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恩を返す話 - 菊池 寛 ( きくち かん )

  • 古書◆平凡社発行續菊池寛全集著者 菊池寛昭和9年6月印刷発行
  • ◎大正10年発行の「法律の轍」菊池寛訳 春陽堂
  • 朗読CD 朗読街道17「無名作家の日記」菊池寛 旧ジャケ 
  • 菊池寛『仇討新八景』鱒書房(歴史新書)昭和30年
  • 朗読CD 朗読街道20「蘭学事始」菊池寛 試聴あり
  • 朗読CD 朗読街道9「恩讐の彼方に」菊池寛 試聴あり
  • 第二の接吻 菊池寛 初版昭和22年 難有り
  • 菊池寛 『日本武将譚』 昭和16年重版
  • 新潮文庫413菊池寛『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』昭和50
  • 新潮文庫 菊池寛 「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」
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 寛永十四年の夏は、九州一円に近年にない旱炎(かんえん)な日が続いた。その上にまた、夏が終りに近づいた頃、来る日も来る日も、西の空に落つる夕日真紅の色に燃え立って、人心に不安な期待を、植えつけた。
 九月に入ると、肥州(ひしゅう)温泉(うんぜん)ヶ|嶽(だけ)が、数日にわたって鳴動した。頂上の噴火口に投げ込まれた切支丹宗徒(きりしたんしゅうと)の怨念(おんねん)のなす業だという流言が、肥筑(ひちく)の人々を慄(おそ)れしめた。
 凶兆はなお続いた。十月の半ばになったある朝、人々は、庭前の梅や桜が時ならぬ蕾を持っているのを見た。
 十月の終りになって、これらの不安恐怖クライマックスがついに到来した。それは、いうまでもなく島原切支丹宗徒の蜂起である。
 肥後熊本(ひごくまもと)の細川越中守(ほそかわえっちゅうのかみ)の藩中は、天草とはただ一脈の海水を隔つるばかりであるから、賊徒蜂起の飛報に接して、一藩はたちまち強い緊張に囚われた。
 しかも一|揆(き)が、かりそめの百姓一揆とちがって、手強い底力を持っていることが知れるに従って、一藩の人心はいよいよ猛り立った。家中の武士は、元和(げんな)以来、絶えて使わなかった陣刀や半弓の手入れをし始めた。
 松倉勢(まつくらぜい)の敗報が、頻々と伝えられる。しかし、藩主|忠利侯(ただとしこう)は在府中である上に、みだりに援兵を送ることは、武家|法度(はっと)の固く禁ずるところであった。国老たちの協議の末、藩中の精鋭四千を川尻(かわじり)に出して封境(ほうきょう)防備の任に当らしめることになった。
 わが神山甚兵衛(かみやまじんべえ)も、この人数のうちに加わっていた。成年を越したばかりの若武者であったが、兵法上手である上に、銅色を帯びた双の腕(かいな)には、強い力が溢れている。
 国境を守って、松倉家からの注進を聞きながら、脾肉(ひにく)の嘆(たん)を洩しているうちに、十余日が経った。いよいよ十二月八日、上使|板倉内膳正(いたくらないぜんのしょう)が到着した。細川勢は、抑えに抑えた河水が堤を決したように、天草領へ雪崩(なだ)れ入った。が、しかし一揆らが唯一の命脈と頼む原城(はらじょう)は、要害無双の地であった。搦手(からめて)は、天草灘の波濤が城壁の根を洗っている上に、大手には多くの丘陵が起伏して、その間に、泥深い沼沢が散在した。
 板倉内膳正は、十二月十日の城攻めに、手痛き一揆の逆襲を受けて以来、力攻めを捨てて、兵糧攻めを企てた。が、それも、長くは続かなかった。十二月二十八日、江府から松平豆州(まつだいらずしゅう)が上使として下向(げこう)したという情報に接すると、内膳正は烈火のごとく怒って、原城城壁に、自分身体と手兵とを擲(な)げ付けようと決心した。
 細川家の陣中へも、総攻めの布告が来た。しかし翌二十九日は、冬には希な大雨が降り続いて、沼池(しょうち)の水が溢れた。三十日は、昨日大雨の名残りで、軍勢の足場を得かねた。
 あくる寛永十五年の元朝(がんちょう)は、敵味方とも麗かな初日を迎えた。内膳正は屠蘇(とそ)を汲み乾すと、立ちながら、膳を踏み砕いて、必死の覚悟を示した。
 この日は、夜明け方から吹き募(つの)った、烈風が砂塵を飛ばして、城攻めには屈強の日と見えた。正辰(しょうたつ)の刻限から、寄手は、息もっかず、ひしひしと攻め寄った。
 神山甚兵衛も、出陣以来、待ちに待った日にあうことを喜んだ。彼は少年の折から、一度は実地に使ってみたいと望んでいた天正祐定(てんしょうすけさだ)の陣刀を振り被りながら、難所を選んで戦うた。
 しかし寄手は、散々に打ち悩まされた。内膳正が流れ弾にあたって倒れたのを機会に、総敗軍の姿となって引き退く後を、城兵が城門を開いて、慕うて来た。
 この時である。甚兵衛は他の若武者と共に細川勢の殿(しんがり)をして戦いながら退いた。その時に、敵方の一人がしつこく彼につきまとって来た。六十に近い、右の頬に瘤(こぶ)のある老人である。彼は鎧(よろい)の胴ばかりを付けていた。目のうちは異様に輝いて、熱に浮されたように「さんた、まりや」と掛け声をしながら打ち込んでくる。息切れで苦しがりながら、懸命に打ち込んでくる。敵を倒すことも、自分が斬られることも、念頭にない。ただ無性に太刀を振ることが、宗教儀礼一部であるように見えた。
 甚兵衛も、かかる老人に対しては、なんらの闘志もなかったが、余りにしつこくつきまとうので、仕方なく一刀を肩口に見舞うた。
 老人は、血を見ると、一種の陶酔から覚めて命が惜しくなったらしく、急に悲鳴を挙げながら逃げ出した。すると甚兵衛もそれに釣られて、十間ばかり追いかけようとした途端、一人の壮漢が彼の行手を遮ったのである。
 その男は、南蛮ふうの異様の服装をしていた。そして甚兵衛には解(げ)せぬ呪文を高らかに唱えながら、太刀を回して、切って掛った。甚兵衛は中段で受け止めたが、相手の腕の冴えていることはその一撃が十分に証明した。


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