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怪夢 - 夢野 久作 ( ゆめの きゅうさく )

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       工場  厳(おごそ)かに明るくなって行く鉄工場の霜朝(しもあさ)である。  二三日前からコークスを焚(た)き続けた大坩堝(おおるつぼ)が、鋳物(いもの)工場の薄暗がりの中で、夕日のように熟し切っている時刻である。
 黄色電燈の下で、汽鑵(ボイラー)の圧力計指針(はり)が、二百封度(ポンド)を突破すべく、無言の戦慄(せんりつ)を続けている数分間である。
 真黒く煤(すす)けた工場の全体に、地下千|尺(しゃく)の静けさが感じられる一|刹那(せつな)である。
 ……そのシンカンとした一刹那が暗示する、測り知れない、ある不吉な予感……この工場が破裂してしまいそうな……。
 私は悠々と腕を組み直した。そんな途方もない、想像の及ばない出来事に対する予感を、心の奥底で冷笑しつつ、高い天井のアカリ取り窓を仰いだ。そこから斜めに、青空はるかに黒煙を吐き出す煙突を見上げた。その斜(ななめ)に傾いた煙突の半面が、旭(あさひ)のオリーブ色をクッキリと輝かしながら、今にも頭の上に倒れかかって来るような錯覚眩暈(めまい)を感じつつ、頭を強く左右に振った。
 私は、私の父親が頓死(とんし)をしたために、まだ学士になったばかりの無経験のまま、この工場受け継がせられた……そうしてタッタ今、生れて初めての実地作業を指揮すべく、引っぱり出されたのである。若い、新米(しんまい)の主人に対する職工たちの侮辱と、冷罵(れいば)とを予期させられつつ……。

 しかし私の負けじ魂は、そんな不吉な予感のすべてを、腹の底の底の方へ押し隠してしまった。誇りかな気軽い態度で、バットを横啣(よこぐわ)えにしいしい、持場持場についている職工たちの白い呼吸を見まわした。
 私の眼の前には巨大なフライトホイールが、黒い虹(にじ)のようにピカピカ微笑している。
 その向うに消え残っている昨夜からの暗黒の中には、大小歯車が幾個となく、無限の歯噛(はが)みをし合っている。
 ピストンロッドは灰色の腕をニューと突き出したまま……。
 水圧|打鋲機(だびょうき)は天井裏の暗がりを睨(にら)み上げたまま……。
 スチームハムマーは片足を持ち上げたまま……。
 ……すべてが超自然の巨大な馬力と、物理原則が生む確信とを百パーセントに身構えて、私の命令|一下(いっか)を待つべく、飽くまでも静まりかえっている。
 ……シイ――イイ……という音がどこからともなく聞こえるのは、セーフチーバルブの唇を洩(も)るスチームの音であろう……それとも私の耳の底の鳴る音か……。
 私の背筋を或る力が伝わった。右手が自(おのずか)ら高く揚(あが)った。
 職工長がうなずいて去った。

 ……極めて徐々に……徐々に……工場内に重なり合った一切の機械が眼醒(めざ)めはじめる。
 工場の隅から隅まで、スチームが行渡り初めたのだ。
 そうして次第次第に早く……遂(つい)には眼にも止まらぬ鉄の眩覚が私の周囲から一時に渦巻き起る。……人間……狂人……超人……野獣……猛獣……怪獣……巨獣……それらの一切の力を物ともせぬ鉄の怒号……如何(いか)なる偉大なる精神をも一瞬の中(うち)に恐怖と死の錯覚の中に誘い込まねば措(お)かぬ真黒な、残忍冷酷な呻吟(しんぎん)が、到る処に転がりまわる。
 今までに幾人となく引き裂かれ、切り千切(ちぎ)られ、タタき付けられた女工や、幼年工の亡霊を嘲(あざけ)る響き……。
 このあいだ打ち砕かれた老職工の頭蓋骨(ずがいこつ)を罵倒(ばとう)する声……。
 ずっと前にヘシ折られた大男の両足を愚弄(ぐろう)する音……。
 すべての生命を冷眼視し、度外視して、鉄と火との激闘に熱中させる地獄騒音……。
 はるかの木工場から咽(むせ)んで来る旋回円鋸機(せんかいえんきょき)の悲鳴は、首筋から耳の付け根を伝わって、頭髪一本一本|毎(ごと)に沁(し)み込んで震える。あの音も数本の指と、腕と、人の若者の前額(ぜんがく)を斬り割いた。その血しぶきは今でも梁木(はりき)の胴腹に黒ずんで残っている。

 私の父親世間から狂人扱いにされていた。それは仕事にかかったが最後、昼夜ブッ通しに、血も涙もない鋼鉄色の瞳をギラギラさせる、無学な、醜怪な老職工だからであった。それがこの工場十字架であり、誇りであると同時に、数十の鉄工所に対する不断の脅威となっていたからであった。
 だから人体一部分、もしくは生命そのものを奪った経験を持たぬ機械は、この工場に一つもなかった。真黒い壁や、天井の隅々までも血の絶叫と、冷笑が染(し)み込んでいた。それ程|左様(さよう)にこの工場の職工連は熱心であった。それ程左様にこの工場機械|等(ら)は真剣であった。
 しかも、それ等の一切を支配して、鉄も、血も、肉も、霊魂も、残らず蔑視して、木ッ葉の如く相闘わせ、相呪わせる……そうして更に新しく、偉大な鉄の冷笑を創造させる……それが私の父親の遺志であった。……と同時に私が微笑すべき満足ではなかったか……。
「ナアニ。やって見せる。児戯に類する仕事だ……」

 私は腕を組んだまま悠々と歩き出した。まだまだこれからドレ位の生霊を、鉄の餌食(えじき)に投げ出すか知れないと思いつつ……馬鹿馬鹿しいくらい荘厳な全工場の、叫喚(きょうかん)、大叫喚を耳に慣れさせつつ……残虐を極め空想微笑させつつ運んで行く、私の得意の最高潮……。
「ウワッ。タタ大将オッ」
 という悲鳴に近い絶叫が私の背後に起った。
「……又誰かやられたか……」
 と私は瞬間に神経を冴(さ)えかえらせた。


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