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怪異黒姫おろし - 江見 水蔭 ( えみ すいいん )

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       一  熊! 熊! 荒熊。それが人に化けたような乱髪、髯面(ひげづら)、毛むくじゃらの手、扮装(いでたち)は黒紋付の垢染(あかじ)みたのに裁付袴(たっつけばかま)。背中から腋の下へ斜(はす)に、渋段々染の風呂敷包を結び負いにして、朱鞘の大小ぶっ込みの他(ほか)に、鉄扇まで腰に差した。諸国武者修業の豪傑とは誰の眼にも見えるのが、大鼻の頭に汗の珠(たま)を浮べながら、力一杯片膝下に捻伏(ねじふ)せているのは、娘とも見える色白の、十六七の美少年、前髪既に弾け乱れて、地上の緑草(りょくそう)に搦(から)めるのであった。
「御免なされませ。お許し下さりませ」
 悲し気にかつは苦し気に、はた唸(うめ)き気味で詫びるのであった。
「何んで許そうぞ、拙者に捕ったが最期じゃ。観念して云うがままに成りおれぇ」と、武道者の声は太く濁って、皹入(ひびい)りの竹法螺(たけぼら)を吹くに似通った。
 北国(ほっこく)街道から西に入った黒姫山(くろひめやま)の裾野の中、雑木は時しもの新緑に、午(ひる)過ぎの強烈な日の光を避けて、四辺(あたり)は薄暗くなっていた。
 山神(さんじん)の石の祠(ほこら)、苔に蒸し、清水湧出(わきいず)る御手洗池(みたらしいけ)には、去歳(こぞ)の落葉が底に積って、蠑※(いもり)の這うのが手近くも見えた。
 萱(かや)や、芒(すすき)や、桔梗(ききょう)や、小萩(こはぎ)や、一面にそれは新芽を並べて、緑を競って生え繁っていた。その上で荒熊の如き武道者が、乙女の如き美少年を、無残にも膝下(しっか)に組敷いているのは、いずれ尋常出来事と見えなかった。
 もとより人里には遠く、街道|端(はず)れの事なれば、旅の者の往来(ゆきき)は無し。ただ孵化(かえ)り立の蝉(せみ)が弱々しく鳴くのと、山鶯(やまうぐいす)の旬(しゅん)脱(はず)れに啼くのとが、断(き)れつ続きつ聴えるばかり。
「それならば、どう致したら宜しいのか」と怨めしそうに美少年は云った。
「おぬしの身の皮を残らず剥(は)ぐ。丸裸にして調べるのじゃ」
「それは又何故に」
「ええ、未(ま)だ空惚(そらとぼ)けおるか。おぬしは拙者の腰の印籠(いんろう)を盗みおった。勿論油断して岩を枕に午睡(ひるね)したのがこちらの不覚。併し懐中無一文武者修業、行先々(ゆくさきざき)の道場荒し。いずれ貧乏と見縊(みくび)って、腰の印籠に眼を付けたのが憎らしい。印籠は僅かに二重、出来合の安塗、朱に黒く釘貫(くぎぬき)の紋、取ったとて何んとなろう。中の薬とても小田原外郎(ういろう)、天下どこにもある品を、何んでおぬしは抜き取った」
「いえいえ、全く覚えの無い事」
「ええ、未だ隠すか。これ、この懐中(ふところ)のふくらみ、よもやその方|女子(おなご)にして、乳房の高まりでも有るまいが」
 毛むくじゃらの手を懐中(ふところ)に突込み、胸を引裂いてその腸(はらわた)でも引ずり出したかの様、朱塗の剥げた粗末な二重印籠根付(ねつけ)も緒締(おじめ)も安物揃い。
「これ見ろ」
 美少年は身を顫わせ、眼には涙をさえ浮べて。
「御免なされませ。まことは私、盗みました。それも母親大病医師(いしゃ)に見せるも、薬を買うも、心に委(まか)せぬ貧乏ぐらしに」
「なんじゃ、母親大病、ふむ、盗みをする、孝行からとは、こりゃ近頃の感服話。なれども、待て、人の物に手を掛けたからには、罪は既に犯したもの。このままには許し置かれぬ。拙者は拙者だけの成敗、為(す)るだけの事は為る。廻国中の話の種。黒姫山裾野にて、若衆叩き払い致して遣わすぞ」
 力に委せて武道者は、笞刑(ちけい)を美少年に試みようとした。
「この上は是非御座りませぬ。御心委せに致しまする。が、お情けには、人に見られぬ処にて、お仕置受けましょう。ここは未だ山の者の往来が御座りまする」と美少年は懇願した。
「好(よ)し、それでは、山神の祠の後へ廻わろう」と漸(ようや)く武道者は手を緩めた。
「これもこちらへ隠しまして」と美少年は草籠(くさかご)を片寄せると見せて、利鎌(とがま)取るや武道者の頸(くび)に引掛け、力委せにグッと引いた。
「わッ」と声を立てたきり、空(くう)を掴(つか)んで武道者は、見掛けに依(よ)らぬ脆(もろ)い死に方。
 美少年は後から、トンと武道者の背を蹴った。前にバッタリ大木が倒れた状態。山蟻(やまあり)が驚いて四方に散った。
 血鎌を振って美少年はニッコと笑み。
「たわけな武者修業|奴(め)、剣法では汝(うぬ)には勝てぬけども、鎌の手の妙術、自然に会得した滝之助(たきのすけ)だ。むざむざ尻叩(しりたた)きを食うものか」
 冷笑の裡(うち)に再び印籠を取り上げた。
「これで八十六になった」

       二

 美少年滝之助は越後(えちご)領|関川宿(せきかわじゅく)の者、年齢(とし)は十四歳ながら、身の発育は良好で、十六七にも見えるのであった。それで又見掛けは女子(おなご)に均(ひと)しい物優しさ、天然の美貌は衆人の目につき、北国街道旅人の中にも、あれは女の男に仮装したものと疑う者が多いのであった。
 それが鎌遣(かまつか)いの名人今日はここで荒熊の如き武道者をさえ殺したのであった。見掛けに依らぬ大胆不敵さ、しかも印籠盗みの罪を重ねて八十六とまでに数えるとは。


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