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恐しき通夜 - 海野 十三 ( うんの じゅうざ )

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  • ■泉鏡花『通夜物語』大正2年、春陽堂、永洗挿絵■
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     1 「一体どうしたというんだろう。大変に遅いじゃないか」  眉(まゆ)を顰(ひそ)めて、吐きだすように云ったのは、赭(あか)ら顔(がお)の、でっぷり肥った川波船二(かわなみふねじ)大尉だった。窓の外は真暗で、陰鬱(いんうつ)な冷気(れいき)がヒシヒシと、薄い窓|硝子(ガラス)をとおして、忍びこんでくるのが感じられた。
「ほう、もう八時に二分しか無いね。先生、また女の患者にでも掴(つかま)ってんのじゃないか」
 腕時計硝子蓋(ガラスぶた)を、白い実験着の袖(そで)で、ちょいと丸く拭(ぬぐ)いをかけて、そう皮肉ったのは白皙(はくせき)長身理学士|星宮羊吾(ほしみやようご)だった。
 これは第三航空試験所の一部、室内には二人の外誰も見えない。だがこの二十坪ばかりの実験室には、所も狭いほど、大きな試験台や、金具(かなぐ)がピカピカ光る複雑な測定器や、頑丈(がんじょう)な鉄の枠(フレイム)に囲(かこま)れた電気機械などが押しならんでいて、四面の鼠色(ねずみいろ)の壁体(へきたい)の上には、妖怪(ようかい)の行列をみるようなグロテスク極(きわ)まる大きい影が、匍(は)いのぼっているのだった。
「キ、キ、キ、キキキッ」
 ああ厭(いや)な鳴き声だ。
 ホト、ホトと、入口の重い扉(と)の叩かれる音。二人は、顔を見合わせた。
 クルクルと把手(ハンドル)の廻る音がして、扉(ドア)がしずかに開く。そのあとから、ソッと顔が出た。
 色の浅ぐろい、苦味(にがみ)の走ったキリリとした顔の持ち主――大蘆原(おおあしはら)軍医だった。
 室内の先客(せんきゃく)である川波大尉と星宮理学士との二人が、同時にハアーッと溜息(ためいき)をつくと、同時に言葉をかけた。
「遅いじゃないか。どうしたのか」と大尉
「あまり静かに入ってきたので、また気が変な女でもやってきたのかと思ったよ。ハッハッハッ」と星宮理学士が、作ったような笑い方をした。
「いや、遅くなった。患者(かんじゃ)が来たもんで(と、『患者』という言葉に力を入れて発音しながら)手間がとれちまった。だが、お詫(わ)びの印(しるし)に、お土産を持ってきたよ、ほら……」
 そういって大蘆原軍医は、入口のところで何やら笊(ざる)の中に盛りあがった真黒なものを、さしあげてみせた。
「何じゃ、それは……」
栄螺(さざえ)じゃよ、今日徹夜実験記念に、僕がうまく料理をして、御馳走をしてやるからね」大蘆原軍医はそう云ってから、笊(ざる)の中から、一番大きな栄螺を掴(つか)みあげると、二人のいる卓上(テーブル)のところまで持ってきた。磯(いそ)の香(か)がプーンと高く、三人の鼻をうった。すばらしく大きい、獲(と)れたばかりと肯(うなず)かれる新鮮な栄螺だった。
「大きな栄螺じゃな」と大尉は喜んだ。
軍医殿は、人間のお料理ばかりかと思っていたら、栄螺のお料理も、おたっしゃなんだね」と、星宮理学士が野次(やじ)った。
 そこで三人の間にどっと爆笑が起った。だが反響の多いこの室内の爆笑は大変|賑(にぎや)かだったが、一旦それが消えてしまうとなると、反動的に、墓場のような静寂(せいじゃく)がヒシヒシと迫(せま)ってくるのだった。
「キキキッ」
 とまた鳴いた。
「可哀想(かわいそう)に、鳴いているな」そう云って大蘆原軍医は、大きい鉄枠(てつわく)のなかを覗(のぞ)きこんだ。そこには大きな針金で拵(こしら)えた籠(かご)があって、よく肥ったモルモット三十匹ほど、藁床(わらどこ)の上をゴソゴソ匍いまわっていた。
「じゃ、そろそろ実験にとりかかろうじゃないか」と星宮理学士が、腰をあげて、長身をスックリと伸(のば)した。
「よかろう」研究班長の川波大尉は、実験方針書としるしてある仮綴(かりとじ)の本を片手に掴(つか)みあげた。「第一測定は、午後九時カッキリにするとして、まず実験準備の方をテストすることにしよう。大蘆原軍医殿に、モルモット硝子鐘(ガラスがね)のなかに移して貰おう。それから、星宮君は、すぐ真空喞筒(しんくうポンプ)を回転(まわ)してくれ給え」
 航空大尉と、理学士と、軍医との協同実験が始まった。これは川波大尉担任する研究題目で、航空学に関する動物実験なので、気圧の低くなった硝子鐘(ガラスがね)のなかに棲息(せいそく)するモルモット能力について、これから一時間毎に、観測をしてゆこうというのだった。大尉は専(もっぱ)ら指揮を、理学士は器械部の目盛を読むことを、そして軍医モルモット動物反応記録するのが役目だった。この三人の学者は、毎時間に、五分間を観測記録に費(ついや)すと、故障の突発しないかぎり、あとの五十五分間というものを過ごすのに、はなはだ退屈(たいくつ)を感ずるのだった。


     2


「この調子で、暁け方まで頑張るのは、ちと辛いね」と大蘆原軍医が、ポケットウィスキーの小さいアルミニューム製のコップを、コトリと卓上(テーブル)の上に置きながら云うのだった。
軍医どのの栄螺(さざえ)料理が無ければ、儂(わし)は五十五分間ずつ寝るつもりだった」と川波大尉が、ポカポカ湯気(ゆげ)のあがっている真黒の栄螺の壺(つぼ)を片手にとりあげ、お汁をチュッと吸ってから、そう云った。
「大蘆原軍医殿は、この栄螺内臓を珍重(ちんちょう)されるようだが、僕はこんな味のものだとは、今日今日まで知らなかった」と、星宮理学士は、長い箸(はし)を器用に使って、黄色味がかったプリプリするものを挾(はさ)みあげると、ヒョイと口の中に抛(ほう)りこんで、ムシャムシャ甘味(うま)そうに喰べた。
「そうです、これは一種異様の味がするでしょう。お気に入りましたか星宮君」と軍医は照れたような薄笑いを浮べ、ダンディらしい星宮理学士の口許(くちもと)に射るような視線をおくった。
「そうかね、僕の方の栄螺は、別に変った味もないが、どうれ……」と大尉は、向うから箸をのばして、星宮理学士の壺焼の中を摘もうとした。
「吁(あ)ッ、川波大尉」駭(おどろ)いたように軍医はそれを遮(さえぎ)った。「まだ栄螺は、こっちにもドッサリありますから、こっちのをおとり下さい。なにも、星宮君が陶酔(とうすい)している分をお取りなさらなくても……」
 そういって、何故か軍医は、大尉の前に別の壺焼を置いたのだった。
「あ、そうか、これはすまない」と、大尉ちょっと機嫌を損じたが、アルコールの加減で、すぐ又元のような上機嫌に回復した。「こんなに新しいと、いくらでも喰えるね」
「いや、今僕の喰ったやつは、中で一番違った味をもっていてね、珍らしい栄螺だった」と、理学士はまだ惜しそうに、空(から)になった殻(から)を振り、奥の方に箸をつきこみながら、舌なめずりをした。


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