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悪妻論 - 坂口 安吾 ( さかぐち あんご )

  • ★難アリ★今東光/著 『悪妻』(カバー欠)
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 悪妻には一般的な型はない。女房と亭主の個性相対的なものであるから、わが平野謙の如く(彼は僕らの仲間では大愛妻家といふ定説だ)先日両手をホータイでまき、日本木綿不足で困つてゐるなどゝは想像もできない物々しいホータイだ。肉がゑぐられる深傷だといふ無慙な話であるけれども、彼の方が女房の横ッ面をヒッパたいたことすらもないといふ沈着なる性格、深遠なる心境、まさしく愛猫家愛妻家の心境といふものは凡俗には理解のできないものだ。
 思ふに多情淫奔な細君は言ふまでもなく亭主を困らせる。困らせられるけれども、困らせられる部分で魅力を感じてゐる亭主の方が多いので、浮気な細君と別れた亭主は、浮気な亭主と別れた女房同様に、概ね別れた人にミレンを残してゐるものだ。
 ミレンを残すぐらゐなら別れなければ良からうものを、つまり、彼、彼女らは悪妻とか悪亭主といふ世の一般の通念や型をまもつて、個性的な省察を忘れたのだ。悪妻一般的な型などあるべきものではなく、否、男女関係のすべてに於て型はない。個性個性相対的な加減乗除があるだけだ。わが平野謙の如く、戦争をその残酷なる流血の故に呪ひ憎んでゐても、その女房戦争犯罪人などゝは言はず惜しみなくホータイをまいて満足してゐるから、さすがに文学者、沈着深遠、深く物の実体を究め、かりそめにも世の型の如きもので省察をにぶらせることがない。偉大! かくあるべし。
 然し、日本の亭主は不幸であつた。なぜなら、日本の女は愛妻となる教育受けないから。彼女らは、姑に仕へ、子を育て、主として、男の親に孝に、わが子に忠に、亭主そのものへの愛情に就てはハレモノにさはるやうに遠慮深く教育訓練されてゐる。日本の女を女房に、パリジャンヌを妾に、といふ世界的な説がある由、然し、悲しい日本の女よ、彼女らは世界一女房であつても、まさしく男がパリジャンヌを必要とする女房だ。日本人の蓄妾癖は野蛮人証拠だなどゝはマッカな偽り、日本女房の型、女大学の猛訓練は要するに亭主をして女房に満足させず、妾をつくらずにゐられなくなる性格を与へるためにシシとして勉強してゐるやうなものだ。
 武家政治このかた、日本には恋愛といふものが封じられ、恋愛は不義で、若気のアヤマチなどゝ云つて、恋愛の心情に対する省察も、若気のアヤマチ以上に深入りして個別的に考へられたこともない。恋愛に対する訓練がミヂンもないから、お手々をつないで街を歩くこともできず、それでいきなり夫婦、同衾とくるから、男女関係は同衾だけで、まるでもう動物訓練受けてゐるやうなもの、日本女房は、わびしい。暗い。悲しい。
 女大学訓練受けたモハンの女房良妻であるか、そして、左様な良妻に対比して、日本的な悪妻の型や見本があるなら、私はむしろ悪妻の型の方を良妻也と断ずる。
 センタクしたり、掃除をしたり、着物をぬつたり、飯を炊いたり、労働こそ神聖也とアッパレ丈夫の心掛け。けれども、遊ぶことの好きな女は、魅力があるにきまつてる。多情淫奔ではいさゝか迷惑するけれども、迷惑、不安、懊悩、大いに苦しめられても、それでも良妻よりはいゝ。
 人はなんでも平和を愛せばいゝと思ふなら大間違ひ、平和、平静、平安、私は然し、そんなものは好きではない。不安、苦しみ、悲しみ、さういふものゝ方が私は好きだ
 私は逆説を弄してゐるわけではない。人生の不幸、悲しみ、苦しみといふものは厭悪、厭離すべきものときめこんで疑ることも知らぬ魂の方が不可解だ。悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花さかせ、たのしむことの発見、これをあるひは近代発見と称してもよろしいかも知れぬ。
 恋愛といふと得恋、メデタシ/\と考へて、なんでもさうでなければならないものだときめてゐるが、失恋などゝいふものも大いに趣味のあるもので、第一、得恋メデタシ/\よりも、よつぽど退屈しない。ほんとだ。
 先日、本の広告を見てゐたら、人妻とある詩人の恋文を、二人が恋しながら、肉体関係のなかつた故に神聖な恋だと書かれてゐた。をかしな神聖があるものだ。精神の恋が清らかだなどゝはインチキで、ゼスス様も仰有(おつしや)る通り行きすぎの人妻に目をくれても姦淫に変りはない。人間はみんな姦淫を犯してをり、みんなインヘルノ落ちるものにきまつてゐる。地獄発見といふものもこれ又ひとつの近代発見地獄の火を花さかしめよ、地獄に於て人生を生きよ、こゝに於て必要なものは、本能よりも知性だ。いはゆる良妻といふものは、知性なき存在で、知性あるところ、女は必ず悪妻となる。知性はいはゞ人間性への省察であるが、かゝる省察のあるところ、思ひやり、いたはりも大きく又深くなるかも知れぬが、同時に衝突の深度が人間性の底に於て行はれ、ぬきさしならぬものとなる。
 人間性の省察は、夫婦関係に於ては、いはゞ鬼の目の如きもので、夫婦はいはゞ、弱点、欠点を知りあひ、むしろ欠点に於て関係対立を深めるやうなものでもある。その対立はぬきさしならぬものとなり、憎しみは深かまり、安き心もない。知性あるところ、夫婦つながりは、むしろ苦痛が多く、平和は少いものである。然し、かゝる苦痛こそ、まことの人生なのである。苦痛をさけるべきではなく、むしろ、苦痛のより大いなる、より鋭くより深いものを求める方が正しい。夫婦は愛し合ふと共に憎み合ふのが当然であり、かゝる憎しみを怖れてはならぬ。正しく憎み合ふがよく、鋭く対立するがよい。
 いはゆる良妻の如く、知性なく、眠れる魂の、良犬の如くに訓練されたドレイのやうな従順な女が、真実意味に於て良妻である筈はない。そしてかゝる良妻の附属品たる平和家庭が、尊ばれるべきものでないのは言ふまでもない。男女関係平和はない。人間関係には平和は少い。平和をもとめるなら孤独をもとめるに限る。


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