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振動魔 - 海野 十三 ( うんの じゅうざ )

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     1  僕はこれから先(ま)ず、友人|柿丘秋郎(かきおかあきろう)が企てた世にも奇怪きわまる実験について述べようと思う。  柿丘秋郎と云ったのでは、読者一向興味を覚えないだろうと思うが、これは無論、僕が仮りにつけた変名であって、もしもその本名此処に真正直(ましょうじき)に書きたてるならば、それが余りにも有名人物なので、読者は吁(あ)ッと驚いてしまうだろう。それにも拘(かかわ)らず、敢えてジャーナリズムに背(そむ)き、彼の本名を曝露(ばくろ)しない理由は――と書きかけたものの、僕は内心それに言及(げんきゅう)することに多大の躊躇(ちゅうちょ)を感じていることを告白せねばならない――彼の本名を曝露(ばくろ)しない其の理由は、彼の妻君である柿丘呉子(かきおかくれこ)を、此後に於ても出来得るかぎり苦しめたくないからなのである。呉子さんは野獣的な今の世に、まことに珍らしいデリケート女性である。それをちょっと比喩(たと)えてみるなれば、柔い黄色羽根がやっと生えそろったばかりのカナリヤの雛仔(ひな)を、ソッと吾(わ)が掌(て)のうちに握ったような気持、とでも云ったなら、仄(ほの)かに呉子さんから受ける感じを伝えることができるように思われる。庭の桐(きり)の木(き)の葉崩(はくず)れから、カサコソと捲きおこる秋風呉子さんの襟脚(えりあし)にナヨナヨと生え並ぶ生毛(うぶげ)を吹き倒しても、また釣瓶落(つるべお)ちに墜(お)ちるという熟柿(じゅくし)のように真赤な夕陽が長い睫(まつげ)をもった円(つぶ)らな彼女の双(そう)の眼を射当(いあ)てても、呉子さんの姿は、たちどころに一抹の水蒸気と化して中空に消えゆきそうに考えられるのだった。ああ僕は、あだしごとを述べるについて思わず熱心でありすぎたようだ。
 このような楚々(そそ)たる麗人(れいじん)を、妻と呼んで、来(きた)る日(ひ)来(きた)る夜(よ)を紅閨(こうけい)に擁(よう)することの許された吾が友人柿丘秋郎こそは、世の中で一番不足のない果報者中(かほうものちゅう)の果報者だと云わなければならないのだった。若(も)し僕が、仮りに柿丘秋郎の地位を与えられていたとしたら――おお、そう妄想(もうそう)したばっかりでも、なんという甘い刺戟(しげき)に誘われることか――僕は呉子さんのために、エジプト風の宮殿を建て、珠玉(しゅぎょく)を鏤(ちりば)めた翡翠色(ひすいいろ)の王座に招(しょう)じ、若し男性用の貞操帯というものがあったなら、僕は自らそれを締めてその鍵を、呉子女王の胸に懸け、常は淡紅色(たんこうしょく)の垂幕(たれまく)を距(へだ)てて遙かに三拝九拝し、奴隷の如くに仕えることも決して厭(いと)わないであろう。しかしながら友人柿丘秋郎の場合にあっては、なんというその身識らずの貪慾者(どんよくもの)であろう。彼は、もう一人の牝豚夫人(めぶたふじん)という痴(ねたま)れものと、切るに切られぬ醜関係を生じてしまったのだった。
 その牝豚夫人は、白石雪子(しらいしゆきこ)と云って、柿丘よりも二つ歳上の三十七歳だった。だが、その外貌に、それと肯く分別臭(ふんべつくさ)さはあっても、凡(およ)そ彼女肉体の上には、どこにもそのように多い数字に相応(ふさ)わしいところが見当らなかったのだった。とりわけ、頸筋(くびすじ)から胸へかけての曲線は、世にもあでやかなスロープをなし、その二の腕といわず下肢(かし)といわず、牛乳たっぷり含ませたかのように色は白くムチムチと肥え、もし一本の指でその辺を軽く押したとすると、最初は軟い餅でも突いたかのようにグッと凹(くぼ)みができるが、軈(やが)てその指尖(ゆびさき)の下の方から揉(も)みほぐすような挑(いど)んでくるような、なんとも云えない怪しい弾力が働きかけてくるのだった。それにまだ一度子供を産んだことのない牝豚夫人は、この数年来生理的関係か、きめの細かい皮膚の下に更に蒼白い脂肪層の何ミリかを増したようだった。夫人が急に顔を近付けると、彼女のふくよかな乳房と真赤な襦袢(じゅばん)との狭い隙間から、ムッと咽(むせ)ぶような官能的な香気が、たち昇ってくるのだった。
 柿丘秋郎が、こんな妖花(ようか)に係(かかわ)るようになったのは、彼の不運ともいうべきだろう。柿丘でなくとも、どのような男だって、雪子夫人のような女に出遭(であ)うと、立(た)ち竦(すく)みでもしたかのように彼女から遠のくことが出来なくなるだろう。だが柿丘秋郎を永らく、雪子夫人肉体への衝動を起させることなしに救っていたものは、実に柿丘秋郎にとって彼女は、恩人の令夫人だったからである。
 僕は柿丘秋郎の奇怪な実験について述べると云って置きながら、あまりに永い前置きをするのを、読者はもどかしく思われるかも知れないが、実はこれから述べるところの、一見平凡事実が、後に至って此の僕の手記の一番大事な部分をなすものなのであるからして、そのお心算(つもり)で御読みねがいたい。
 さて、柿丘秋郎が恩人とあがめるという、いわゆる牝豚(めぶた)夫人の夫君は、医学博士白石右策(しらいしうさく)氏だった。白石博士は、湘南(しょうなん)に大きいサナトリューム療院を持つ有名呼吸器病の大家だった。一般にサナトリューム療院といえば、極(ご)く軽症(けいしょう)の肺病患者ばかりに入院を許し、第二期とか第三期とかに入ったやや重症の患者に対しては、この療法が適しないという巧みな口実を設けて、体(てい)よく医者の方で逃げるのだった。だが吾が白石博士場合にかぎり、どんな重症患者も喜んで入院を許したばかりではなく、博士独得の病巣固化法(びょうそうこかほう)によって、かなり高率の回復成績をあげていたのだった。それは世間によく知られているカルシウム粉末患者の鼻の孔から吸入させて、病巣に石灰壁(せっかいへき)を作る方法と些(いささ)か似ているが、白石博士固化法では、病巣の第一層を、或る有機物から成る新発明の材料でもって、強靱(きょうじん)でしかも可撓(かとう)な密着壁膜(みっちゃくへきまく)をつくり、その上に第二層として更に黄金(おうごん)の粉末をもって鍍金(ときん)し、病菌の活躍を封鎖したのだった。
 この白石博士を、柿丘秋郎は恩人と仰いでいると、茲(ここ)に誌したが、柿丘も実は博士のこの新療法によって、更生の幸福を掴(つか)んだ一人だった。そして柿丘が、もう一ヶ月遅く、博士病院の門をくぐるか、乃至(ないし)はもう一ヶ月速く博士診断を仰(あお)いだとしたら、彼は更生(こうせい)の機会を遂に永遠に喪ったことだろう。それと云うのが、博士がこの新療法に確信を得たばっかりのところへ柿丘は馳けつけたことになり、いわば博士公式第一試術患者となったわけで、また一面において柿丘の病状は第三期に近く右肺の第一葉をすっかり蝕(むしば)まれ、その下部にある第二葉の半分ばかりを結核菌に喰いあらされているところだったので、若(も)しもう一と月、博士の門をくぐるのが遅かったとすると、流石(さすが)の博士もその回春(かいしゅん)について責任がもてなかったのだった。
 ここに一寸だけ、柿丘秋郎の輪廓(りんかく)を読者に示さねばならぬ羽目になったけれど、柿丘秋郎は彼の郷里岡山(おかやま)に、親譲りの莫大(ばくだい)な資産をもち、彼の社会的名声は、社会教育家として、はたまた宗教家として、年少ながら錚々(そうそう)たるものがあり、殊(こと)に青年男女間に於ては、湧きかえるような人気がある人物だった。ちょうど病気に倒れる直前には、その宗教団体選挙があって、彼は猛然なる運動結果、その弱年にも拘(かかわ)らず、非常重要地位に就(つ)いた。凡(およ)そ宗教家とか社会教育家というものほど、奇怪な存在は無いのであって、彼等のうちで、真に神に仕(つか)え世の罪人を救うがためにおのれの一命をも喜んで犠牲にしようという人物は、たいへん稀(まれ)であって、彼等の多くは、たまたま職業其処にみいだしたのであって、それから後は無論のこと職業意識をもって説教をし、燃えるような野心をもって上役(うわやく)の後釜(あとがま)を覘(ねら)み、妙齢(みょうれい)の婦女子懺悔(ざんげ)を聴き病気見舞と称する慰撫(いぶ)をこころみて、心中ひそかに怪しげなる情念に酔いしれるのを喜んだ。柿丘秋郎の正体もつきつめて見れば、此の種の人物だったが、割合に小胆者(しょうたんもの)の彼は、幸運にも今までに襤褸(ぼろ)をださずにやってきたのだ。これは僕が妬(ねた)みごころから云うのではない。
 柿丘が、あの病気に罹(かか)ってその儘(まま)呼吸(いき)をひきとってしまったら、彼の競争者は、たちまち飢(う)えたる虎狼(ころう)のごとくに飛びかかって、柿丘の地位財産ものこらず平(たいら)げてしまい、その上に不名誉背任(はいにん)のかずかずまで、有ること無いことを彼の屍(しかばね)の上に積みかさねたことだったろう。柿丘秋郎は、その間の雰囲気を、十二分に知っていた。
(もうこれは駄目だ。最後の覚悟をしよう)とまで、決心した彼だった。そのような危機(ピンチ)を、白石右策博士は見事にすくったのだった。柿丘にしてみれば、博士に救われたのは、病気ばかりではなく、彼の社会的地位も、彼の家庭も、彼の財産も、ことごとく博士の手によって同時に救われたことになるのだった。博士のサナトリューム療院から退院するという日、柿丘は博士の足許にひれふして、潸然(さんぜん)たる泪(なみだ)のうちに、しばらくは面をあげることができないほどだった。
 柿丘秋郎と白石博士との両家庭が、非常に親しい交際(つきあい)をするようになったのは、実にこうした事情に端(たん)を発していた。


     2


 この二組の夫婦は、しばしば一緒になってお茶の会をしたり、その頃|流行(はや)り出したばかりの麻雀(マージャン)を四人で打ったり、日曜日午後などには三浦(みうら)三崎(みさき)の方面へドライヴしてはゴルフに興(きょう)じたり、よその見る眼も睦(むつま)じい四人連れだった。しかしながら、博士雪子夫人と、柿丘と呉子(くれこ)さんとの関係は、いつまでもそう単純ではあり得なかった。
 そのことを始めて僕が知ったのは、或る夏の終り近い一日だった。雪子夫人には、博士との間にどういうものか子種(こだね)がなかった。それで多量の閑暇(かんか)をもてあましたらしい夫人は、間もなく健康を恢復(かいふく)して更生(こうせい)の勢いものすごく社会第一線にのりだして行った柿丘秋郎の関係している各種の社会事業に自らすすんで、世話役をひきうけたのだった。その夏は、海岸林間学校相模湾(さがみわん)の、とある海浜(かいひん)にひらかれていたので、柿丘夫妻は共にその土地に仮泊(かはく)して、子供たちの面倒をみていた。一方雪子夫人は、東京郊外巡回する夏期講習会の幹事として、毎日のように、早朝から、郊外と云っても決して涼しくはない会場に出向いては、なにくれと世話をやいていたのだった。
 そこで僕自身のことを鳥渡(ちょっと)お話して置かねばならないが、僕は元来、柿丘と郷里中学を一緒にとおりすぎてきた、いわゆる竹馬(ちくば)の友(とも)というやつで、僕は一向金もなく名声もない一個の私立中学物理教師にすぎなかったのであるが、幼馴染というものはまことに妙なもので、身分地位のまるっきり違った今日でも真の兄弟のように呼びかけたり、吾儘(わがまま)を云いあうことができるのだった。僕は、この有名なる富(と)める友人のお蔭で、その邸(やしき)に出入しては、自分財布相談してはいつになっても得られないような御馳走にありついたり、遇(たま)には独り身鬱血(うっけつ)を払うために、町はずれの安待合(やすまちあい)の格子(こうし)をくぐるに足るお小遣(こづかい)を彼からせしめたこともあった。


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