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文芸鑑賞講座 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

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  • ■ 青葉の翳り―阿川弘之自選短篇集 /講談社文芸文庫■
  • 【講談社文芸文庫】高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
  • 父の帽子/森茉莉/講談社文芸文庫
  • @ベイビーメール 山田悠介 文芸社 ツ44
  • ◎那覇文芸あやもどろ 特集:山之口獏論集
  • ■初版■ 中上健次 ■  化粧  ■講談社文芸文庫■
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芥川龍之介  文芸上の作品を鑑賞する為には文芸的素質がなければなりません。文芸的素質のない人は如何なる傑作に親んでも、如何なる良師に従つても、やはり常に鑑賞上の盲人に了(をは)る外はないのであります。文芸美術との相違はありますが、書画骨董愛する富豪などにかう云ふ例の多いことは誰でも知つてゐる事実でありませう。しかし文芸的素質の有無と云ふことも程度によりけりでありますから、テエブルや椅子の有無のやうに判然ときめる訳には行かないのであります。たとへばわたし自身などはゲエテとかシエクスピイアと云ふ文豪なるものに比べれば、文芸的素質はないと言つてもよろしい。或はもつと下らぬ作家に比べても、ないに等しいかも知れません。けれども野田大塊(のだたいくわい)先生あたりに比べれば、文芸的素質――少くとも俳諧的素質は大いにある。これはあなたがたでも同じことであります。すると文芸に興味のある人はまづ文芸的素質もあるものと己惚(うぬぼ)れてかかつても差支へありません。少くとも己惚れてかかつた方が幸福であることは確かであります。
 では文芸的素質さへあれば、文芸上の作品を鑑賞することも容易に出来るものかと言ふと、これはさうは行きません。やはり創作と同じやうに、鑑賞の上にもそれ相当の訓練受けることが必要であります。尤(もつと)もダンヌンツィオは十五の時に詩集を出したとか、池大雅は五つの時に書を善くしたとか言ふやうに、古来の英霊漢は創作の上にさへ、天成才能を発揮してゐます。が、これは天才と称する怪物のことでありますから、我々凡人は気にかけずともよろしい。のみならず彼等の早熟は訓練受けなかつたと言ふよりも、驚く可く短い時間の中に驚く可く深い訓練受けたと言ふ方が妥当であります。すると我々凡人はいやが上にも訓練受ける覚悟をしなければなりません。いや、我々凡人ばかりではない、如何なる天才天才以上になる大望を持つてゐれば、当然訓練受けた上にも更に又訓練を重ねる筈であります。又実際天才伝記――たとへば森鴎外先生の「ギヨオテ伝」(言ふまでもないことと思ひますが、森先生は所謂ゲエテを常にギヨオテと書かれたのであります。)を読んで御覧なさい。天才とは殆(ほとん)ど如何なる時にも訓練受ける機会を逃さぬ才能と言ふことも出来るほどであります。
 では又かう云ふ訓練受け結果、鑑賞の程度が深くなる、或は鑑賞の範囲が広くなることはどう云ふ役に立つかと言ふと、勿論深くなり広くなること自身が人生豊富にすることは事実であります。人生生命を銭の代りに払ふ珈琲店(コオヒイてん)と同じでありますから、いろいろのものが味はへれば、それに越した幸福はありません。が、鑑賞の程度が深くなつたり、鑑賞の範囲が広くなつたりすることは更に又創作上にも少からぬ利益を与へる筈であります。元来芸術と云ふものは――いや、これは議論よりも実例を挙げた方が早いかも知れません。実例と言ふのはロダンの話であります。ロダンはフロレンスへ行つた時にミケルアンヂェロの彫刻を見ました。それも只の彫刻ではない、在来未完成と称へられてゐる晩年彫刻を見たのであります。尤も未完成作品と称へられてゐるのは何もミケルアンヂェロ自身の証明のある次第ではありません。只大理石の塊の中に模糊たる人間の姿が浮かんでゐる、まあざつと形容すれば、天地開闢(てんちかいびやく)の昔以来、大理石の塊の中に眠つてゐた、何とも得体の知れぬ人間がやつと目をさましたと言ふ代物であります。ロダンはかう言ふ彫刻を見た時に、未完成の――と言ふよりも寧(むし)ろ茫漠とした無限の美に打たれました。それからあの大理石の塊へ半ば人間彫刻した作品、――たとへば「詩人とミユウズ」などを作り出すやうになつたのであります。するとロダンの成長の一歩はミケルアンヂェロの所謂未完成作品に接したことに懸つてゐる、けれどもかう言ふ作品を見たものは勿論ロダン一人ではない。古往今来無数の男女はかう言ふ作品を陳列したフロレンス博物館へ出入りしてゐる、が、誰もロダンのやうに大いなる美を認めなかつた。して見ればロダンの成長の一歩はこの美を鑑賞したことに懸つてゐる、――と言ふことに帰着しなければなりません。これは如何なる芸術家の上にも当然当嵌る真理であります。成程(なるほど)鑑賞出来る美は必しも創作出来ないでありませう。けれども亦(また)鑑賞出来ない美は到底創作出来ません。この故に古来の英霊漢は鑑賞上の訓練受けた上にも更に又訓練を重ねようとしました。それも文芸上の作品の鑑賞ばかりではない、屡(しばしば)美術とか音楽とかにも鑑賞上の訓練を加へた上、その機敏に捉へ得た所を文芸上の創作活用しました。殊にゲエテの一生はかう言ふ芸術的多慾それ自身であります。尤も鑑賞の程度が深くなる、或は鑑賞の範囲が広くなる結果創作上の利益も多いなどと言ふことは多言を用ひずとも好いのかも知れません。が、創作に志のある、――少くとも志のあると称する青年諸君勉強ぶりを見ると、原稿用紙と親密にする割にどうも本とは親密にしません。それではミケルアンヂェロの所謂未完成作品を見逃してしまふ所ではない、第一ロレンス博物館の前を素通りしてしまふのも同前であります。わたしは日頃からかう云ふ傾向を頗(すこぶ)る遺憾に思つてゐますから、冗漫の嫌ひはありますが、次手(ついで)を以て創作するのにも鑑賞上の訓練の重大である所以(ゆゑん)を弁じました。
 扨(さて)鑑賞上の訓練の必要であることは、――わたくしに都合の好いやうに解釈すれば、この鑑賞講座なるものの必要であることは上に述べましたが、今この鑑賞上の訓練を助ける為に多少の言葉を費すとすると、それはざつと下に挙げる三点になるかと思ひます。即ちその三点と言ふのは(一)どう言ふ風に鑑賞すれば好いか? (二)どう言ふものを鑑賞すれば好いか? (三)どう言ふ鑑賞上の議論を参考すれば好いか?――と言ふことになるのであります。或は鑑賞上の訓練を助ける言葉は必しも上の三点に尽きてゐないかも知れません。けれどもまづ上の三点は比較的重大の問題を尽してゐると言つても好いかと思ひます。そこで愈(いよいよ)どう云ふ風に鑑賞すれば好いか? と言ふ最初の問題にはいりますが、その前にちよつと注意して置きたいのは鑑賞の始まる境であります。盲人絵画の鑑賞に与(あづか)らなければ、聾者音楽の鑑賞には与りません。


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