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幕末維新懐古談 42 熊手を拵えて売ったはなし - 高村 光雲 ( たかむら こううん )

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幕末維新懐古熊手を拵えて売ったはなし  こういうことが続いていたが、或る年、大分大仕掛けに、父は熊手(くまで)を拵え出しました。  鳥の市でなくてならないあの熊手は誰でも知っている通りのもの。真ん中に俵が三俵。千両|函(ばこ)、大福帳、蕪(かぶ)、隠れ蓑(みの)、隠れ笠(がさ)、おかめの面(めん)などの宝尽くしが張子紙で出来て、それをいろいろな絵具(えのぐ)で塗り附ける。枝珊瑚などは紅の方でも際立(きわだ)ったもの、その配色の工合で生かして綺麗(きれい)に景色の好いものとなる。この方は夏の中から拵えますが、熊手になる方の竹は、市の間際にならないといけない。これは青い竹を使うので、枯れていては色が死んでおもしろくない。五寸、六寸、七寸、尺などという寸法は熊手の曲った竹一本長さできまる。いずれも竹の先を曲げて物を掻(か)き込む形となって縁起を取るのであるが、その曲げようにも、老人の語る処によると、やはり手心(てごころ)があって、糸などを使って曲げを吊(つ)っていたり、厚ぼったかったりするのは拙手(へた)なので、糸なしで薄くしまって出来たのが旨(うま)いのだなどなかなかこんなことでも老人は凝ってやったものです。

 一本一本出来て数が積り、百本二百本というようになると、恐ろしく量張(かさば)って場所ふさげなものです。しかしまた数が積って狭い室一杯に出来|揃(そろ)った所は賑(にぎ)やかで悪くもないものです。そのいろいろの飾り物の中で、例のおかめの面、大根(だいこん)じめ、積み俵は三河島が本場(百姓内職にしている)だから、そっちから仕入れる。熊手の真ん中にまず大根締めを取り附け、その上に俵を三俵または五俵真ん中に積み、その後に帆の附いた帆掛け船の形が出来て、そのまわりにいろいろな宝が積み込んであるように見せて、竹の串(くし)に刺して留めてある、ちょうど大根締めと俵とに刺さるようになるのです。そうして、金箔がぴかぴかして、帳面には大福帳とか大宝恵帳(だいほうえちょう)なぞと縁喜(えんぎ)よい字で胡粉(ごふん)の白い所へ、筆太(ふでぶと)に出し、千両函は杢目(もくめ)や金物は彩色をし、墨汁で威勢よく金千両書くのです。
 こんな風だから、相当これは資本が掛かります。なかなか葦の葉の玩具のように無雑作には参らぬ。日に増し寒さが厳しく、お酉様(とりさま)の日も近づくと、めっきり多忙(いそが)しくなるので、老人は夜業(よなべ)を始め出す。私も傍(そば)で見ている訳にいかず自然手伝うようになる。家内中、手が空(あ)いた時は老人仕事を手伝い手伝い予定の数へ漕(こ)ぎ附けました。

 当日が来る。
 お酉様境内、その界隈(かいわい)には前日から地割(じわり)小屋掛けが出来ている。平生(ふだん)は人気(ひとけ)も稀(まれ)な荒寥(こうりょう)とした野天に差し掛けの店が出来ているので、前の日の夜の十二時頃から熊手を籠長持(かごながもち)に入れて出掛けるのですが、量高(かさだか)のものだから、サシで担(かつ)がなければなりません。その片棒を私がやって、親子(ふたり)で寿町の家を出て、入谷(いりや)田圃を抜けて担いで行く。
 御承知の通り大鷲(おおとり)神社境内は狭いので、皆無理をして店を拵える。私たちの店は、毎年店を出す黒人(くろと)が半分池の上に丸太渡しその上に板を並べ、自分の店を拵えてその余りを、私の父が借りました。場所がよくて、割合に安いが、実に危険です。それは隣りの店の余りで、池の上に跳ね出しになっているのです。前は手欄(てすり)で、後は葭簀張(よしずば)り、大きいのから高い方へ差し、何んでも一体に景気の沸き立って見えるように趣向をする。縁起をかつぐ連中午前一時頃から押し掛けて来る。いの一番に参詣(さんけい)して一年中の福徳自分一人受ける考え――朝はちょっと人が薄く、午前十時頃からまた追々雑踏するが、昼の客は割合にお人柄で、夕刻から夜に掛けてお店者(たなもの)並びに職人のわいわい連中押して来て非常な騒ぎとなる。何んでも一年中でこの酉の市ほど甚(ひど)い雑踏はないのだから、実に無量雑多な人間流れ込んで来る。とにかく、生馬の目でも抜こうという盛り場のことで、ぼんやりしていては飛んだ目に逢うのですが、私の父は、そういった人中(ひとなか)の商売黒人(くろと)のことですから、万事に抜け目がなく、たとえば売り溜(だ)めの銭などは、バラで抛(なげう)って置いてある。商売用の葛籠(つづら)の蓋(ふた)を引っくり返して、その中へ銭をバラで抛(ほう)り込んで置く。そんな投げやりなことをして好(い)いのかと私は心配をして父に注意すると、
「何、これが一番だ。入れ物などに入れて置いては、際(すき)をねらって掠(さら)って行かれてしまう、こうして置けば奪(と)ろうたって奪れやしない」
と、自分経験を話したりして、なかなか巧者なものである。師匠の店で彫り物ばかりしている私にはなかなか珍しく感じました。
 さて、夜が明けて当日になると、昼間(ひるま)はなかなか声が出せない。黙って店にぼんやりしているようなことではいけないので、何んでも縁喜で、威勢がよくなくっちゃならないのですから、呼び声を立てないといけない。それがなかなか私などには出来ません。
 しかし、何時(いつ)までも迷惑な顔をしておどおどしていれば何時まで経っても声は出ない。思い切ってやればやれるものでこういう処へ出れば、また自然その気になるものか、半日もやっていると、そういうことも平気になるのはおかしなものです。
 当日の夜はまた一層の人出で、八時から九時頃にかけて出盛(でざか)る。今日のように社の前を電車が通ってはおりません。両方がずっと田圃で、田の畷(あぜ)を伝って、畷とも道ともつかない小逕(こみち)を無数の人影がうようよしている。田圃の中には燈火(あかり)が万燈(まんどう)のように明るく点(とも)っている。平生(ふだん)寂寥の田の中が急に賑わい盛るので、その夜景不思議なものに見える。時候も今日のように冬に入る初めでなく、陰暦十一月ですから、筑波颪(つくばおろし)がまともに吹いて来て震え上がるほど寒い。その寒さを何とも思わず、群衆はこね返している。商売人の方はなおさら、此所(ここ)を先途(せんど)と職を張って景気を附けているのです。
 しかし、札附きの商売人になると、決して売ることを急がない。


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