をした。それで駒形堂をまた藜堂とも称(とな)えます。そうして主従三人は三社|権現(ごんげん)と祭られ浅草一円の氏神(うじがみ)となり、十人の草刈りは堂の左手の後に十子堂をしつらえて祭られました。
 駒形江戸名所の中でも有名であることは誰も知るところ……何代目かの遊女高尾(たかお)の句で例の「君は今駒形あたりほとゝぎす」というのがありますが、なるほど、駒形時鳥(ほととぎす)に縁(ゆかり)のあるところであるなと思ったことがあります。というのは、その頃おい、駒形はまことによく時鳥の鳴いた所です。時鳥通り道であったかのように思われました。それは、ちょうどこの駒形堂から大河を距てて本所(ほんじょ)側に多田の薬師(やくし)というのがありましたが、この叢林(やぶ)がこんもり深く、昼も暗いほど、時鳥など沢山巣をかけていたもので、五月(さつき)の空の雨上がりの夜などには、その藪(やぶ)から時鳥駒形の方へ飛んで来て上野の森の方へ雲をば横過(よこぎ)って啼(な)いて行ったもの……句の解釈は別段だけれども、実地には時鳥のよく鳴いた所です。そして向う河岸一帯は百本|杭(くい)の方から掛けて、ずっとこう薄気味(うすぎみ)の悪いような所で、物の本や、講釈などの舞台に能(よ)くありそうな淋しい所であった。

 さて、駒形堂から後(あと)へ退(さが)って、「川升(かわます)」という料理屋が大層|流行(はや)り、観音の市の折りなど、それは大した繁昌。客が立て込んで酔興な客が、座敷に出てる獅噛火鉢(しがみひばち)を担(かつ)ぎ出して持って行ったのさえも気が附かなかったという一ツ話が残っている位、その頃はよく有名お茶屋などの猪口(ちょこ)とか銚子袴(ちょうしばかま)などを袂(たもと)になど忍ばせて行ったもの、これは一つの酒興で罪のないわるさであった。
 諏訪町では向って左が諏訪神社師匠東雲の店は社の筋向うの右側にあったのです。町の中ほどには紅勘(べにかん)(小間物屋)があってこれも有名でした。紅勘で思い出すが、その頃、鉦(かね)と三味線(さみせん)で長唄(ながうた)を歌って流して歩いた紅勘というものがあって評判でありました。これが小間物屋の紅勘と何か関係あるように噂(うわさ)されたが、実際は全く何んの因縁もなかったものといいます。菊五郎(きくごろう)であったか、芝翫(しかん)であったか、この紅勘のことを芝居にしたことがありました(長唄の紅勘とは別の男ですが、五代菊五郎がまだ羽左衛門(うざえもん)で売り出しの時、鎌倉節仙太郎(かまくらぶしせんたろう)という者が、江戸市中を鉦三味線で、好い声で飴(あめ)を売りながら流して歩いて評判でした。羽左衛門がそれをやって大当りのことがありました)。
 小間物屋の紅勘と近接した横丁には「みめより」という汁粉(しるこ)屋がある。それから「金麩羅(きんぷら)」という天麩羅屋がある。いずれも繁昌、右側は乾(いぬい)(煙草屋)、隣りが和泉屋(いずみや)(扇屋)、この裏へ這入(はい)ると八百栄(やおえい)(料理屋)それから諏訪町河岸へ抜けると此所は意気な土地で、一中(いっちゅう)、長唄などの師匠や、落語家では談枝(だんし)などもいて、異(おつ)な人たちが住まっていた。河岸つづきで、河岸には「坊主蕎麦(ぼうずそば)」というのがあって、これは一流でした。主人は坊主で、聾(つんぼ)のため「聾そば」で通っていた。その隣りが浅利屋という船宿(ふなやど)、此所を浅利屋河岸といった。表通りの金麩羅屋の向うに毛抜き屋があった。この店の毛抜き上手といわれたもの、いろいろ七ツ道具が揃っていて、しゃれた人たちが買いに来た。それから、錫屋(すずや)というのがあった。この店は江戸市中にも極(ごく)少ない店で、錫の御酒徳利お茶のつぼ、銚子などを売っていた。
 黒船町(くろふねちょう)へ来ると、町が少し下って二の町となる。


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