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文学について - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • ■ 『日本の文学 中野重治』 近代文学日本文学文学評論 ■
  • 清水義範★日本文学全集第1集/世界文学全集第Ⅰ・Ⅱ期/+おまけ
  • *柄谷行人 日本近代文学の起源 講談社文芸文庫版 文学史 即決
  • 貴重文献「九州文学」・第16・第17号・地方文学 レア・絶版
  • 昭和2年発行 日本文学29 佐藤春夫 里見 改造社 文学
  • q/脇田勇 ある英文学徒の遍歴 英文学者/大学教授の回想記 即決
  • 島尾敏雄 死の棘 日本文学大賞・読売文学賞
  • 片岡良一著作集 第八巻『大正文学研究・昭和文学序説』 中央公論
  • 日本児童文学別冊・過度期の児童文学・昭和55年7月10日発行
  • アメリカ文学思潮史―社会と文学 (増補版)
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 去る六月二十八日、本部において二三の政治局員文化部関係者および新日本文学会グループ合同会議がもたれ、来る七月三・四日に行われる党員芸術家会議に対する準備的な討論が行われたことを知りました。  その席上、わたしについて書記長からの発言があり、その内容についてききました。
 当日、そのような会議のあることについて、わたしは全く知りませんでした。また、そこでわたしについての発言が行われるということもしりませんでした。したがって当然私自身は意見に代えるものを提出もしていませんでした。七月三・四日の会議も目下のわたしの健康事情では出席不可能です。ついては、本人が出席していないところで、責任ある人によって公的に発言されたことが事実をあやまっていることは迷惑ですから、この機会に簡単にわたしの事実を明白にいたします。

 本部の会議の席上いわれた書記長の発言を要約すると大体左の諸点のようです。

一 宮本百合子作品大衆によまれていない。書記長は三行以上よめない。階級性がなくて多面性がない。観念的である。
二 宮本百合子は、ごうまんで天狗になっている。現代紫式部と自任し、うぬぼれ、自己陶酔して、こたつにあたったような暮しをしている。
三 立候補しない。だから党的に成長しない。
四 宮本百合子評価することは他の党員作家に対して有害である。

 以上の項目の若干についてある程度の訂正もされたようですが、とりあえず全体としてかんたんに事実をあきらかにいたします。

一 私の作品大衆にどの程度よまれているかいないかということは、出版統計職場図書部や文学サークル図書館その他調査の大体が示しています。去る三月九日のアカハタにもしるしたとおりであり、これらについては反覆する必要はないでしょう。
  文学運動について多少とも冷静に客観事実を重んじる人は、それが従来の民主プロレタリア文学読者層をより広く開拓したことは率直にみとめています。そのことはそれに満足するということでないのはもちろんですが。自身が三行以上読んだことのない小説についてどうしてその内容につき、階級価値について断言することができるでしょうか。
  わたしの文学作品階級性については、一九三一ソヴェトから帰ってプロレタリア作家同盟参加してから今日までの全作品全評論とを冷静に検討すれば、基本的解答は明らかだろうと思います。もちろんそれぞれの作品には、出来、不出来もあり、むらもあるけれども、それらを一貫して明瞭な階級性があるから、度重る検挙投獄と執筆禁止を蒙ったと思います。戦前の作「乳房」は、ソヴェト世界革命文学の集に翻訳され、戦後の「播州平野」は、ソヴェト文学新聞に、日本で広汎に支持されている階級作品として紹介され、中国語にもほんやくされています。この事実は何を語るでしょうか。「播州平野」「風知草」の基調にあるものが前衛党とその活動家の新しい情勢のもとにおける一つの姿を描いていることは、いくらかでも文学理解する人ならば否定し得ない点です。
  また「二つの庭」「道標」は古い小市民の有閑的な日常茶飯事を描いているものではありません。女主人公社会矛盾にめざめて次第に共産主義者へまで成長してゆく過程を描いているものです。日本でまたいわゆる「赤」を恐怖させるために努力がされている今日、この仕事無意味でしょうか。単に女主人公経験だけを描いているのではなく、ソヴェト社会建設日本帝国主義者ファシストとしての活動日本小市民家庭インテリゲンチャ一部の混乱と崩壊ポーランド、ドイツの労働者へのテロル、帝国主義日本の在外官僚の反ソ的言動、全体として若く建設されつつある新しいソヴェト社会と、老朽しすくいがたい矛盾を偽瞞によってのみおおおうとしている古いヨーロッパとの対比も描かれています。これらには労働者階級勝利への確信とソヴェト同盟への深い信頼が貫れています。こういう階級性は決して作品具体的な世界から遊離した観念としてのべられているのではなく、作品の血肉として消化され、芸術として形づくられています。主人公は、まだ階級的に目ざめつつある過程が描かれているのですから、まだ共産主義者として行動していないのは小説として当然のなりゆきで、その点をもって小説全体に階級性がないということは当っていません。
  長篇の今後の展開の中で主人公共産主義者として行動し、そこには過去十数年間日本人民の蒙った抑圧戦争への狩り立て、党内スパイの挑発事件公判闘争なども描かれます。このような作品日本労働者階級文学に新しい局面をひらいているということはたしかだと思います。ブルジョア文学横光利一の「旅愁」のように、ヨーロッパブルジョア民族主義立場から書いた作品が広汎によまれている日本で、「道標」をふくむ一連の作品が闘争の階級武器として一定の役割を果すことを信じています。
 国際帝国主義によって反ソデマがますます活溌にまかれるとき、題材は第二次大戦前にとられているにしろ、ソヴェト同盟そのものに対する信頼をひろめ、そのことによって日本革命の前途を確信させるためにもまた一つの階級的意義をもつと信じます。
  一つの長篇の完成に努力しているときは、その仕事にうちこまなければ、ブルジョア文学に対抗し得る作品成熟しません。もしただ自分経験個人主義的に反ぷくしているならば、それは批判に価するかもしれません。しかしこの作品そのもののうちに客観的多面性が乏しくないばかりか、わたしの作家評論家としての戦後数年間の活動をしらべてみても、数巻にまとめられる文芸社会婦人等に関する評論作品活動は、一人文学者としてむしろ多面的な執筆活動であると思います。

二 わたしが紫式部を自任して、傲慢、うぬぼれ、天狗の自己陶酔にいて、こたつにはいったような生活をしているというような極端な罵倒は、わたしの生活作家努力の実情を全く知らない偏見に立ってだけ言えることだと思います。
  まず紫式部を自任している云々ということを、ごうまん天狗象徴として強調されたようです。しかし、どんな階級作家でも十一世紀の宮廷婦人小説家に、わが身を模して満足しているような錯誤した歴史感はもっていまいと思います。事実は、都の教育委員会への立候補を求めて故服部麦生氏などが来訪されたときの話がゆがめられ誇張されたものです。
  これまで、日本権力外国に示す日本文学の典型というといつも源氏物語ばかりひっぱり出した。しかし、こんにち党と民主主義文学運動は、日本人民のものとしての新しい大作をもつべきであり、もたなければならない。世界革命の一環としての日本革命人民文学をもたなければならない。それはわれわれ革命民主主義作家の任務なのだから、いまはわたしに文学仕事をさせておく方が大局からみて能率的である。


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