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弟子 - 中島 敦 ( なかじま あつし )

  • <陶> ★ 金城 次郎の弟子 金城 敏幸 海老の盃 ★
  • 出家とその弟子 倉田百三・著 昭和2年 岩波文庫
  • 【★B3-042】 出家とその弟子
  • ◆絶版★ムツゴロウ◆象使いの弟子(上)(下) 2冊 畑正憲・著
  • E42 FLASH1996 7 2レスラー安生高山がダチョウ倶楽部に弟子入り
  • Disney【魔法使いの弟子】ロードショー告知ポスター★限定非売品
  • [KSH]倉田百三☆「出家とその弟子」☆大正11年発行☆即決送料込
  • 新潮文庫406倉田百三『出家とその弟子』昭和34帯
  • 新潮文庫407倉田百三『出家とその弟子』昭和44
  • 即決!IN 嵐景学院の弟子(日本語版・4枚セット)
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     一  魯(ろ)の卞(べん)の游侠(ゆうきょう)の徒、仲由(ちゅうゆう)、字(あざな)は子路という者が、近頃(ちかごろ)賢者(けんじゃ)の噂(うわさ)も高い学匠(がくしょう)・陬人(すうひと)孔丘(こうきゅう)を辱(はずか)しめてくれようものと思い立った。似而非(えせ)賢者|何程(なにほど)のことやあらんと、蓬頭突鬢(ほうとうとつびん)・垂冠(すいかん)・短後(たんこう)の衣という服装(いでたち)で、左手に雄※(おんどり)、右手に牡豚(おすぶた)を引提げ、勢(いきおい)猛(もう)に、孔丘が家を指して出掛(でか)ける。※を揺(ゆ)り豚を奮(ふる)い、嗷(かまびす)しい脣吻(しんぷん)の音をもって、儒家(じゅか)の絃歌講誦(げんかこうしょう)の声を擾(みだ)そうというのである。
 けたたましい動物の叫(さけ)びと共に眼(め)を瞋(いか)らして跳(と)び込(こ)んで来た青年と、圜冠句履(えんかんこうり)緩(ゆる)く※(けつ)を帯びて几(き)に凭(よ)った温顔の孔子との間に、問答が始まる。
「汝(なんじ)、何をか好む?」と孔子が聞く。
「我、長剣(ちょうけん)を好む。」と青年は昂然(こうぜん)として言い放つ。
 孔子は思わずニコリとした。青年の声や態度の中に、余りに稚気(ちき)満々たる誇負(こふ)を見たからである。血色のいい・眉(まゆ)の太い・眼のはっきりした・見るからに精悍(せいかん)そうな青年の顔には、しかし、どこか、愛すべき素直さがおのずと現れているように思われる。再び孔子が聞く。
「学はすなわちいかん?」
「学、豈(あに)、益あらんや。」もともとこれを言うのが目的なのだから、子路は勢込んで怒鳴(どな)るように答える。
 学の権威(けんい)について云々(うんぬん)されては微笑(わら)ってばかりもいられない。孔子は諄々(じゅんじゅん)として学の必要を説き始める。人君(じんくん)にして諫臣(かんしん)が無ければ正(せい)を失い、士にして教友が無ければ聴(ちょう)を失う。樹(き)も縄(なわ)を受けて始めて直くなるのではないか。馬に策(むち)が、弓に檠(けい)が必要なように、人にも、その放恣(ほうし)な性情を矯(た)める教学が、どうして必要でなかろうぞ。匡(ただ)し理(おさ)め磨(みが)いて、始めてものは有用の材となるのだ。
 後世に残された語録字面(じづら)などからは到底(とうてい)想像出来ぬ・極め説得的な弁舌を孔子は有(も)っていた。言葉内容ばかりでなく、その穏(おだや)かな音声抑揚(よくよう)の中にも、それを語る時の極めて確信に充(み)ちた態度の中にも、どうしても聴者説得せずにはおかないものがある。青年態度からは次第に反抗(はんこう)の色が消えて、ようやく謹聴(きんちょう)の様子に変って来る。
「しかし」と、それでも子路はなお逆襲(ぎゃくしゅう)する気力を失わない。南山の竹は揉(た)めずして自ら直く、斬(き)ってこれを用うれば犀革(さいかく)の厚きをも通すと聞いている。して見れば、天性優れたる者にとって、何の学ぶ必要があろうか?
 孔子にとって、こんな幼稚な譬喩(ひゆ)を打破るほどたやすい事はない。汝の云(い)うその南山の竹に矢の羽をつけ鏃(やじり)を付けてこれを礪(みが)いたならば、ただに犀革を通すのみではあるまいに、と孔子に言われた時、愛すべき単純な若者は返す言葉に窮(きゅう)した。顔を赧(あか)らめ、しばらく孔子の前に突立(つった)ったまま何か考えている様子だったが、急に※と豚とを抛(ほう)り出し、頭を低(た)れて、「謹(つつ)しんで教を受けん。」と降参した。単に言葉に窮したためではない。実は、室に入って孔子の容(すがた)を見、その最初の一言を聞いた時、直ちに※豚(けいとん)の場違(ばちが)いであることを感じ、己(おのれ)と余りにも懸絶(けんぜつ)した相手の大きさに圧倒(あっとう)されていたのである。
 即日(そくじつ)、子路師弟の礼を執(と)って孔子の門に入った。

     二

 このような人間を、子路は見たことがない。力|千鈞(せんきん)の鼎(かなえ)を挙げる勇者を彼(かれ)は見たことがある。明(めい)千里の外を察する智者(ちしゃ)の話も聞いたことがある。しかし、孔子に在るものは、決してそんな怪物(かいぶつ)めいた異常さではない。ただ最も常識的な完成に過ぎないのである。知情意のおのおのから肉体的の諸能力に至るまで、実に平凡(へいぼん)に、しかし実に伸(の)び伸びと発達した見事さである。一つ一つの能力の優秀(ゆうしゅう)さが全然目立たないほど、過不及(かふきゅう)無く均衡(きんこう)のとれた豊かさは、子路にとって正(まさ)しく初めて見る所のものであった。闊達(かったつ)自在、いささかの道学者|臭(しゅう)も無いのに子路は驚(おどろ)く。この人は苦労人だなとすぐに子路は感じた。可笑(おか)しいことに、子路の誇(ほこ)る武芸や膂力(りょりょく)においてさえ孔子の方が上なのである。ただそれを平生(へいぜい)用いないだけのことだ。侠者子路はまずこの点で度胆(どぎも)を抜(ぬ)かれた。放蕩無頼(ほうとうぶらい)の生活にも経験があるのではないかと思われる位、あらゆる人間への鋭(するど)い心理的|洞察(どうさつ)がある。そういう一面から、また一方、極めて高く汚(けが)れないその理想主義に至るまでの幅(はば)の広さを考えると、子路はウーンと心の底から呻(うな)らずにはいられない。とにかく、この人はどこへ持って行っても大丈夫な人だ。潔癖(けっぺき)な倫理的(りんりてき)な見方からしても大丈夫(だいじょうぶ)だし、最も世俗的な意味から云(い)っても大丈夫だ子路が今までに会った人間の偉(えら)さは、どれも皆(みな)その利用価値の中に在った。これこれの役に立つから偉いというに過ぎない。孔子場合全然違う


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