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文学的饒舌 - 織田 作之助 ( おだ さくのすけ )

  • ■ 『日本の文学 中野重治』 近代文学日本文学文学評論 ■
  • 清水義範★日本文学全集第1集/世界文学全集第Ⅰ・Ⅱ期/+おまけ
  • *柄谷行人 日本近代文学の起源 講談社文芸文庫版 文学史 即決
  • 貴重文献「九州文学」・第16・第17号・地方文学 レア・絶版
  • 昭和2年発行 日本文学29 佐藤春夫 里見 改造社 文学
  • q/脇田勇 ある英文学徒の遍歴 英文学者/大学教授の回想記 即決
  • 島尾敏雄 死の棘 日本文学大賞・読売文学賞
  • 片岡良一著作集 第八巻『大正文学研究・昭和文学序説』 中央公論
  • 日本児童文学別冊・過度期の児童文学・昭和55年7月10日発行
  • アメリカ文学思潮史―社会と文学 (増補版)
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 最近世界文学」からたのまれて、ジュリアン・ソレル論を三十枚書いたが、いくら書いても結論が出て来ない。スタンダールジュリアンという人物を、明確に割り切っているのだが、しかし、ジュリアンというのはどんな人物かと問えば「赤と黒」一巻を示すよりほかにスタンダールにも手はないだろう。ジュリアン説明するのに「赤と黒」の何百頁かが必要だったわけだ。だから、三十枚の評論で結論が出る筈がない。結局、「赤と黒」を読み直すことがその都度の結論だが、僕は「ジュリアン・ソレル」という小説を書こうと思う。これは長いものになるが、今年中か来年のはじめには着手するつもりだ。僕の小説思想がないとか、真実がないとか言っている連中も、これを読めば、僕が少くとも彼等よりもギリギリの人生を考えて来た男であることは判るはずだ。

 人間的にいわゆる大人になることは作家として果して必要だろうか。作家の中には無垢の子供悪魔だけが棲んでおればいい。作家がへんに大人になれば文学精神は彼をはなれてしまう。ことに海千山千大人はいけない。舟橋聖一氏にはわるいが、この人の「左まんじ」という文芸春秋小説主人公海千山千的な生き方が感じられてがっかりした。丹羽文雄氏にもいくらか海千山千があるが、しかし丹羽氏の方が純情なだけに感じがいい。僕は昔から太宰治坂口安吾氏に期待しているが、太宰氏がそろそろ大人になりかけているのを、大いにおそれる。坂口氏が「白痴」を書かない前から、僕は会う人ごとに、新人として期待できるのはこの人だけだと言って来たが、僕がもし雑誌編輯するとすれば、まず、太宰、坂口の両氏と僕と三人の鼎談を計画したい。大井広介氏を加えるのもいい。

 文学雑誌もいろいろ出て「人間」など実にいい名だが、「デカダンス」というような名の雑誌が出てもいいと思う。

 文学文学者にとって運命でなければならぬ――と北原武夫氏が言っているのは、いい言葉で、北原氏エッセイ書くと読ませるものを書くが、しかし、「天使」という北原氏小説は終りまで読めなかった。「天使」には文学運命になっている作家原氏を感じさせないからだ。北原氏自身は、文学は自己の運命だと信じているのだろうか。信じているとすれば、それを感じさせない「天使」の弱さは、どこから来るのだろうか。北原氏荷風以下多くの作家を時評で退ける時の強さを、いつ作品の上で示すのだろうか。たしかに文学文学者にとって唯一の人生であり、運命だ。たとえば、北原氏にとって運命であるように、荷風にとっても運命であろう。荷風思想は低いかも知れぬが、北原氏作品の方が思想的に高いとは思えぬ。そして荷風の方がすくなくとも運命的だ。荷風よりもドストエフスキイの方が高く深く、運命的だ。判り切ったことだ。そして、判り切ったことを楯にものを言えば、颯爽としているというのが、作家であり同時に評論家であることのむつかしさになるのだと、僕は思う。だから、僕もひとのことを言うのはよそう。

 僕は読売新聞に連載をはじめてから秋声の「縮図」を読んだ。「縮図」は都新聞(今の東京新聞)にのった新聞小説だが、このようなケレンのない新聞小説読むと、僕は自分新聞小説が情けなくなって来る。「縮図」は「あらくれ」ほどの迫力はないが、吉田栄三の芸を想わせる渋い筆致と、自然主義特有の「あるがまま」の人生観照が秋声ごのみの人生を何の誇張もなく「縮図」している見事さは、市井事もの作家武田麟太郎氏が私淑したのも無理はないと思われるくらいで、僕もまたこのような文学にふとしたノスタルジアを感ずるのだ。すくなくとも秋声の叫ばぬスタイル、誇張のない態度は、僕ら若い世代にとってかなわぬものの一つだ。しかし、文学態度は、自然主義だけではない。文学というものは、結局誇張だと思うところから、ジタバタ書いて行くのが、若い世代文学であろう。誇張ぎらいのスタンダールの「赤と黒」もスタンダールの自己主張と思えば、やはり一つの誇張だ。読売の僕の小説に、もし今までの作品とちがうものがあるとすれば、文学は誇張だとはっきり自覚した僕の若さ作品燃えさせている点であると、うぬぼれている。この僕の考え方はまちがっているかも知れない。しかし「縮図」に対決するには、もうこの一手しかない。僕はこんどの読売では、今まで一時間足らずで書けた一回分にまる一晩費している。題を決めるのに一日、構想を考えるのに一日、たのまれてから書き出すまでに二日しか費さなかったぐらいだから、安易な態度ではじめたのだが、八九回書き出してから、文化部長から、通俗小説に持って行こうとする調子が見えるのはいかん、調子を下すなと言われたので、決然として、この作品に全精力を打ちこむ覚悟をきめた。危いところだった。文化部長の注意がなければ僕は通俗小説を書いてしまったかも知れない。覚悟をきめてからは、毎晩徹夜でこの小説に掛りきりで、ヒロポン注射する度数が今までの倍にふえた。何をそんなに苦労するかというと、僕は今まで簡潔に書く工夫ばかししていたので一回三枚という分量には困らぬはずだったのに、どうしても一回四枚ほしい。十行を一行に縮める今までの工夫が、こんどは一行を十行に書く努力に変って来たのだ。僕は今までの十行を一行書くという工夫からうまれたスタイルの前に、書かねばならぬことも捨てて来た。これからは、今まで捨てたものを拾って行こうと思うのだ。しかも、一回三枚だ。


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