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怪異考 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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  • 【ちくま日本文学034】寺田寅彦 1878-1935
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 物理学の学徒としての自分は、日常普通に身辺に起こる自然現象不思議を感ずる事は多いが、古来のいわゆる「怪異」なるものの存在を信ずることはできない。しかし昔からわれわれの祖先が多くの「怪異」に遭遇しそれを「目撃」して来たという人事現象としての「事実」を否定するものではない。われわれの役目はただそれらの怪異現象記録現代科学上の語彙(ごい)を借りて翻訳するだけの事でなければならない。この仕事はしかしはなはだ困難なものである。錯覚や誇張さらに転訛(てんか)のレンズによってはなはだしくゆがめられた影像からその本体を言い当てなければならない。それを的確に成効しうるためにはそのレンズに関する方則を正確に知らなければならない、のみならず、またその個々の場合における決定条件として多様の因子を逐一に明らかにしなければならない。この前者の方則については心理学のほうから若干の根拠は供給されるとしても、後者に関する資料はほとんどすべての場合において永久に失われている。従ってほんとうに科学的な推定を下すということはほとんど望み難いことである。ただできうる唯一の方法としては、有るだけの材料から、科学的に合理的な一つの「可能性」を指摘するに過ぎない。もっともこの可能性が非常に多様であれば、その中の二三を指摘してみても、それは結局なんらの価値もない漫談となってしまうであろうが、多くの場合に必ずしもそうとは限らない。ことにある一種の怪異に関する記録豊富にあればあるほど、この可能性の範囲はかなりまで押しせばめられる。従ってやや「もっともらしい仮説」というまでには漕(こ)ぎつけられる見込みがあるのである。そこまで行けば、それはともかくも一つの仮説として存在する価値を認めなければならず、また実際科学者たちにある暗示を提供するだけの効果をもつ事も有りうるであろうと思われる。
 そういう意味自分が従来多少興味をもっている怪異が若干ある。しかしこれを正当に研究するためにまず少なくも一通り関係文献を古書の中から拾い集めてかかる必要がある。それは到底今の自分には急にできそうもない。それかと言っていつになったらそれができるという確かな見込みも立たない。
 それで、ただここにはほんの一つの空想、ただし多少科学的の考察に基づいた空想あるいは「小説」を備忘録として書き留めておく。もしこれらの問題に興味をもつほんとうの考証家があればありがたいと思うまでである。

       一

 その怪異の第一は、自分郷里高知(こうち)付近で知られている「孕(はらみ)のジャン」と称するものである。孕は地名で、高知海岸に並行する山脈浦戸湾(うらどわん)に中断されたその両側の突端の地とその海峡とを込めた名前である。この現象については、最近に、土佐(とさ)郷土史(きょうどし)の権威として知られた杜山居士(とざんこじ)寺石正路(てらいしまさみち)氏が雑誌土佐史壇」第十七号に「郷土史断片」その三〇として記載されたものがある。「(前略)昔はだいぶ評判の事であったが、このごろは全くその沙汰(さた)がない、根拠の無き話かと思えば、「土佐今昔物語」という書に、沼澄(ぬまずみ)(鹿持雅澄(かもちまさずみ)翁(おう))の名をもって左のとおりしるされている。

孕の海にジャンと唱うる稀有(けう)のものありけり、たれしの人もいまだその形を見たるものなく、その物は夜半にジャーンと鳴り響きて海上を過ぎ行くなりけり、漁業をして世を渡るどちに、夜半に小舟浮かべて、あるは釣(つ)りをたれ、あるいは網を打ちて幸(さち)多かるも、このも海上を行き過ぐればたちまちに魚騒ぎ走りて、時を移すともその夜はまた幸(さち)なかりけり、高知ほとりの方言に、ものの破談になりたる事をジャンになりたりというも、この海上行き過ぐるものよりいでたることなん語り伝えたりとや。

 この文は鹿持翁の筆なればおおよそ小百年前のことにして孕(はらみ)のジャンはこのほどの昔よりもすでにその伝があったことが知れる(後略)。」寺石氏はこのジャンの意味の転用に関する上記の説の誤謬(ごびゅう)を指摘している。また終わりに諏訪湖(すわこ)の神渡り音響の事を引き、孕のジャンは「何か微妙な地の震動に関したことではあるまいか」と述べておられる。
 私は幼時近所の老人からたびたびこれと同様な話を聞かされた。そしてもし記憶の誤りでなければ、このジャンの音響とともに「水面にさざ波が立つ」という事が上記の記載に付加されていた。
 この話を導き出しそうな音の原因に関する自分のはじめの考えは、もしや昆虫(こんちゅう)かあるいは鳥類群れが飛び立つ音ではないかと思ってみたが、しかしそれは夜半の事だというし、また魚が釣(つ)れなくなるという事が確実とすれば単に空中の音波のためとは考えにくいと思われた。ところが先年|筑波山(つくばさん)の北側の柿岡(かきおか)の盆地へ行った時にかの地には珍しくない「地鳴り」の現象を数回体験した。その時に自分は全く神来的に「孕(はらみ)のジャンはこれだ」と感じた。この地鳴りの音は考え方によってはやはりジャーンとも形容されうる種類の雑音であるし、またその地盤の性質、地表の形状被覆物の種類によってはいっそうジャーン聞こえやすくなるであろうと思われうるたちのものである。そして明らかに一方から一方へ「過ぎ行く」音で、それが空中ともなく地中ともなく過ぎ去って行くのは実際他に比較するもののない奇異の感じを起こさせるものである。ちょうど自分観測室内にいた時に起こった地鳴りの際には、磁力計の頂上に付いている管が共鳴してその頭が少なくも数ミリほど振動するのを明らかに認める事ができたし、また山中で聞いた時は立っている靴(くつ)の底に明らかにきわめて短週期の震動を感じた。これだけの振動があれば、適当境界条件の下に水面のさざ波を起こしうるはずであるし、また水中の魚類耳石等にもこれを感じなければならないわけである。もっとも、魚類がこの種の短週期弾性波に対してどう反応するかについて自分はあまりよく知らないが、これだけの振動全然感覚であろうとは想像し難い。
 地鳴りの現象については、わが国でもすでに大森(おおもり)博士らによっていろいろ研究された文献がある。そのほんとうの原因的機巧はまだよくわからないが、要するに物理的には全くただ小規模の地震であって、それが小局部にかつ多くは地殻(ちかく)表層(ひょうそう)に近く起こるというに過ぎないであろうと判断される。
 もし「孕(はらみ)のジャン」として知られた記録どおりの現象が、実際にあったものと仮定し、またこれが筑波地方(つくばちほう)の地鳴りと同一系統の地球物理学現象であると仮定すると、それから多少興味のある地震学上のスペキュレーションを組み立てる事ができる。
 ジャンの記録はすでに百年前にはある。もっともこの記録では、当時これが現存したものか、あるいは過去の事として書いたものか、あまり判然とはしない。そしてとにかくわれわれの現時はないと言われている。自分の幼時にこの事を話した老人は現に自分でこれを体験したかのごとく話したが、それは疑わしいとしても、この老人の頭の若かった時代にこの話がかなりの生々しい色彩をもって流布されていた事は確からしい。
 土佐における大地変の最初の記録としては、西暦六八四年天武天皇時代地震で、土地五十万|頃(けい)が陥落して海となったという記録があり、それからずっと後には慶長九年(一六〇四)と宝永四年(一七〇七)ならびに安政元年一八五四)とこの三回の大地震が知られており、このうちで、後の二回には、海浜の地帯に隆起沈降のあった事が知られている。さて、これらの大地震によって表明される地殻(ちかく)の歪(ひずみ)は、地震のない時でも、常にどこかに、なんらかの程度に存在しているのであるから、もし適当条件の具備した局部の地殻があればそこに対し小規模の地震、すなわち地鳴りの現象誘起しても不思議はないわけである。そして、それがある時代には頻繁(ひんぱん)に現われ、他の時代にはほとんど現われなくなったとしても、それほど不思議な事とは思われない。
 今問題の孕(はらみ)の地形を見ると、この海峡は、五万分の一の地形図を見れば、何人も疑う余地のないほど明瞭(めいりょう)な地殻(ちかく)の割れ目である。すなわち東西に走る連山が南北に走る断層線で中断されたものである。さらにまたこの海峡西側に比べると東側山脈の脊梁(せきりょう)は明らかに百メートルほどを沈下し、その上に、南のほうに数百メートルもずれ動いたものである事がわかる。


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