恐怖城 - 佐左木 俊郎 ( ささき としろう )
第一章
1
森谷牧場(もりやぼくじょう)の無蓋(むがい)二輪の箱馬車は放牧場のコンクリートの門を出ると、高原地帯の新道路を一直線に走っていった。馬車には森谷家の令嬢の紀久子(きくこ)と、その婚約者の松田敬二郎(まつだけいじろう)とが乗っていた。松田敬二郎が牧場の用事で真駒内(まこまない)の種畜場へ出かけるのを、令嬢の紀久子が市街地まで送っていくのだった。
空は孔雀青(くじゃくあお)の色を広げていた。陽(ひ)は激しくぎらぎらと照りつけていた。路傍の芒(すすき)が銀のように光っていた。
「眩(まぶ)しいわ」
紀久子は馬車の上に薄紫色のパラソルを開いた。
「冬服じゃ暑かったかしら?」
「夜になると寒いんですもの」
「暑いのはもう日中だけですね」
そして、二人はパラソルの下で身近く寄り添った。
「ほいやっ、しっ!」
馭者(ぎょしゃ)は長い鞭(むち)を振り上げて馬を追った。馬車はごとごと揺れながら走った。敬二郎と紀久子とはそーっと手を握り合った。
「ほいやっ!」
馭者は鞭を振り上げ振り上げては、その手を馭者台の横へ持っていった。そこには一梃(いっちょう)の猟銃がその銃口をパラソルの下の二人のほうへ向けて、横たえられてあった。猟銃は馬車の動揺につれてひどく躍っていた。
「あら! 奇麗に紅葉しているわ。楓(かえで)かしら!」
紀久子はパラソルを窄(つぼ)めながら言った。
「あれは山毛欅(ぶな)じゃないかな? 山毛欅か楡(にれ)でしょう。楓ならもっと紅(あか)くなるから」
馬車はそして、原生林帯の中へ入っていった。道はそこで一面の落ち葉にうずめられ、もはや一分の地肌をも見せてはいなかった。落ち葉の海! 火の海! 一面の落ち葉は陽に映えて火のように輝いていた。そして、湿っぽい林道の両側には熊笹(くまざさ)の藪(やぶ)が高くなり、熊笹の間からは闊葉樹(かつようじゅ)が群立して原生樹林帯はしだいに奥暗くなっていった。暗灰褐色の樹皮が鱗状(うろこじょう)に剥(む)き出しかけている春楡の幹、水楢(みずなら)、桂(かつら)の灰色の肌、鵜松明樺(さいはだかんば)、一面に刺(とげ)のある※木(たらのき)、栓木(せんのき)、白樺(しらかば)の雪白の肌、馬車は原生闊葉樹の間を午後の陽に輝きながら、ばらばらと散る紅や黄の落ち葉を浴びて、落ち葉の道の上をぼこぼこと転がっていった。
「ほいやっ、しっ!」
道はその右手に深い渓谷を持ち出して、谷底の椴松(とどまつ)林帯はアスファルトのように黒く、その梢(こずえ)の枯枝が白骨のように雨ざれていた。谷の上に伸びた樹木の渋色の幹には真っ赤な蔦(つた)が絡んでいたりした。馬車はぎしぎしと鳴り軋(きし)みながら、落ち葉の波の上をぼこぼこと沈んでは転がり、浮かんでは転がっていった。
「おいっ! 正勝(まさかつ)くん! 鉄砲を持ってきているんだね。危ないじゃないか。弾丸(たま)は入っていないのか?」
馭者台の猟銃に気がついて、敬二郎はそう言いながら猟銃に手を出した。
瞬間! 猟銃は轟然(ごうぜん)と鳴り響いた。
「あっ!」
敬二郎は横に身を躱(かわ)した。紀久子がその横腹に抱きついた。馬が驚いて跳び上がった。正勝は怪訝(けげん)そうな顔をして、馭者台から振り返った。
「どどど、ど、どうしたんだ?」
敬二郎は思うように口が利けなかった。彼は歯の根が合わなかった。真っ青な顔をして木の葉のように顫(ふる)えていた。
「引っ張ったんですか?」
馭者の正勝は沼のような落ち着きをもって訊(き)いた。
「引っ張るも引っ張らないも、弾丸を込めた鉄砲を……」
「本当に危なかったわ。ほんの二、三|分(ぶ)くらいだったわ。わたしの額のところを、弾丸がすっと通っていったの、はっきりと分かってよ」
紀久子は溜息(ためいき)をつくようにして、敬二郎の脇(わき)から顔を出した。
「本当に危なかったよ。ほんのちょっとのところで、いまごろは二人とも死んでるところだった」
敬二郎のうちには、まだ驚愕(きょうがく)の顫えが尾を引いていた。
「熊が出る季節なもんだから、鉄砲を持ってないといつどんなことが……」
「熊が出るからって、弾丸の詰まっている鉄砲をそんなところへ縛りつけて、引っ張れば発砲するようにしておくってことはないよ」
「そんなわけじゃなかったのですがね。弾丸を込めてからここへ置いたのが少し動くもんだから、なにげなく縄をかけてしまって」
「引金へ縄をかけるなんて……」
「正勝! おまえこれから無闇(むやみ)と鉄砲など持ち出しちゃ駄目よ」
紀久子は命令的に言った。
「無闇と持ち出したわけじゃないんですがね。これからしばらくの間は鉄砲も持たずに、馬を連れて歩くってわけにはいきませんよ。なにしろこれからは熊の出る季節ですからね」
馭者は反抗的に言った。
「とにかく、そこへ置くことは絶対にいかんね。こっちに寄越したまえ」
敬二郎は叱(しか)りつけるように鋭く言った。
「弾丸はもう詰まってないのだから、どこへ置いたってもう危なくはないだか……」
反抗的な語調で繰り返しながらも、正勝は猟銃を解かないわけにはいかなかった。
空は孔雀青(くじゃくあお)の色を広げていた。陽(ひ)は激しくぎらぎらと照りつけていた。路傍の芒(すすき)が銀のように光っていた。
「眩(まぶ)しいわ」
紀久子は馬車の上に薄紫色のパラソルを開いた。
「冬服じゃ暑かったかしら?」
「夜になると寒いんですもの」
「暑いのはもう日中だけですね」
そして、二人はパラソルの下で身近く寄り添った。
「ほいやっ、しっ!」
馭者(ぎょしゃ)は長い鞭(むち)を振り上げて馬を追った。馬車はごとごと揺れながら走った。敬二郎と紀久子とはそーっと手を握り合った。
「ほいやっ!」
馭者は鞭を振り上げ振り上げては、その手を馭者台の横へ持っていった。そこには一梃(いっちょう)の猟銃がその銃口をパラソルの下の二人のほうへ向けて、横たえられてあった。猟銃は馬車の動揺につれてひどく躍っていた。
「あら! 奇麗に紅葉しているわ。楓(かえで)かしら!」
紀久子はパラソルを窄(つぼ)めながら言った。
「あれは山毛欅(ぶな)じゃないかな? 山毛欅か楡(にれ)でしょう。楓ならもっと紅(あか)くなるから」
馬車はそして、原生林帯の中へ入っていった。道はそこで一面の落ち葉にうずめられ、もはや一分の地肌をも見せてはいなかった。落ち葉の海! 火の海! 一面の落ち葉は陽に映えて火のように輝いていた。そして、湿っぽい林道の両側には熊笹(くまざさ)の藪(やぶ)が高くなり、熊笹の間からは闊葉樹(かつようじゅ)が群立して原生樹林帯はしだいに奥暗くなっていった。暗灰褐色の樹皮が鱗状(うろこじょう)に剥(む)き出しかけている春楡の幹、水楢(みずなら)、桂(かつら)の灰色の肌、鵜松明樺(さいはだかんば)、一面に刺(とげ)のある※木(たらのき)、栓木(せんのき)、白樺(しらかば)の雪白の肌、馬車は原生闊葉樹の間を午後の陽に輝きながら、ばらばらと散る紅や黄の落ち葉を浴びて、落ち葉の道の上をぼこぼこと転がっていった。
「ほいやっ、しっ!」
道はその右手に深い渓谷を持ち出して、谷底の椴松(とどまつ)林帯はアスファルトのように黒く、その梢(こずえ)の枯枝が白骨のように雨ざれていた。谷の上に伸びた樹木の渋色の幹には真っ赤な蔦(つた)が絡んでいたりした。馬車はぎしぎしと鳴り軋(きし)みながら、落ち葉の波の上をぼこぼこと沈んでは転がり、浮かんでは転がっていった。
「おいっ! 正勝(まさかつ)くん! 鉄砲を持ってきているんだね。危ないじゃないか。弾丸(たま)は入っていないのか?」
馭者台の猟銃に気がついて、敬二郎はそう言いながら猟銃に手を出した。
瞬間! 猟銃は轟然(ごうぜん)と鳴り響いた。
「あっ!」
敬二郎は横に身を躱(かわ)した。紀久子がその横腹に抱きついた。馬が驚いて跳び上がった。正勝は怪訝(けげん)そうな顔をして、馭者台から振り返った。
「どどど、ど、どうしたんだ?」
敬二郎は思うように口が利けなかった。彼は歯の根が合わなかった。真っ青な顔をして木の葉のように顫(ふる)えていた。
「引っ張ったんですか?」
馭者の正勝は沼のような落ち着きをもって訊(き)いた。
「引っ張るも引っ張らないも、弾丸を込めた鉄砲を……」
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紀久子は溜息(ためいき)をつくようにして、敬二郎の脇(わき)から顔を出した。
「本当に危なかったよ。ほんのちょっとのところで、いまごろは二人とも死んでるところだった」
敬二郎のうちには、まだ驚愕(きょうがく)の顫えが尾を引いていた。
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「熊が出るからって、弾丸の詰まっている鉄砲をそんなところへ縛りつけて、引っ張れば発砲するようにしておくってことはないよ」
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「無闇と持ち出したわけじゃないんですがね。これからしばらくの間は鉄砲も持たずに、馬を連れて歩くってわけにはいきませんよ。なにしろこれからは熊の出る季節ですからね」
馭者は反抗的に言った。
「とにかく、そこへ置くことは絶対にいかんね。こっちに寄越したまえ」
敬二郎は叱(しか)りつけるように鋭く言った。
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- [[biglobe]] 水戸 トランプ城
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