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幕末維新懐古談 55 四頭の狆を製作したはなし - 高村 光雲 ( たかむら こううん )

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幕末維新懐古四頭の狆を製作したはなし  いよいよ狆の製作出来ました。  先(せん)のと、それから「種」のモデルの方が三つです。一つは起(た)って前肢(まえあし)を挙げている(これは葉茶屋の方のです)。一つは寝転んでいる。一つは駆けて来て鞠(まり)に戯(じゃ)れている。今一つは四肢(よつあし)で起っている所であった。この四つ製作はいずれも鋳物の原型になるのであるから、材料を特に木彫りとして勘考することもいらぬので、私は檜で彫ることにしました。いうまでもなく、檜の材はなかなか鑿や小刀を撰むもので、やわらかなくせに彫りにくいものですが、材としては古来から無上のものとなっている。荒けずりから仕上げに掛かり、悉皆(すっかり)出来上がって、彫工会へ納めました。
 木型出来ましたので、大島如雲氏はそれを原型として鋳金にしましたが、なかなか能(よ)く出来て、原型をさらに仕生(しい)かすほどの腕で滞りなく皇居御造営事務局の方へ納まりました。私は、すなわち鋳物の原型を作ったというにとどまるわけであった。

 そこで、毎度余り物の値を露(あら)わにいうようでおかしいが、これも参考となるべきことですから、いって置かねばなりませんが、私の原型を作った手間がどうかといいますと、狆の丸彫り四つで百円であった。一つが二十五円……今日の人が聞くと不思議と思う位でありましょう。その当時、檜の最良の木地が一つで一円五十銭二円もしたか。材料などのことは何とも思わない時分、今日で見れば木の値にも及ばぬ位のものでありましょう。しかし技術家としてはそういう問題は別のことで、製作に掛かってはただ一向専念で、出来るだけ腕一杯、やれるだけ突き詰めて行くことで、随分私もこの時は苦心をしました。彫工会の方でも余り気の毒だというので後で五十円御礼が参りました。
 四頭の狆の製作は、彫工会の幹部の人たち、また実技家の方の人々の見る所となりました。私が、自分の口からいうのはおかしいけれども、これは大変に評判がよかった。というのは、第一見た所がいかにも派手で、鮮(あざ)やかで、しかも図の様が変って珍しい。非常綺麗なものであるから見栄(みばえ)がある。材が檜であるから水々しく浮き立っている。これを見て幹部の人々もよろこんだことでありましたが、しかし、今日から見れば、まだまだすべてが幼稚なもので、今であったら彫り直したい位に感じますが、当時はこうした作風はまず嶄新(ざんしん)であって、動物を取り扱うことはこれまでもあるとしても、その行き方が従来の行き方と違って、実物写生を基として何処(どこ)までも真を追窮したやり方でありますから、本当のものを目の前に出されたような気が観(み)る人にも感じられて「これはどうも」といって感服されました。
 私は、今も申した如く、人より早くから写生ということを心掛け、西洋の摺(す)り物のようなものから物の形を像(かたど)ったものは何んでも参考材料とし、一方にはまた自然に面して自然をそのまま写して行くことを長い間研究したことでありますが、……しかし、これもまだ解剖的に内部を根から掘り返して窮理的に看極(みきわ)めて行ったという所までは行かず、外観から物の形を見て研究した程度に止(とど)まることではありますけれども、何しろ、写生という一生面はまずとにかく作の上に現われて、従来とは、別の手法を取っているものでありますから、非常に賞讃を博し、私も普通の注文品と異なり、畏きあたりの御たのみで、名誉仕事でありますから、面目を施したような訳でありました。

 すべてこの製作が完了致したのが、その年の秋。ちょうど第二回の競技会の開催される間際(まぎわ)に打(ぶ)つかりました。確か、二十一年十一月であったと覚えます。そういう時期であったから彫工会の幹部の方々たちが、右の製作を見られて満足に考えておられる時でありますから、折角、これまでの出来であるから、折も好(よ)し、これを一つ競技会へ出すことにしたら好かろうということになりました。
 けれども、他の事とは違い、まだ御造営の方へ納めない前に私(わたくし)に陳列してこの製作を公衆へ発表するということは、どうも僭越(せんえつ)なことではないかと気遣う向きもありましたが、その心配山高さんにお聞きすれば直ぐ分ることだと幹部の方で是非出したい方の人の考えで御造営事務局長の職にあられた山高信離氏の池(いけ)の端(はた)七軒町の住家(すまい)へ人を遣って氏の意向を聞かせますと、それは差し閊(つか)えないだろうとの事であったので、とうとう競技会へ製作が持ち出されることになったのでした。
 こういうことは皆他のしたことで、私は、出された方が好(い)いものか、悪いものか、最早製作は済んで彫工会へ渡したもので自分自由にはならない。とにかく同会の幹部たちが出せというので陳列することになりました。
 会場の中でも大きな四方硝子(ガラス)の箱の扉(とびら)をはずして真ん中へ敷き物を敷いて四ツの狆を陳列(なら)べました。数が四つというので、見栄(みばえ)がする。見物が大勢それに簇(たか)ってなかなか評判がよろしかった。
 この競技会の審査員学芸員の人々また、実技家の主立(おもだ)った人々で、私もその一人でありました。で、いよいよ審査することになると、審査員は困りました。この作品高村競技的に自分の作を出したのでなく、彫工会が出品したのであって、御造営の方からの命令出来た品であるから、それを審査するというはどんなものかというのが頭痛になったのであります。で、問題になると面倒臭いから、これだけは避(よ)けた方が好かろうという審査員たちの考えもあったことと見える。しかし高村の作として出品されているものを、審査しないということも、競技会の性質として工合が悪い。それで審査員の方では一案を考えて、これは我々は傍観態度で、この作の始末は幹部の方へ一任しよう。そうすれば、理事会長の考えで処置されるであろうというので、幹部へ持ち込んだものですから幹部山高信離、松尾儀助、岸光景山本五郎、塩田真、大森惟中諸氏の手に掛かることになりました。
 幹部の方々はその事を協議されたことですが、どういう風になったか、私は自分のことでもあり、また審査員一人ではあるが、まだ年も若しするので、何事も控え目にしているのですから、ただ、傍観していましたが、自分考えでは、なるべくならば審査してくれない方がよろしいと思っておりました。審査の結了の時は、審査員すべてがさらに寄り合って、今一度精選して万一の疎忽(そこつ)のないように審査会議がありますが、その際、万事済んで行った後で、一つ事項が残っている。
高村のこの作品をどうするか」
という問題
「どうするといって、既に出品した以上、競技会だから審査せんという訳には行くまい。それに故人でもあることならとにかく、現存でまだ年も若い人であり、しかもこの作は丹誠の籠(こも)ったものだ。審査せんわけに行かん」
 こう幹部意見一致した。
 そこで審査することになりました。

 すると、まだ審査結果発表にならない前日に金田氏に逢いますと、氏のいわれるには、審査結果、君の狆は、金賞になるということを聞き出して来たが、どうもお目出たいとの話。どうもこれはお目出たいかも知れませんが、私は困りました。


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