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平凡 - 二葉亭 四迷 ( ふたばてい しめい )

  • ☆平凡 昭和46年10月号 別冊付録☆平凡ソング
  • 雑誌 平凡パンチ 40/3/8 金田正一 今東光 北原武夫
  • 週刊平凡1961年4.19◆石原裕次郎/ザ・ピーナッツ/宍戸錠/岸恵子
  • 平凡パンチ別冊59年7宮野比呂美川田てるみ峯田美喜子他美女
  • 別冊平凡パンチ53年1積千恵美岡田まゆみ他美女多数ヒット歌
  • 大増補新編輯イギリス観察辞典★平凡社ライブラリー★林望
  • 林望 『イギリスは愉快だ』 平凡社
  • 【平凡社ライブラリー】『菅江真澄遊覧記 1』
  • ■ 月刊平凡 83.10 柏原芳恵松田聖子河合奈保子原田知世曽我泰久
  • Q9『平凡パンチ別冊1984年7月76号』早見優岡田有希子岩浪とも子
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          一  私は今年(ことし)三十九になる。人世(じんせい)五十が通相場(とおりそうば)なら、まだ今日明日(きょうあす)穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気(あッけ)ない。まだまだと云ってる中(うち)にいつしか此世の隙(ひま)が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻(あが)いたって藻掻(もが)いたって追付(おッつ)かない。覚悟をするなら今の中(うち)だ。
 いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方(もちかた)は年よりも老(ふ)けた方が好い。それだと無難だ。
 如何(どう)して此様(こん)な老人(としより)じみた心持になったものか知らぬが、強(あなが)ち苦労をして来た所為(せい)では有るまい。私|位(ぐらい)の苦労は誰でもしている。尤も苦労しても一向苦労に負(め)げぬ何時迄(いつまで)も元気な人もある。或は苦労が上辷(うわすべ)りをして心に浸(し)みないように、何時迄(いつまで)も稚気(おさなぎ)の失せぬお坊さん質(だち)の人もあるが、大抵は皆私のように苦労に負(め)げて、年よりは老込んで、意久地(いくじ)なく所帯染(しょたいじ)みて了い、役所の帰りに鮭(しゃけ)を二切(ふたきれ)竹の皮に包んで提(さ)げて来る気になる、それが普通だと、まあ、思って自ら慰めている。
 もう斯(こ)うなると前途が見え透く。もう如何様(どんな)に藻掻(もがい)たとて駄目だと思う。残念と思わぬではないが、思ったとて仕方がない。それよりは其隙(そのひま)で内職の賃訳(ちんやく)の一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も引張(ひっぱ)らせる算段を為(し)なければならぬ。
 もう私は大した慾もない。どうか忰(せがれ)が中学卒業する迄首尾よく役所を勤めて居たい、其迄に小金の少しも溜めて、いつ何時(なんどき)私に如何(どん)な事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束(おぼつか)ないので心細い……
 が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気は壮(さかん)だったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、皆(みんな)じめじめと所帯染(しょたいじ)みて了うのを見て、意久地(いくじ)の無い奴等だ。そんな平凡生活をする位なら、寧(いっ)そ首でも縊(くく)って死ン了(じま)え、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっている中(うち)に、自分もいつしか所帯染(しょたいじ)みて、人に嘲けられる身の上になって了った。
 こうなって見ると、浮世は夢の如しとは能(よ)く言ったものだと熟々(つくつく)思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めて後(のち)其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里(せんりばんり)を相隔てている。もう如何(どう)する事も出来ぬ。
 もう十年早く気が附いたらとは誰(たれ)しも思う所だろうが、皆判で捺(お)したように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共を嗤(わら)う青年達も、軈(やが)ては矢張(やっぱ)り同じ様に、後(のち)の青年達に嗤(わら)われて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢(はか)ないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……
 あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、愈(いよいよ)老込んだに違いない。

          二

 老込んだ証拠には、近頃は少し暇だと直ぐ過去を憶出(おもいだ)す。いや憶出(おもいだ)しても一向|憶出(おもいだ)し栄(ばえ)のせぬ過去で、何一つ仕出来(しでか)した事もない、どころじゃない、皆碌でもない事ばかりだ。が、それでいて、其(その)失敗過去が、私に取っては何処か床しい処がある、後悔慚愧|腸(はらわた)を断(た)つ想(おもい)が有りながら、それでいて何となく心を惹付(ひきつ)けられる。
 日曜妻子親類へ無沙汰見舞に遣った跡で、長火鉢の側(そば)で徒然(ぽつねん)としていると、半生(はんせい)の悔しかった事、悲しかった事、乃至(ないし)嬉しかった事が、玩具(おもちゃ)のカレードスコープを見るように、紛々(ごたごた)と目まぐるしく心の上面(うわつら)を過ぎて行く。初は面白半分に目を瞑(ねむ)って之に対(むか)っている中(うち)に、いつしか魂(たましい)が藻脱(もぬ)けて其中へ紛れ込んだように、恍惚(うっとり)として暫く夢現(ゆめうつつ)の境を迷っていると、
今日(こんち)は! 桝屋(ますや)でございます!」
 と、ツイ障子|一重(ひとえ)其処台所口で、頓狂な酒屋御用の声がする。これで、私は夢の覚めたような面(かお)になる。で、ぼやけた声で、
「まず好かったよ。」
 酒屋御用を逐返(おいかえ)してから、おお、斯うしてもいられん、と独言(ひとりごと)を言って、机を持出して、生計(くらし)の足しの安翻訳を始める。外国貯蓄銀行条例か何ぞに、絞ったら水の出そうな頭を散々悩ませつつ、一枚二枚は余所目(よそめ)を振らず一心に筆を運ぶが、其中(そのうち)に曖昧(あやふや)な処に出会(でっくわ)してグッと詰ると、まず一服と旧式の烟管(きせる)を取上げる。と、又忽然として懐かしい昔が眼前に浮ぶから、不覚(つい)其に現(うつつ)を脱かし、肝腎の翻訳がお留守になって、晩迄に二十枚は仕上げる積(つもり)の所を、十枚も出来ぬ事が折々ある。
 こうどうも昔ばかりを憶出していた日には、内職邪魔になるばかりで、卑(さも)しいようだが、銭(ぜに)にならぬ。寧(いつ)そのくされ、思う存分書いて見よか、と思ったのは先達(せんだっ)ての事だったが、其後(そのご)――矢張(やっぱ)り書く時節が到来したのだ――内職の賃訳が弗(ふっ)と途切れた。此暇(このひま)を遊(あす)んで暮すは勿体ない。私は兎に角書いて見よう。
 実は、極く内々(ないない)の話だが、今でこそ私は腰弁当と人の数にも算(かず)まえられぬ果敢(はか)ない身の上だが、昔は是れでも何の某(なにがし)といや、或るサークルでは一寸(ちょっと)名の知れた文士だった。流石(さすが)に今でも文壇に昔馴染(むかしなじみ)が無いでもない。恥を忍んで泣付いて行ったら、随分一肩入れて、原稿を何処かの本屋へ嫁(かたづ)けて、若干(なにがし)かに仕て呉れる人が無いとは限らぬ。そうすりゃ、今年の暮は去年のような事もあるまい。何も可愛(かわゆ)い妻子(つまこ)の為だ。私は兎に角書いて見よう。
 さて、題だが……題は何としよう? 此奴(こいつ)には昔から附倦(つけあぐ)んだものだッけ……と思案の末、礑(はた)と膝を拊(う)って、平凡! 平凡に、限る。平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するに、平凡という題は動かぬ所だ、と題が極(きま)る。


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