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戦話 - 岩野 泡鳴 ( いわの ほうめい )

  • 岩野泡鳴全集 泡鳴全集 第6巻 大正10年 
  • ◆本◆現代日本文学全集13 S29発行 岩野泡鳴/近松秋江 q
  • 新体詩集闇の盃盤★岩野泡鳴★大正5年初版★明治文学
  • 日本文学全集 5 木下尚江 徳富蘆花 岩野泡鳴 筑摩書房 昭和45年
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 十年振りの会飲に、友人と僕とは気持ちよく酔った。戦争の時も出征して負傷したとは聴いていたが、会う機会を得なかったので、ようよう僕の方から、今度旅行の途次に、訪ねて行ったのだ。話がはずんで出征当時のことになった。
「今の僕なら、君」と少し多言になって来た。友人は、酒のなみなみつげてる猪口を右の手に持ったがまた、そのままおろしてしまった。「今の僕なら、どうせ、役場書記ぐらいで満足しとるのやもの、徴兵の徴の字を見ても、ぞッとする程の意気地なしやけど、あの時のことを思うたら、不思議勇気が出たもんや。それも大勢のお立て合う熱に浮されたと云うたら云えんこともなかろう。もう、死んだんが本統であったんやも知れんけど、兎角、勇気のないもんがこない目に会うて」と、左の肩を振って見せたが、腕がないので、袖がただぶらりと垂れていた。「帰って来ても、廃兵とか、厄介者とか云われるのやろう。もう、僕などはあかん」と、猪口を口へ持って行った。
「そんなことはないさ、」と、僕はなぐさめながら、「君は、もう、名誉歴史を終えたのだから、これから別な人間のつもりで、からだ相応な働きをすればいいじゃアないか?」「それでも、君、戦争でやった真剣勝負を思うたら、世の中でやっとることが不真面目で、まどろこしうて、下らん様に見えて、われながら働く気にもなれん。きのうもゆう方、君が来て呉れるというハガキを見てから、それをほところに入れたまま、ぶらぶら営所の近所まで散歩して見たんやけど、琵琶湖のふちを歩いとる方がどれほど愉快か知れん。あの狭い練兵場で、毎日毎日、朝から晩まで、立てとか、すわれとか、百メートルとか、千メートルとか、云うて、戦争の真似をしとるんかと思うと、おかしうもなるし、あほらしうもなるし、丸で子供ままごとや。えらそうにして聨隊の門を出て来る士官はんを見ると、『お前らは何をしておるぞ』と云うてやりとうなる。されば云うて、自分兵隊はんの抜けがら――世間借金の申し訳でないことさえ保証がつくなら、今、直ぐにでも、首くくって死んでしまいたい。」
「君は、元から、厭世家であったが、なかなか直らないと見える。然し、君、戦争は厭世の極致だよ。世の中が楽しいなぞという未練が残ってる間は、決して出来るものじゃアない。軍紀とか、命令とかいうもので圧迫に圧迫を加えられたあげく、これじゃアたまらないと気がつく個人が、夢中になって、盲進するのだ。その盲進が戦争滋養物である様に、君の現在では、家族の饑※が君の食物ではないか。人間は皆苦しみに追われて活動しているのだ。」
「そう云われると、そうに違いないのやろけど」と、友人微笑しながら、「まア、もッとお飲み。」傾けた徳利の酒が不足であったので、「おい、お銚子」と、奥へ注意してから、「女房は弱いし、餓鬼毎日泣きおる、これも困るさかいなア。」
「それはお互いのことだア。ね」と、僕が答えるとたん、から紙が開いて、細君が熱そうなお燗を持って出て来たが、大津生れの愛嬌者だけに、
「えろうお気の毒さまどすこと」と、自分は亭主に角のない皮肉をあびせかけ、銚子を僕に向けて、
「まア、一杯どうどす?――うちの人は、いつも、あないなことばかり云うとります。どうぞ、しかってやってお呉れやす。」
「まア、こういう人間は云いたいだけ云わして置きゃア済むんですよ。」
「そうどすか?」と、細君は亭主の方へ顔を向けた。
「まだ女房にしかられる様な阿房やない。」
「そやさかい、岩田はんに頼んどるのやおまへんか?」
女郎(メロウ)どもは、まア、あッちゃへ行とれ。」
「はい、はい。」
 細君は笑いながら、からの徳利を取って立った。
 友人は手をちゃぶ台の隅にかけながら、顔は大分赤みの帯び来たのが、そばに立ってるランプの光に見えた。
「岩田君、君、今、盲進は戦争の食い物やて云うたけど、もう一歩進めて云うたら、死が戦争の喰い物や。人間死ぬ時にならんと真面目になれんのや。それで死んでしもたら、もう、何もないのや。つまらん命やないか? ただくたばりそこねた者が帰って来て、その味が甘かったとか、辛かったとか云うて、えらそうに吹聴するのや、僕等は丸で耻さらしに帰って来たんも同然やないか?」
「そう云やア、僕等は一言も口嘴をさしはさむ権利はない、さ」
「まァ、死にそこねた身になって見給え。それも、大将とか、大佐とかいうものなら、立派金鵄勲章をひけらかして、威張って澄ましてもおられよけど、ただの岡見伍長ではないか? こないな意気地なしになって、世の中に生きながらえとるくらいなら、いッそ、あの時、六カ月間も生死不明にしられた仲間に這入って、支那犬の腹わたになっとる方がましであった。それにしても、思い出す度にぞッとするのは、敵の砲弾でもない、光弾の光でもない、速射砲の音でもない、実に、僕の隊附きの軍曹大石という人が、戦線の間を平気で往来した姿や。これが、今でも、幽霊の様に、また神さまの様に、僕の心に見えとるんや。」
何か意味のありそうな話じゃないか?」
「詳しうすれば長なろけれど、大石という人はもとから忠実で、柔順で、少し内気な質であったと思い給え。現役であったにも拘らず、第○聨隊最初の出征に加わらなかったんに落胆しとったんやけど、おとなしいものやさかい、何も云わんで、留守番役をつとめとった。それが予備軍のくり出される時にも居残りになったんで、自分は上官に信用がないもんやさかいこうなんのやて、急にやけになり、常は大して飲まん酒を無茶苦茶に飲んだやろ、赤うなって僕のうちへやって来たことがある。僕などは、『召集されないかて心配もなく、また召集されるような様子になったら、その前からアメリカへでも飛んで行きたいんを、わが身から進んでそないに力んだかて阿房らしいやないか? て』冷かしてやったんけど大した意気込みで不平を云うとって、取り合わん。『こないなことなら、いッそ、割腹して見せてやる』とか、『鉄砲腹をやってやる』とか、なかなか当るべからざる勢いであったんや。然し、いよいよ僕等までが召集されることになって、高須大佐のもとに後備歩兵聨隊が組織され、それが出征する時、待ちかまえとった大石軍曹も、ようよう附いてくことが出来(でき)る様になったんで、その喜びと云うたら、並み大抵ではなかった。どうせ、無事に帰るつもりは無いて、細君を離縁する云い出し、自分の云うことを承知せんなら、露助と見て血祭りにする云うて、剣を抜いて追いまわしたんや。」
 こう云って、友人鳥渡(ちょっと)僕から目を離して、猪口に手をかけた。僕も一杯かさねてから、
「実際離縁したのか?」
「いや」と、友人は少し笑いを含みながら、「その手つづきは後でしてやると親類人達がなだめて、万歳の見送りをしたんやそうや。もう、その時から、少し気が触れとったらしい。


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