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数言の補足 七日附本欄伊藤整氏への答として - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • ●日本文壇史 1~3 伊藤整 計3冊
  • 現代の文学【伊藤整集】
  • ★昭和51年11版 恋愛について D.H.ロレンス 伊藤整訳 角川文庫★
  • ロレンス選集 第2巻 伊藤整譚 昭和25年4月発行
  • ロレンス:伊藤整訳:チャタレイ夫人の恋人
  • ●完訳チャタレイ夫人の恋人 ロレンス 伊藤整訳 新潮文庫
  • ロレンス、 息子と恋人/死んだ男 :伊藤整訳・単行本
  • チャタレイ夫人の恋人☆DHロレンス☆伊藤整イギリス文学恋愛小説
  • 文芸文庫 伊藤整「日本文壇史 3 悩める若者たち」
  • 伊藤整 武田泰淳 日本文学研究資料業書 定価3200円
数言の補足 ――七日附本欄伊藤整氏への答として――  八月七日の本紙に、伊藤整氏が同氏の作「幽鬼の町」に就て書いた私の月評に反駁した文章発表された。編輯者は、私からそれに答える文を求めている。生活文学に対する私の態度盲目的な偏執又は芸術的な機械性と云われている点や錯覚されている「社会善的潔癖さ」などという伊藤氏の理解について、第三者には自ずから明かである。その見方の誤りやそういう人間の見方そのものにあらわれている筆者の感情、偏執その他についてここでくどくどとふれる必要はないと思う。私はこの機会に月評の中で述べたいと思って枚数の足りなかったために書き洩した一つ二つのことについて書きたい。
 伊藤氏は、「幽鬼の町」を「小林多喜二的なものについて、芥川龍之介的なものについての現代青年の批判と反応を、あの作品ほど明かに提出したものは近来ないと僕は信じている」と云い、くりかえし「芸術ユーモア」という言葉で自身の居り場を語っていられる。
 日本はこの十年来、猛烈な動き経験しつつある。インテリゲンチャ大衆の心持も大いに動いた。往年、その事大主義的な天質に従って学生運動の頭領となった一人の男が、同じ天質に従って今日文化に対する統制の旗ふりとなっている現実である。小林多喜二的なものや芥川龍之介的なものが、発展的に批判されなければならないのは、もとより明かであるが、芸術問題インテリゲンツィア今日歴史をいかに生きぬくべきかという痛切な問題にふれて見た場合、どうしても、その批判なり反応なりが、どういうたちのものであるか、ということは考えないわけにゆかない。小説普通真面目読者は、その感想スタイルこそ整えていないが、常にここへ自然な読後感をもってゆくのである。
 伊藤氏が健全人間作家としての野望を抱く現代青年の心的事実代弁者であるならば、小樽の街上を袂を翼に舞ったり下ったりする戯画化された小林粗末な描写で、歴史重要さが求めているだけの批判をなしているとみずから承認されはしないであろう。あの批判で万事O・Kであるならば、今日インテリゲンツィアの苦しみや努力は、もっと血の気のうすい思弁の余り水ですむ筈である。

 或る小説に或る時代反応が明かに提出されているということだけが芸術家成仏せしめるものでもないし、読者に清新な精神の風を吹きおくるものでもない。現代インテリゲンツィア作家は、自分現実にどういう反応を示しているかということについて、自身の才気の身振りや、饒舌の自己催眠眩惑されないだけの神経の勁(つよ)さと真摯な探求心を求められていると思う。
 本年三月号の『文芸』で森山啓氏と伊藤整氏とが、森山氏の「収穫以前」について文壇的な礼譲ある往復書簡体の感想を書かれたことがあった。あの文章は、二人の真中に一つのブランクをおいたままその周囲を廻っている感じであった。ブランクというのは「収穫以前」で作者森山氏は主題の更に重厚な展開のために、主人公のような社会層のインテリゲンツィア家族関係との奥に潜められている心理因子主人公の側からとらえ、掘り下げる必要があったことを心付かずにいた。そのことを伊藤氏も全く見落していられた。「幽鬼の町」を読んで、当時の文章を思いおこしたのには、連関があるのである。
 現実がもし単に機械的に、潔癖でわり切れてゆくものならば、文学を通して訴えんとする人間的苦悩は生れないのである。昏迷作品の上での無解決問題ではなく昏迷・無解決そのものの社会的・心理因子作者の企図する動向が芸術の胚種であることは誰しも知っている。作品の読後感がそこに触れざるを得ない理由もここにある。
 作家主観というものは、それだけにたよっていると危ない。潮のきつい海の上で当人は一生懸命こっちへ向っていい気持に漕いでいるつもりだのに、数刻経て見たら、豈(あに)計らんやかくの如き地点押し流されて来ていた、という場合が決して少くない。昨今従来のタイプの作家主観的であるという特質は、時代的底潮によって実に巧妙に、大局から見れば文学窒息させる客観効果の方向に利用されつつある。現代大小文学才能が、自身の才能自意識であらぬ方にそれぬためには、よそめに分らぬ程野暮な、根気づよい逆流への抵抗が必要なのである。しかも、本質における逆流は時に称讚、拍手、とりまきの形で作家の身辺にあらわれる時代においておやである。〔一九三七年八月



底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「中外商業新報
   1937(昭和12)年8月10、11日号
入力柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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