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我が人生観 01 (一)生れなかった子供 - 坂口 安吾 ( さかぐち あんご )

  • 日本人の人生観 山本七平 講談社学術文庫
  • 私の人生観 初めての書き下し 池田大作 文藝春秋
  • 法華経の人生観及び宇宙観 宮澤英心著 大正10年
  • ○池田大作著・私の人生観他・19冊セット・創価学会
  • ★わが人生観4 太宰治『恍惚と不安』/大和書房
  • ☆BOOK1899☆青べか日記(わが人生観)☆山本 周五郎★中古品
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我が人生観 (一)生れなかった子供  女房がニンシンしたが、子宮後屈ということで、生むことができなかった。  女房からニンシンの話をきいて、うそ寒い気持になった。年若い夫婦たちが未来設計を胸にえがいて、生れてくる子供を指折り算えて待つような気持は、私にはなかった。
 私の半生は身を持ちくずした半生だから、いろいろ病毒があるかも知れぬという怖れもあった。先般、東大神経科へ入院中、精密な病毒検査をうけたが、全部マイナスであった。医学の心得がないから確かなことは知らないが、スピロヘータにしても、ゲノコッケンにしても、潜伏期にはマイナスでしか現れないのだろう。
 私はそう思ったから担当先生に談判して、念のため、私にも、亦、女房にも一千万単位ぐらいずつペニシリン注射してもらいたいと頼んだ。せっかく二三ヶ月入院するのだから、この機会に、悪いところを全部治したいと慾を起したのである。歯も、鼻も、みんな治すつもりであった。担当先生はいくらか淋しそうに笑って、
「厳密に云えば、プロスチチュートと遊んだ人は、みんなその危険があるものと考えてよいかも知れません。戦地へでたものは、みんな身に覚えのあることですから、医者だって例外ではありませんよ。ですが、厳密に云ってはキリがないから、マア、マアという程度で、一応安心しているのですね。あなたの年齢では、もう生涯危険がないものと考えてさしつかえないでしょう」
 ここは神経科だから、担当先生は、もっぱらその方面を念頭に物を言ってらッしゃる。現在マイナスの私は、生存中に病菌が頭を犯すまでには至らないだろう、という意味のようであった。
 私もそれを怖れていた。この病院入院すると、誰しもそれを怖れるだろう。分裂病や、鬱病には、智能を犯されないが、スピロヘータにやられると、昔日の智能に恢復することができないという。
 同じ病棟に、スピロヘータに頭をやられた三十ぐらいの婦人患者がいた。毎日狂って、暴れていたが、暴れるスサマジサにも拘らず、意外に早くポックリ死ぬものだそうで、二三日うちに死ぬだろうと云われながら、生きつづけていた。
 どういうわけだか、この患者は、スリッパ草履にウラミを結んでおり、同室の患者たちのスリッパ草履を全部盗みとり、胸にだきしめて、フラフラ便所へ捨てに行く。また、一日に何回かは、廊下に見張って、通る人に、
スリッパ、よこせえ! コラ! よこせと云うに!」
 と、影のように追ってくる。人工栄養で余命を支えているのだから、狂人馬力によっても、フラフラとよろめく程度にしか歩かれない。しかし、私自身も心もとない足どりで、医者看護婦には、便器でとるように言われていたが、便器がキライで、ムリに便所へフラついて行く。その往復に、この女に呼びとめられたり、追っかけられたりするのが、苦痛であった。彼女に病毒をうつした夫の方は健在で、時々見舞いに来ているという。
 私は自分女房を考えて、この患者のことを思うたびに、暗い思いに落ちた。
「ボクは大丈夫かも知れませんが、女房が他日発病すると気の毒ですから、この機会に、やっていただきたいのです」
「ですが、本当に、その危険があるのでしょうか」
「あると思っています。それに、慢性のトリッペルは確実ですから、これから持続睡眠療法をやって衰弱すると、でてくる怖れがあるのですが」
 先生は困った顔で、うなずいて、
「ではお気に召すようにしますが、ペニシリンのことは、泌尿科にきいてみないと分量がわかりませんから、きいた上で、適当にやりましょう」
 泌尿科の話では五六十万単位で充分だとのことであったが、ムリにたのんで、三百単位ずつうってもらった。
 あの時は奇妙であった。私は二六時中、焦躁や不安にみちた幻覚に苦しめられたが、その一つが女房血液のことだ。女房が南雲さんで血液検査をうけて陽性だったという幻覚なのである。幻覚というよりも、催眠薬昏睡中にみた夢なのだ。夢で見てきたことが現実に経てきた事として自覚され、目がさめて、その続きを行う。夢と現実区別を失っていたのである。
 その幻覚は、罪の意識悔恨が主要なものであった。なぜだか、分らない。酒場へ、いくらでもない借金を払いに行っていたりした。文人らしい趣きがどこにも見当らないミミッチイ幻覚である。その一つが女房血液のことだ。
 酒場借金については過去に払いに行ってやりたいと思うことがあったが、女房血液を病毒で濁らせたという悔恨で、それまで苦しんだことがあったか、どうか、どうも疑問だ。時々苦しんだことがあった気もする。しかし、ふと目がさめて、今の夢は前に何回も見たことがあった、ような気がする場合と同じ程度に茫漠として、捉えどころがない。
 私の女房は前夫との間に二人の子供がある。又、前夫と私との中間には、幾人かの男と交渉があった。それを女房はある程度までは(と私は思うが)打ち開けていたが、私もそれを気にしなかったし、女房も前夫と結婚中は浮気をしなかった、私と一緒のうちも浮気をしない、浮気をする時は、別れる時だ、ということを、かなりハッキリ覚悟している女であった。
 私は心理表現に、カナリだとか、イクラカだとか、数量的にこだわるタチがあるのだが、持って生れた根性で、どうしても、そうなる。心理の数量上の微妙さが頭にからみついているのである。時々、それを全部払い落したくなる。そうすると、全部の説明を省く以外に手がなくなる。この方法で、気持の一端を満足させるが、他の気持をギセイにした不満によって、苦しむ。


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