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文芸時評 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 丹羽文雄集 日本文学全集文芸野間文芸賞
  • 『折口信夫文芸論集』★安藤礼二編 講談社文芸文庫 2010刊 美品
  • 【本】男たちへ 塩野七生 著 文芸春秋
  • ★野間宏『暗い絵|顔の中の赤い月』講談社文芸★即決!
  • ■ 青葉の翳り―阿川弘之自選短篇集 /講談社文芸文庫■
  • 【講談社文芸文庫】高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
  • 父の帽子/森茉莉/講談社文芸文庫
  • @ベイビーメール 山田悠介 文芸社 ツ44
  • ◎那覇文芸あやもどろ 特集:山之口獏論集
  • ■初版■ 中上健次 ■  化粧  ■講談社文芸文庫■
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        「抒情歌」について           ――その美の実質――  二月号の『中央公論』に、川端康成の「抒情歌」という小説がのっている。印刷して二十三ページもあり、はじめから終りまでたるみない作家緊張で書かれている。川端康成の近頃の創作の中で、決していい加減につくられたものでないのはよくわかる。
 字も読めない子供時代から、かんで歌留多をとり、神童といわれたような少女が次第に年ごろとなり三年も前から夢で見ていた青年と、夢で見たままの場面服装でであいする。
 龍江というのがその若い女の名である。龍江には異常な霊の力があって、海に溺れる運命だった弟の命を救ったり、一ぺんも行ったことのない愛人書斎に、古賀春江の絵と広重版画とがかかっていて、雪の降る日背中赤ん坊を背負った男が偶然雪かきをやらせてもらいに来たりするところまでをあてる。
 男は、龍江が「こんなにまで僕を愛していてくれるのか」とおどろき、「こんなに魂が来ているのに、肉体だけ来ないという法はないと思って」家をすてても来いといってやり、二人は結婚する。
 女はどこにいて、何をしていても男に用があると呼ばれないでもそばへ行き、「二つの口から始終同じ一つの言葉をぶつけ合う」ような霊的交流をもって生活したが、やがて男はそのみこのような霊力の女をすてて、別の女と結婚し、死ぬ
 龍江は、だが、男の結婚したことは知らず、ある夜、ふろの中で突然はげしい香におそわれ、真裸でこのような強い香をかぐのは、たいへん恥しいことだと思ううちに目がくらんで気が遠くなる。それが丁度男が花嫁の床に香水をまいた時だった。
 棄てられた女は、さんざん苦しんだあげく、だんだん霊の不滅輪廻転生の教えを美しいものと信じるようになり、霊交術にまで熱中しだす。そして、ギリシア神話のように、死んだ男は早ざきのつぼみを持つ紅梅に生れかわっているという幻をえがき、「心を一つにこらして」魂をその死人のもとにかよわせ、るる霊の不思議あの世の生について語る。
 川端康成は、一年前、「水晶幻想」を書いた時分の都会風な、ヨーロッパ的モザイックの手法とはまるで違った綿々として「香の立ちのぼる」ような筆致でこの霊界物語を書いている。龍江という女のことばをかりて、力をこめ「人間は何千年もかかって人間自然界の万物といろいろな意味区別しようとする方へばかり盲滅法に歩いて来た」から、そのひとりよがりが「魂をこんなにさびしくした」のだ。いつかまた人間は「もと来たこの道を逆に引きかえして行くようになるかもしれない」といっている。物質のもとは不滅であるという唯物論一元論を、川端康成は、この作品中で七生輪廻転生可能へねじまげてしまっている。
 よしんば、作者自身龍江ほどそれを現実としては信じないまでもこういう霊界物語にひどく「抒情歌」の美を感じ、その美をとぎあげてこの一篇の小説の中へ盛りこもうとした情熱だけは、まがうかたなく感じられる。
水晶幻想時代にでも、現実の激しい社会生活から遊離した川端康成主観玩弄の癖は一つの特徴だった。有閑なブルジョアインテリゲンチアらしく脳みそは一秒間にどれだけ沢山のものを連想し得るかを暇にまかせて追求し主観の転廻のうちに実現と美を構成しようとしたのが「水晶幻想」であった。

        現実逃避文学
          ――神秘主義とファッシズム――

水晶幻想」と「抒情歌」との間には一年歳月流れている。しかも一九三一年は、日本をこめて資本主義世界一般経済恐慌が、金融恐慌にまで発展したすさまじい一年間だった。
 特に一九三一年の後半期は、ブルジョア独裁ブルジョア文化の全機能をひきいてはっきりとファッショ化した点で、日本の歴史的モメントであった。
 支配階級とともに急速にファッショ化したのは、大衆作家直木三十五三上於菟吉ばかりではない。川端康成もこの「抒情歌」で、ファッシズムのために道をひらく危険にさらされている。
 そういうと、びっくりして抗議する者があるかもしれない。おいおい、そう何でもファッシズムで片づけるな、わるい癖だ。川端康成ファッショなものか。二月の『改造』を見ろ、「わが犬の記」というしごくおだやかなものを書いている。由来、犬を飼って愛すようなものは幾分哲人の風格をおび、たとえばモーリスメーテルリンクでも、すばらしい犬の物語を書いているように云々……と。
 なるほど、川端康成老成の筆ぶりで「わが犬の記」を書き、綿々たる霊の讚歌「抒情歌」を書き、決して直木三十五のように商売半分のファッショ風なたんかなどを切ってはいない。
 まるで正反対である。「水晶幻想時代には近代ブルジョアインテリゲンチアらしく、科学知識への興味を自慰的に示していた川端康成は、次第に円熟し、東洋人らしくなり、仏典をいじり、霊の輝きへの信仰によって高められ、微妙な美の創造者になったかのようである。
 が、しかし、この神秘主義こそ、ファッシズムがその文化を飾る重要な一つの支柱として求めるものである。
 神秘主義は、その基礎条件として、現実社会生活からの逃避を意味している。われわれがその中に闘いながら毎日生きている資本主義社会矛盾崩壊過程。その表現として支配階級ファッショ化が導き出されているほど激化している階級対立現実からは何とも手を下しようなく目をつぶる。川端康成作品の女主人公にいわせている。
植物運命人間運命との似通いを感じることがすべての抒情詩久遠題目である。」
仏法のいろいろな経文を、たぐいなくありがたい抒情詩と思います今日この頃の私であります。」
水晶幻想時代にも、彼は科学階級性は全然把握できなかった。今は更に進んで「抒情歌」によってとうとう現世をすて霊の天上界へまで逃げのびてしまった。
 ブルジョア文学のファッシズムへの道は、群司次郎正や直木、三上場合のような、だれにでもそうとわかる姿でだけ現れるとは限っていない。この「抒情歌」のようなその反対の消極的な外見をもっていて、十分にファッシズムが利用する精神への道も開き得る。
抒情歌」にあらわれた神秘主義は、それが美しければ美しいだけ今日現実から目をそらしているという点で、第一支配階級の役に立つ。
 第二に、こういう神秘主義自然人間との関係の積極性否定し、人間精神を、運命、目に見えない力の統帥に甘んじさせようという点に、革命的な大衆のより自覚しようとする世界観に霧をかける毒素をもっている。こういう神秘主義様々の形にかえてコケおどしの慰霊祭のおかげで、支配者たちは自分利益のために殺した満蒙出征戦死兵の窮迫した遺族からの反抗をふせいでいるのだ。軍国主義をあふり得るのだ。
 イギリスのロッジ博士戦死した息子からの霊界消息をまとめて本にだした。それは「つまり魂が不滅でありますことのあかしを立て、ヨーロッパ大戦争で愛する者を失いました幾十万の母や恋人にこの本をおくったのでありました。」しかし、これはほんとに人間的な不幸へ抵抗する方法だろうか、息子殺すな! 愛人殺すな! と幾百万の女を奮い立たせるためでは、決して決してなかったのだ。


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