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後の業平文治 - 三遊亭 円朝 ( さんゆうてい えんちょう )

  • 浮世絵木版画・本物 国周の役者3枚続「○結六歌仙」業平・小町
  • テレカ☆花の業平/宝塚歌劇団 2001年 星組①☆
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三遊亭圓朝 鈴木行三校訂編纂   一  えゝ此の度(たび)は誉(ほま)れ高き時事新報社より、何か作物を口演致すようとの御註文でございますから、嘗(かつ)て師匠圓朝(えんちょう)が喝采(かっさい)を博しました業平文治(なりひらぶんじ)の後篇を申上げます。圓朝師が在世中、数百の人情噺(にんじょうばなし)を新作いたしました事は皆様が御承知であります。本篇は師が存生中(ぞんしょうちゅう)、筋々(すじ/\)を私(わたくし)にお話しになりました記憶の儘(まゝ)を申上ぐる次第であります。そも私(わたくし)が師匠の門に入(い)りましたのは御維新|前(まえ)で、それから圓橘(えんきつ)となりましたのが明治二年の五月でございます。まだ其の頃は圓朝師も芝居掛り大道具というので、所謂(いわゆる)落語と申しましては一夜限り或(あるい)は二日続きぐらいのもの、其の内で永く続きましたのが新皿屋敷(しんさらやしき)、下谷義賊(したやぎぞく)の隠家(かくれが)、かさねヶ淵(ふち)の三種などでございます。それより素話(すばなし)になりましてからは沢(さわ)の紫(むらさき)(粟田口(あわだぐち))に次(つい)では此の業平文治でございます。その新作の都度(つど)私(わたくし)どもにも多少相談もありましたが、その作意の力には毎度ながら敬服して居ります。師匠は皆様が御存じの通り業平文治は前篇だけしか世に公(おおやけ)にいたしませぬが、その当時|私(わたくし)は後(のち)の文治の筋々を親しく小耳に挟(はさ)んで居りました。即(すなわ)ち本篇が師匠の遺稿にかゝる後の業平文治でございまする。さて師匠存生中府下の各|寄席(よせ)で演じ、または雑誌にて御存じの業平文治は、安永の頃|下谷(したや)御成街道(おなりかいどう)の角に堀丹波守(ほりたんばのかみ)殿家来三百八十石|浪島文吾(なみしまぶんご)という者の忰(せがれ)でございまして、故(ゆえ)あって父文吾の代より浪人となり、久しく本所(ほんじょ)業平橋(なりひらばし)に住居(すまい)いたして居りましたが、浪人でこそあれ町地面(まちじめん)屋敷等もありまして、相応の暮しをして居りました。で、業平橋住居して居りました処から業平文治といいますか、乃至(ないし)浪島を誤って業平と申しましたか、但(たゞ)しは男の好(よ)いところから斯(か)く綽名(あだな)いたしたものかは確(しか)と分りませぬ。併(しか)し天性弱きを助け強きを挫(ひし)ぐの資性に富み、善人と見れば身代(しんだい)は申すに及ばず、一命(いちめい)を擲(なげう)ってもこれを助け、また悪人と認むれば聊(いさゝ)か容赦なく飛蒐(とびかゝ)って殴り殺すという七|人力(にんりき)の侠客(きょうかく)でございます。平生(へいぜい)荒々しき事ばかり致しますので、母親も見兼て度々(たび/\)意見を加えましたが、強情なる文治一向|肯入(きゝい)れませぬ。情深(なさけぶか)き母親も終(つい)には呆れ返って、「これほど意見しても肯かぬ気性の其方(そち)、行(ゆ)く/\は親の首へ縄を掛けるに相違ない、長生(ながいき)して死恥(しにはじ)を掻こうより寧(いっ)そのこと食事を絶って死ぬに越したことはない」と涙を流しての切諫(せっかん)、それを藤原喜代之助(ふじわらきよのすけ)が見兼て母に詫入(わびい)れ、母は手ずから文治の左の腕に母という字を彫付(ほりつ)け、「以来は其の身を母の身体と思って大切にいたせよ」と申付けまして、それからというものは一切表へ出しませぬ。さア今まで表歩きばかりしていた者が、俄(にわか)に家(うち)にばかり居(お)るようになりましたから、少しく身体の具合が悪くなりました。母も心配して、気晴しに参詣(さんけい)でもするが宜(よ)いと云われて、母と同道で本所の五つ目の五百羅漢(らかん)へ参詣の帰り途(みち)、紀伊國屋友之助(きのくにやとものすけ)の大難を見掛け、日頃の気性|直(す)ぐに助けようとは思いましたが、母の手前そういう訳にもまいりませぬから、渋々(しぶ/\)我家(わがや)へ帰り、様子を尋ねますると、友之助という者が大伴蟠龍軒(おおともばんりゅうけん)と賭碁(かけご)を打って負けましたので、女房お村を奪(と)られた上に、百両の証文が三百両になっているという、友之助は斯(か)くと聞いて大いに怒り、大伴に向って悪口(あっこう)いたしましたので、蟠龍軒は友之助を取って押え、高手小手(たかてこて)に縛り上げて割下水(わりげすい)の溝(どぶ)へ打込んだという話を聞き、義憤むら/\と発して抑え難く、ついに蟠龍軒の道場へ踏込(ふみこ)み、一味加担の奴ばらを打殺し、大伴だけ打漏(うちもら)して、窃(ひそ)かに自宅へ帰ったという処までが、故圓朝師の話でございます。これより私(わたくし)が予(かね)て聞きおぼえたる記憶を喚起(よびおこ)して、後の文治伝記を伺います。さて其の翌日は安永五年の六月三十日でございます、蟠龍軒の道場にて何者にか数多(あまた)の者が殺されたという届出(とゞけいで)がありますから早速北割下蟠龍軒の道場へ御検視が御出張になりまして吟味いたしましたが、誰が殺したのか一向分りませぬ。其の頃八丁堀の町与力小林藤十郎(こばやしとうじゅうろう)という人は、「これは多分蟠龍軒のためさん/″\恥辱受けた友之助の仕事であろう」と疑いましたが、誰(たれ)あって文治仕事と心付く者はございませぬ。まして百日あまり外出いたしませず、また近所の者は日頃文治を蔭(かげ)でさえ呼棄てにする者はないくらいな人望家(じんぼうか)、子供に至るまで、業平旦那業平旦那。と敬って居(お)るのでありますから、文治と疑う者のないのも道理でございます。その明(あく)る日、小林藤十郎殿は本所名主の家(うち)へ出役(しゅつやく)いたし、また其の頃八丁堀にて捕者(とりて)の名人と聞えたる手先|二人(ににん)は業平橋料理屋にまいりました。

  二

 手先の林藏(りんぞう)と申します者が立花屋(たちばなや)へ参りまして、
 林「親方ア宅(うち)かえ」
 主「これは親分さん、さアどうぞ此方(こちら)へお上りなさいまし、おい、お火を持って来い」
 林「親方今日来たのは外(ほか)じゃアねえ、少し大切(だいじ)な事があって来たのだから不都合のねえように云ってくんなよ」
 主「へえ大切な御用と云うのは何事ですか」
 林「奥に友之助が隠れているな」
 主「えっ」
 林「やい親爺(おやじ)、とぼけるな、それだから予(あらかじ)め不都合のないようにしろと云ったんだ、二三|日(ち)前から緑町(みどりちょう)の医者が出入(でいり)をしているが、ありゃア誰が医者にかゝっているのだ」
 主「えっ……」
 林「この親爺、何処(どこ)までとぼける積りだ、えゝ面倒だ、金藏(きんぞう)踏ん込(ご)め」
 金「やい友之助、御用だ」
 主「もし/\親分え、そんな無慈悲な事を為すっちゃア困るじゃアございませんか、友之助は身体中|疵(きず)だらけでございますぜ」
 林「うむ、少しは疵も付いたろう、自業自得(じごうじとく)だ、誰を怨(うら)むところがあるか、神妙にお縄を頂戴しろえ、これ友之助、大切(たいせつ)な御用だぞ、上(かみ)へお手数(てすう)の掛らねえように有体(ありてい)に申上げろよ」
 友之助は何(なん)の為か更に合点(がてん)が行(ゆ)かず、呆気(あっけ)に取られて居りますと、林藏は屹(きっ)と睨(にら)み付けて、
 林「やい友之助、貴様は十五日の晩には何処(どこ)にいた」
 主人は横合(よこあい)から、
 主「親方、大切な御用とは何(ど)ういう筋かは知りませぬが、友さんは十四日の夕景、蟠龍軒一味の者にさん/″\な目に遇いましてな、可愛相(かわいそう)に身体自由にならないで、私方(わたくしかた)へ泊りました、で、十五日には外へも出ませず、終日(いちんち)此処(こゝ)にうむ/\呻(うな)りながら寝て居りました」
 林「黙れ、貴様に尋ねるのじゃアねえ、これ友之助、貴様は十四日は割下水の蟠龍軒の屋敷で、少しばかり打擲(ちょうちゃく)されたのを遺恨に思って、十五日の晩に其の仕返しを為(し)ようと云う了簡(りょうけん)で、蟠龍軒の屋敷へ切込(きりこ)んだろうな」
 友之助は恟(びっく)り首を擡(もた)げて、
 友「なゝなゝ何を云いなさる」
 林「いやさ友之助、どうせ天の網を免(のが)れる訳にゃアいかねえ、あの手際(てぎわ)は貴様一人の仕業じゃアあるめえの、相手は何者だ、男らしく有体に申上げた其の上でお慈悲を願うが宜(よ)いぞ、己(おれ)たちも悪くは計らわねえ、ぐず/\すると却(かえ)って貴様の為にならねえぞ」
 友之助は怪訝(けゞん)な面持(おももち)にて、
 友「へえ、あの蟠龍軒めが何(ど)うぞしましたか」
 林「友、しらばっくれるな、あの時アたしか三人だったなア」
 友「あなたの仰しゃることは何が何(なん)だか一向分りませんが」
 林「ふむゝ、貴様往生際(おうじょうぎわ)の悪い奴だな、よし此の上は手前(てめえ)の身体に聞くより外(ほか)はねえ」
 主「えゝ親分、一体これは何ういう訳ですか」
 林「汝(われ)の知った事じゃアねえや」
 主「それでも斯様(こん)な大病人(たいびょうにん)を何うなさる積りで」
 林「おい金藏、この親爺も腰縄(こしなわ)にしてくれえ、兎(と)も角(かく)も玄関まで引いて往(い)くから……」
 この玄関と申しますのは、其の頃名主の邸(やしき)を通称玄関と申したのでございます。
 主「親分、なんで其様(そん)な足腰の立たないものをお縛りなさるのです、私(わたくし)ア名主様へ引かれるような罪を犯した覚えはございません」
 林「往(い)く処へ往けば分らア、黙っていろ、金藏、この近所に駕籠屋(かごや)があるだろう、一挺(いっちょう)雇って来い」
 やがて友之助と立花屋の主人(あるじ)を召捕(めしと)って相生町(あいおいちょう)の名主方へ引立(ひきた)てゝまいりました。玄関には予(かね)て待受(まちう)けて居りました小林藤十郎左右手先を侍(はべ)らせ、友之助を駕籠から引出して敷台に打倒(うちたお)し、
 小「京橋銀座三丁目紀伊國屋友之助、業平橋立花源太郎(たちばなやげんたろう)、町役人
 一同「はゝア」
 小「友之助、其の方は去る十五日の夜(よ)、大伴蟠龍軒の屋敷へ踏込(ふんご)み、家内の者四人、蟠龍軒|舎弟(しゃてい)蟠作(ばんさく)を殺害(せつがい)いたしたな、何(なん)らの遺恨あって、何者を語らって左様な無慙(むざん)なる事を致したか、さア後(あと)で不都合のなきよう有体に申立てろ」
 立「まア怪(け)しからぬ仰せでございます、余計な事を申すようでございますが、友之助は御覧の通り疵だらけ、十四日夜はさん/″\打(ぶ)たれて動きが取れませず、私方(わたくしかた)へ泊り込んだのでございます」
 小「黙れ」
 林「さア友之助、とても免(のが)れるものじゃアない、只今旦那のお尋ねの通り有体に申上げろ」
 友之助は暫(しばら)く考えて居りましたが、
 友「へえ、大伴の屋敷へ切込みまして、家内四人の者を殺害(せつがい)いたしましたるは全く私(わたくし)に相違ございません、へえ遺恨あって切込みました」
 立「これ/\友さん、血迷っちゃアいかねえ、お前は十四日に……」
 林「黙れ、其の方の口を出すべき場合でない、さア友之助、貴様一人の仕業(しわざ)でないと云うことは分って居(お)る、何者を同道してまいったか、一つ白状して後(あと)を隠しては何(なん)にもならんぞ」
友「どの様な御吟味を受けましても、外(ほか)に頼んだ者はございませぬ」

  三

 林藏は少しく気を焦立(いらだ)ちて、
 林「これ汝(われ)がな、私(わたくし)一人仕事でございますなどとしらを切っても、うむそうかと云って済ますような盲目(めくら)じゃア無(ね)え、よく考えて見ろよ、手前(てめえ)のような痩男(やせおとこ)に、剣術|遣(つか)いの屋敷へ踏込(ふんご)み三四人の人殺し出来る仕事かえ、さアいよ/\申上げねえか、旦那に申上げて少し叩いて見ようか」
 友「何(なん)と云われても私(わたくし)一人の仕業に相違ございません」
 立「もし/\友さん、お前|何(ど)うしたんだ、気が違やアしねえか、旦那様え、なか/\此の人一人でそんな事の出来る訳はございません、全く大疵のために気が違ったに相違ございません…おい友さん、確(しっ)かりしなよ」
 林「えゝ黙れ、旦那様、此奴(こいつ)はなか/\一筋縄じゃア白状しませんぜ、一つ叩きましょうか」
 小「まア林藏待て、下手人(げしゅにん)は友之助と決って居(お)るから追って又取調べるであろう、何しろ三四(さんし)の番屋へ送って置け」
 この三四の番屋と申しますのは本材木町(ほんざいもくちょう)三四丁目の町番屋にて、この番屋には二階があって常の自身番とは違い、余程厳し出来て居ります。町番屋とは申しながら重(おも)に公用に使ったものでございます。尚(な)お小林藤十郎殿は林藏に向いまして、
 小「これ林藏、立花源太郎の縄を解いて家主(いえぬし)へ引渡せ」
 林「はゝア、おい差配人(さはいにん)、不都合のないように預かり置け、友之助立てえ」
 其の儘(まゝ)駕籠に乗せて本材木町の番屋を指(さ)して出て往(ゆ)きました。お話別れて、此方(こちら)は文治の宅、母は九死一生で、家内心配|一方(ひとかた)ならず、折(おり)から訪れ来(きた)る者があります。
 「えゝ頼む」
 森松「やアこれは/\何方(どなた)かと思ったら藤原様、どうも大層お立派で……お萓(かや)様も御一緒ですか宜(よ)うおいでゝございます」
 藤「お母様(ふくろさま)は」
 森「いやもう、お悪いの何(なん)のじゃアございません、何(ど)うも今の様子じゃおむずかしゅうございますな」
 藤「なに、むずかしい、そんなら少しも早く奥へ」
 森「どうか此方(こちら)へ……旦那え、藤原様と御新造(ごしんぞ)様がおいでになりました」
 文「おゝそうか、さア此方へ、やア何(ど)うも暫く、お萓か、よくおいでだ」
 両人「お母様が大層お悪いそうで、さぞ御心配でございましょう」
 文「はい/\有難う、今度は些(ち)とむずかしかろうよ」
 藤「それは何(ど)うも、併(しか)し私(わたくし)どもの顔が分りましょうか」
 文「いや少しは分りそうだ、兎も角も此方へ……お母様(っかさま)、藤原|氏(うじ)がまいりました、お母様、分りましたか、お萓も一緒に……」
 藤「伯母様、藤原喜代之助でござる、お萓も一緒に、分りましたか、大層お瘁(やつ)れ……」
 と申しますと、病人に通じたものと見えて、「おゝ」と少し起上ろうと致しますから、
 藤「どうか其の儘にして」
 母「永いことお世話になりました、此の度(たび)はもうこれがお訣(わか)れで、お萓は御存じの通り外(ほか)に身寄もなき不束者(ふつゝかもの)、何(ど)うぞ幾久しゅう、お萓や見棄てられぬように気を付けなよ、それでも文治の嫁が思ったより優しいので、何(ど)の位安心したか知れません、もう是で思い残すことはありません」
 此の時台所の方に当って頻(しき)りに水を汲んでは浴(あび)せる音が聞えまする何事か知らぬと一同耳をそばだてますると、
 「南無大聖不動明(なむだいしょうふどうみょう)……のうまく……む……だあ……」
 文治はそれと心付きまして、手燭(てしょく)を持って台所の戸を明けますと、表は霙(みぞれ)まじりに降(ふり)しきる寒風に手燭は消えて真黒闇(まっくらやみ)。
 文「誰だえ」
 一向答えがありませぬ。一生懸命ざあ/\と寒水を浴びては「南無大聖不……」
 文「おい、誰か提灯(ちょうちん)を持って来てくれ」
 藤原提灯を持ちまして袖(そで)に隠し、燈火の隙間(すきま)から井戸端(いどばた)を見ますると、お浪(なみ)が単物(ひとえもの)一枚に襷(たすき)を掛け、どんどん水を汲(くん)では夫|國藏(くにぞう)に浴せて居ります。國藏は一心不乱に眼(まなこ)を閉じ合掌して、
 「南無大聖不動尊、今一度お母上様(はゝうえさま)の御病気をお助け下さりませ」
 文「これ其処(そこ)に居(お)るのはお浪じゃないか、國藏待て、その親切は千万(せんばん)辱(かたじ)けないが、まア/\此処(こゝ)へ来い、お浪や早く國藏に着物を着せてやれ、森松、國藏夫婦は何時(いつ)の間(ま)に来たのだ」
 森「へえ、藤原様のおいでの少し前、いつもは蔵前不動様へまいるんですが、今夜は御門が締りましたそうで」
 文「うむ、毎夜此の通りか、寒中といい況(ま)して今夜は此の大雨に……國藏、お前の親切は千万辱けないがな、命数は人の持って生れたものじゃ、寿命ばかりは神にも仏にも自由になるものじゃアない、神様や仏様は人の苦しむのを見て悦びなさる筈(はず)はないが、人が物を頼むにも無理力(むりぢから)を入れて頼んだからって肯(き)くものではない、お前も同じ人に生れていながら、この寒空(さむぞら)に垢離(こり)など取って、万一身体に障(さわ)ったら、それこそ此の上もない不孝じゃないか、お前の親切は届いて居(お)る、もう/\止してくれよ」

  四

 文治は國藏夫婦水垢離(みずごり)を諫(いさ)めて居りますると、妻のお町が泣声にて、
 町「旦那様ア、お早く/\」
 文「なに、お母様(っかさま)が息を…」
 と病間に駈戻り、
 文「お母様、お母様、ほい、もういかんか」
 町「お母様ア、お母様ア」
 文「これ/\お町、そう泣悲(なきかなし)んでも仕方がない、もう諦めろ」
 萓「伯母様(おばさま)え、伯母様え、もう是がお別れか、伯母様え」
 藤「お萓、そう呼ぶものではない、文治殿、さぞ/\御愁傷(ごしゅうしょう)でござりましょう」
 文「いや永い御苦労を掛けました、あゝ何(ど)うも、思えば私(わたくし)も不孝を尽しましたなア」
 お町を始め一同顔を揃(そろ)えて言葉もなく、鼻詰らして俯向(うつむ)く折から、表の方(かた)で慌(あわた)だしく、
 「森松々々」
 森「おうい、豊島町(としまちょう)の棟梁(とうりょう)か」
 これは亥太郎(いたろう)という豊島町の棟梁でございます。
 亥「おゝ亥太郎だ」
 森松が立って戸を明けますると亥太郎は息急(いきせ)きながら、
 亥「森松、お母様(ふくろさま)は」
 森「たった今……」
 亥「えッ、亡(なくな)りなすったか、道理で新しい草鞋(わらじ)が切れて変だと思った、えゝ間に合わなかったな」
 森「昨日(きのう)からむずかしいから、お前さんの所へ知らせに往(い)くとな、今朝早く成田へ立ったと云うことだから、こいつア必定(てっきり)お百度だろうと後(あと)から往こうか知らんと思ったが、家(うち)が無人(ぶにん)で困っているのに何(なん)ぼ信心だからと云って、出先から成田へ往ったら又旦那に叱られるだろうと、こう思って止したのが結句幸いであった、今も國藏|兄(あにい)が成田様の一件で小言まじりに一本やられたところだ」
 亥「己(おら)アな、昨夜(ゆうべ)の内にお百度を済まして、何(ど)うやら気が急(せ)かれるから、今朝|早立(はやだち)にして、十八里の道を急ぎ急いでもう些(ちっ)と早くと思ったが、生憎(あいにく)の大雨で道も捗取(はかど)らず、到頭(とうとう)夜半(よなか)になっちまった、あゝ何うも胸がドキ/\して気が落着かねえ、水を一杯(いっぺえ)くれねえか」
 森「おゝ気の付かねえ事をした」
 文「やア亥太郎殿か、成田へお出で下すったそうで、母のために毎(いつ)も変らぬ御親切、千万辱けのう存じます、母も只(たっ)た今往生いたしました、さア何(ど)うか直(す)ぐに奥へ往って見てやって下さい」
 亥「えゝ皆様御免なせえ、えゝお母様(ふくろさま)、なぜ私(わっち)が……旦那御免なせえよ、こんな時にゃア何(なん)と挨拶(あいさつ)して宜(い)いのか私にゃア分んねえ」
 藤「これは亥太郎殿、藤原喜代之助でござる、あなたの御親切で伯母も誠に宜(よ)い往生を致しました、人の寿命ばかりは何(なん)とも致し方がありません」
 亥「旦那御免なせえ、私(わっち)やア物心をおぼえて此の方(かた)、涙というものア流したことが無(ね)えんですが、いつぞや親子てえものは斯(こ)う/\いうもんだと、此方(こちら)の旦那意見されてから、此の間親父の死んだ時にゃア思わず泣きました、今日で二度目でござんす、御免ねえ」
 とわッ/\と泣出しました。時に文治は、
 文「いつも変らぬ御親切、有難う存じます、さぞお腹(なか)が減りましたろう」
 亥「なアに、さしたる事もありません」
 文「お昼食(ちゅうじき)は何方(どちら)でやって来なすったね」
 亥「なアに昼食なんざア、実は十八里おっ通しで」
 文「やッ、それは/\昼食も喰(た)べずに十八里|日着(ひづき)とは、何(ど)うも恐入りましたなア」
 亥「云われて始めて腹が減った、そんなら森松、握飯(むすび)でも呉れや」
 森「さア大変だ、昼間からの騒ぎで飯を炊くのを忘れたア」
 町「いゝえ、私が炊いて置きましたよ、さア亥太郎さん召上れ」
 亥「こりゃア勿体(もったい)ねえな、やい森公、貴様は相変らず馬鹿だな」
 森「こりゃア己の十七番だ」
 亥「それも違ってらア、馬鹿野郎
 それから手を分けて仏の取片付(とりかたづけ)をいたしまして、葬式はいよ/\明後日と取極めました。藤原喜代之助は明日登城のお供がありますから、夜(よ)の中(うち)に屋敷へ帰りまして、翌朝重役へ、
 藤「明日お供を致します筈でござりますが、親戚(しんせき)に忌中これあり、如何(いかゞ)致しましょうや」
 と伺い出でますると、何(ど)ういう都合でござりますか、藤原明後日葬式菩提寺(ぼだいじ)まで見送ることが出来ませんので、その翌晩|通夜(つや)をいたし、翌早朝葬式途中まで見送って、自分は西丸下へ帰り、お葬式(とむらい)は愛宕下(あたごした)青松寺(せいしょうじ)で営みまして、やがて式も済みましたから、文治は※※(かみしも)のまゝ愛宕下を出まして、亥太郎、國藏、森松の三人を伴い、其の他の見送り人は散り/″\に立帰りました。丁度江戸橋へ掛ってまいりますと、朝の巳刻(よつ)頃でございますが、向うから友之助が余程の重罪を犯したものと見えて、引廻しになってまいります様子、これは友之助の罪状が定(きま)って、小伝馬町(こでんまちょう)の牢屋の裏門を立出(たちい)で、大門通(おおもんどおり)から江戸橋へ掛ってまいりましたので、角の町番屋にて小休みの後(のち)、仕置場へ送られるのでございます。

  五

 文治が先に立って江戸橋へ向って参りますと、真先(まっさき)に紙幟(かみのぼり)を立て、続いて捨札(すてふだ)を持ってまいりますのは、云わずと知れた大罪人をお仕置場へ送るのでございます。文治は何気なく正面から罪人を見ますと、紛(まご)う方(かた)なき友之助ですから、はて不思議と捨札を見ると、「京橋銀座三丁目当時無宿友之助二十三歳」と記してありまして、「右の者|去(さ)んぬる六月十五日本所北割下水大伴蟠龍軒方へ忍び込み、同人舎弟を始め外(ほか)四人の者を殺害(せつがい)致し候者也(そうろうものなり)」と読むより、左(さ)なきだに義気に富みたる文治血相を変えて引廻しの馬の前に寄付(よりつ)き、罪人の顔を見ますと、今度は俯向(うつむ)いていまして少しも顔が見えませんけれども、友之助に相違ありませんから、文治は麻※※(あさがみしも)長大小(ながだいしょう)のまゝ馬の轡(くつわ)に飛付く体(てい)を見るより附添(つきそい)の非人(ひにん)ども、
 「やい/\何を為(し)やがる、御用だ/\」
 亥「やい乞食(こじき)めら、静かにしろえ」
 非「やア豊島町のがむしゃらだぜ」
 と怯(ひる)んで居りますところへ、与力が馬上にて乗付けまして、
 与「これ/\其の方(ほう)は何をするのか、御用だ、控えろ」
 と制する言葉に勢(いきおい)を得て、非人どもが文治を突退(つきの)けようと致しますると、國藏、森松の両人が向う鉢巻、片肌脱(かたはだぬ)ぎ、
 両人「この乞食め、何を小癪(こしゃく)なことを為(し)やがる、ふざけた事をすると片ッ端(ぱし)から打殺(ぶちころ)すぞ」
 さア江戸橋|魚市(うおいち)の込合(こみあい)の真最中(まっさいちゅう)、まして物見高いのは江戸の習い、引廻しの見物山の如き中に裃(かみしも)着けたる立派な侍が、馬の轡に左手(ゆんで)を掛け、刀の柄(つか)へ右手(めて)を掛けて、
 文「さア一歩も動かすことは成らぬ、無法かは知らぬが、此の友之助は決して罪人ではない、その罪人は此の文治だア」
 与「これ/\何(なん)であろうと此の通り当人が白状の上、罪の次第が極(きま)ったのじゃ、今となっては致し方がないわ、其処(そこ)退(の)けッ」
 文「いかさま無法ではござるが、狂人ではござらぬ、一寸(ちょっと)も放すことは出来ませぬ」
 と七人力の文治が引留めたのでございますから、如何(いかん)とも致し方がございませぬ。馬上なる友之助は何事か夢中で居りましたが、暫くして漸(ようや)く我に返りまして、
 友「えゝ旦那様でござりますか、お久しくござります」
 文「友之助、よく生きていてくれたなア、貴様が此の様な目に逢うとは夢にも知らなんだ、さぞ難儀したろうな、此の文治自分の罪を人に塗付け、のめ/\生きて居(お)るような者ではないぞよ、目指す相手の蟠龍軒を討洩らし、心当りを捜す内、母の大病に心を引かれ、今日(きょう)まで惜(おし)からぬ命を存(なが)らえていたが、もうお母様(っかさま)を見送ったからにゃア後(あと)に少しも思い残すことはない、此の上は罪に罪を重ねても貴様を助けにゃア己(おれ)の義理が立たない、さアお役人衆(やくにんしゅ)、お手数(てかず)ながら此の文治に縄を打って、友之助と共に奉行所へお引立て下せえ、それとも乱暴者と見做(みな)し此の場に切捨てるというお覚悟なら、遺憾ながら腕の続く限り根(こん)限りお相手致します、如何(いか)に御処分下さるか」
 と詰寄せまする。橋の上から四辺(あたり)は一面の人立(ひとだち)で、往来が止ってしまいました。
 甲「こゝは往来だ、何を立っていやがるのだえ、さア/\歩け歩け」
 時に亥太郎國藏の両人口を揃えて、
 「静かにしろ、ぐず/\すると打殺(ぶちころ)すぞ」
 野次馬「やア豊島町の乱暴棟梁だ、久しく見掛けなかったが、また始めたぞ」
 流石(さすが)の与力文治と聞いて怖気付(おじけつ)き、一先(ひとま)ず文治と友之助の両人を江戸橋番屋へ締込みましたが、弥次馬連黒山のようでございます。表に居りました亥太郎、森松、國藏は躍起(やっき)となって、
 「此奴(こいつ)ら何が面白くって見に来やがった、片ッ端から将棋倒しにしてしまうぞ」
 と有合(ありあわ)せたる六尺棒をぐん/\と押振廻(おっぷりまわ)して居ります。飯の上の蠅(はい)同然、蜘蛛(くも)の子を散らしたように逃げたかと思うと、また集ってまいります。其の中(うち)に与力家来は斯(か)くと八丁堀へ知らせ、また一方は奉行所訴えますと、諸役人も驚いて早速駈付けました。時に表に居りました亥太郎、國藏、森松の三人は自身番へ這入りまして、
 亥「えゝお役人様、蟠龍軒の屋敷へ踏込(ふんご)んで四五人の者を殺したのは私(わっち)です、何(ど)うぞ私を縛っておくんなせえ」
 森「亥太郎|兄(あにい)か、そんな事を云っちゃア困るじゃねえか、お役人様、そりゃア私(わっち)の仕業で」
 國「馬鹿をいうな、お前(めえ)たちは此の騒ぎで血迷うたか、己がやッつけたんだ」
 文「一同静かにしろ、兎も角も御用の馬を引留めました乱暴者は私(わたくし)でござります、お手数(てかず)ながらお引立(ひきたて)の上、その次第を御吟味下さいまし」
 出張役人文治駕籠に乗せ、外(ほか)一同は腰縄にて、町奉行石川土佐守(いしかわとさのかみ)役宅へ引立て、其の夜(よ)は一同|仮牢(かりろう)に止(とゞ)め、翌日一人々々に呼出して吟味いたしますると、何(いず)れも私(わたくし)が下手人でござる、いや私(わたくし)が殺したのでござると強情を云いますので、誰が殺したのかさっぱり分らぬように成りました。取敢(とりあ)えず文治には乱暴者として揚屋入(あがりやいり)を仰付(おおせつ)け、其の他(た)の者は当分仮牢|留置(とめおき)を申付けられました。

  六

 さて明治のお方様は、昔の裁判所模様は御存じありますまいが、今の呉服橋|内(うち)にありまして、表から見ますと只の屋敷と少しも変った処はありませぬ。只だ窓々に鉄網(かなあみ)が張ってあるだけの事、また屋敷の向う側の土手に添うて折曲(おりまが)った腰掛がありまして、丁度|白洲(しらす)の模様は今の芝居のよう、奉行の後(うしろ)には襖(ふすま)でなく障子が箝(はま)っていまして、今の揚弓場(ようきゅうば)のように、横に細く透いている所があります。これは後(うしろ)から奥の女中方が覗(のぞ)く処だと申しますが、如何(いかゞ)でございましょうか。白洲には砂利が敷いてあって、其の上は廂(ひさし)を以(もっ)て蔽(おお)い、真中(まんなか)は屋根無しでございます。


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