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支那の宦官 - 桑原 隲蔵 ( くわばら じつぞう )

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桑原隲藏          一  最近新聞紙報道によると、支那宣統〔前〕帝は、宮廷所屬の宦官の不埒を怒り、彼等を一律に放逐して、爾後永遠に使役せぬといふ諭旨を發布されたといふことである。その動機は論ぜず、その理由は問はず、事件そのものが、兔に角一大壯擧たるを失はぬと思ふ。
 宦官は必ずしも支那の專有物でない。古代西アジア諸國、ついでギリシア、ローマにも宦官使役された。マホメット教國では、一般宦官使用した。印度ムガール王家などは、幾千といふ多數の宦官を備へた。此等の宦官何れも君側に侍するので、時に政治上に相當の權勢を振うたことも稀有でない。我が日本の如く、古來宦官存在せぬ國は、寧ろ珍しい方である。朝鮮安南なども、支那の風を傳へて宦官を置いた。獨り我が國は隋・唐以來、盛に支那制度文物を採用したに拘らず、宦官制度のみを輸入せなかつたのは、誠に結構なことと申さねばならぬ。嘗て「支那宦官」といふ論文を發表した、英國ステント(Stent)は、東洋諸國にしかく普通である宦官制度が、西洋方面に餘り流行せなかつたのは、全くキリスト教の御蔭であると、提燈を點けて居るが、我が國などは何等宗教の力を待たずに、よくこの蠻風に感染せなかつたので、一層誇負するに足ると思ふ。之に就いても私共は、我が國の當時の先覺者の思慮分別に、十分感謝せなければならぬ。
 かく宦官は諸國にも存在したが、支那宦官の國として、最も世間に聞えて居る。宦官といへば、直に支那聯想する程である。事實世界に於て、支那ほど宦官の重用された國がなく、支那ほど宦官の跋扈した國がなく、また支那ほど宦官に關する多量に且つ連續せる記録を有する國がない。
 支那宦官が何時代からはじまつたかは、正確に知ることが出來ぬ。されど周時代には、已に宮刑五刑の一に加へられて居り、宦官存在して居つた。疑問の書物ではあるが、『周禮』にも、

墨者使守門。※者使守關。※者使守囿。宮者使守内。

とあつて、罪人をそれぞれ宮廷に使役し、宮者は後宮使役することになつて居る。學者の中には、周は西方から支那移住して來た異人種の建てた國で、彼等は西方で行はれて居つた宦官の風を、始めて支那輸入したと主張する人もある。併し支那人頗る嫉妬心の強い國民である。『禮記』等を一讀すれば容易に了解さるる如く、彼等は古く男女の間に於ける疑を避くる爲に、吾人の想像以上に、神經過敏なる種々の禮儀や作法を設けて居る。かかる氣質の支那人の間に、男女間の嫌疑を避け、嫉妬心を慰安する方便として、中性宦官使役するに至るは、寧ろ當然の順序かも知れぬ。支那に於ける宦官起源を、必ずしも西方風習に關係せしめて説明するに及ばぬかと思ふ。
 宦官起源は兔に角、春秋戰國時代となると、宦官は已に政治上で可なり勢力を占めて來た。齊の桓公の死後、齊を亂した豎※の如き、晉の文公に信任された寺人の勃※の如き、その一例である。内豎といひ、寺人といひ、又奄人といふは、皆宦官のことである。有名商鞅が秦に重用されたのも、宦官景監の手引により、藺相如が趙に出世したのも、宦官繆賢の推擧によるといふ。秦時代には遂に趙高の如き、權勢を專らにして弑逆をも行ふ宦官が出て來た。此等古代宦官の事蹟は、ほぼ『後漢書』の宦者傳序に備つて居るから、茲に態※紹介するを要せぬ。
 漢以後に出た重なる歴代の宦官の事蹟は、支那史乘に詳記されて居つて、これも一々紹介する必要がない。歴代の中でも、東漢・唐・明の三代が、宦官の尤も權力を振ふた時代で、この三代の中でも、唐が一番甚しい。唐の中世以後は、大臣の任免は勿論、天子の廢立すら宦官の意の儘であつた。當時宦官を指して定策國老と呼び、之に對して皇帝を門生天子と稱した。定策國老とは、試驗官に當る國家の元老といふ意味で、門生天子とは、その試驗官の檢定で、及落を決定せらるる受驗生の天子といふ意味である。天子廢立の全權が、宦官の掌裡に在ること、宛(あたか)も受驗生の及落が試驗官の自由に在ると同樣なることを申述べたものである。

         二

 宦官天子後宮に限つた譯でなく、周時代には諸侯、若くは諸侯以下の相當身分ある家の奧向にも、宦官使役した。後世宋・明時代まで民間、殊に南支那の民間では、奴隷を割勢して、奧向に使役した事實がある。併し明以後殊に清朝では、民間に割勢者を蓄養することを嚴禁し、皇室及び皇室より特許された王公大臣邸宅に於てのみ、宦官使役した。
 宦官はもと宮刑に處せられた罪人を以て之を補充した。宮刑とは五刑の一で、淫刑とて主として不義者に加へる刑罰であるが、不義者以外の重い犯罪者にも宮刑を施した。殊に宦官の不足する場合には、死刑に處すべきものを、一等減刑して宮刑に處し、若くは謀反者の遺族宮刑に處して、之を補充するのが普通であつた。又稀には自宮とか私白とか申して、無罪の者が自分で割勢して、宦官を志願する場合に、之を採用したこともある。
 隋時代後宮刑が廢止となると、宦官供給が種切れとなる。從つて隋唐以後の宦官は、志願者で補充するのが原則となつた。しかし必要の場合には、從前同樣に、死罪の者を輕減し、割勢して宦官採用したこともある。また時には四川嶺南の如き、邊裔の蠻民を捕獲して宦官とすることもある。


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