新しい船出 女らしさの昨日、今日、明日 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )
新しい船出
――女らしさの昨日、今日、明日――
女らしさというものについて女自身はどう感じてどんなに扱っているのだろうか。これはなかなか微妙で面白いことだし、また女らしさというような表現が日常生活の感情の中に何か一つの範疇のようなものとしてあらわれはじめたのは、いつの時代頃からのことなのであろうか。そういう点にも興味がある。
万葉集を読んだ人は、誰でもあの詩歌の世界で、実にすなおに率直に男女の心持が流露されているのを知っているが、あのなかには沢山の可愛い女、美しい女、あでやかな女を恋い讚えた表現があるけれども、一つも女らしい女という規準で讚美されている女の例はない。これは本当に心持のよいことだと思う。あの時代、女と男との生活は原始ながら自然な条件を多くもっていたために、女は美しい女、醜い女、賢い女、愚かな女というようなおのずからな差別をうけながらも、女らしいという自然性については、何も特別な見かたはされていない。紫陽花(あじさい)が紫陽花らしいことに何の疑いもはさまれていず、紅梅が紅梅らしいのに特殊な観念化は附加されていない。それなりに評価されていて、紫陽花には珍しい色合いの花が咲けば、その現象を自然のままに見て、これはマア紫陽花に数少い色合であることよ、という風に鑑賞されている。牝鹿がある時どんなに優しく、ある時どんなに猛くてもやはりそれなり牝鹿らしいと見るままの心で女の女らしさが社会の感情の中に流動していたのであったと思われる。
近松になると、もう明瞭に女の女らしさ、男の心に対置されたものとしての女心の独特な波調が、その芸術のなかにとらえられて来ている。よきにつけあしきにつけ主動的であり、積極的である男心に添うて、娘としては親のために、嫁いでは良人のために、老いては子のために自分の悲喜を殺し、あきらめてゆかねばならない女心の悶えというものを、近松は色彩濃やかなさまざまのシチュエーションの中に描き出している。彼の芸術が日本の文芸史のなかにあれほど巨大な場所を占めているのを見れば、近松の情の世界が、日本の社会の歴史のなかではいかに長い世代にわたって一般の感情に共感をよびさますものであったかがうかがわれる。その封建時代の女心が男女にこぼさせた涙が今日でもまだ私たちの生活の中では完全に昔の物語となり切っていない有様である。
女らしさ、という表現が女の生活の規準とされるようにまでなって来た社会の歴史の過程で、女がどういう役割を得てきているかといえば、女らしさという観念を女に向ってつくったのは決して女ではなかった。社会の形成の変遷につれ次第に財産とともにそれを相続する家系を重んじはじめた男が、社会と家庭とを支配するものとしての立場から、その便宜と利害とから、女というものを見て、そこに求めるものを基本として女らしさの観念をまとめて来たのであった。それ故、女らしさ、という一つの社会的な意味をもった観念のかためられる道筋で女が演じなければならなかった役割は、社会的には女の実権の喪失の姿である。
女らしさは一番家庭生活と結びついたものとしていわれているかのようでありながら、そういう観念の発生の歴史をさかのぼって見れば、現代でいう家庭の形が父権とともに形成せられはじめたそもそもから、女ののびのびとした自然性の発露はある絆をうけて、決して万葉時代のような天真なものであり得なくなっているということは、まことに意味深いところであると思う。
源氏物語の時代にしろ、女らしさは紫式部が描き出しているとおりなかなか多難なものであった。仏教や儒教が、女らしさにますます忍苦の面を強要している。孟母三遷というような女の積極的な判断が行動へあらわれたような例よりも、女は三界に家なきもの、女は三従の教えにしたがうべきもの、それこそ女らしいこととされた。従って女としてのそういう苦痛な生涯のありようから人間的な成長、達観へ到達する道は諦めしかなく、諦めということもそれだから女らしさといわれる観念の定式の中には一つの大切な要素としてあげられて来ているのである。
戦国時代ある大名の夫人が、戦いに敗れてその城が落ちるとき、実父の救い出しの使者を拒んで二人の娘とともに自分の命をも絶って城と運命を共にした話は、つよく心にのこすものをもっていると思う。当時の男のこしらえた女らしさの掟にしたがって、その夫人は最初ある大名の許に嫁しずけられた。ところが、その時代の政略にしたがって実父はその娘の良人と不和に到ったら娘を強いてもとり戻して、さらに二度目の良人であるその城主に嫁しずけた。不幸にもまたここに実父の側との戦いがはじまって、良人の軍は敗れたので、夫人の実父は前例どおり、また夫人を救い出そうとしたのであった。これまでまことに女らしく父の命のままに行動した娘に、今回も父が期待していたことは、彼女の無事な脱出と身の平安とやがて輝くような美貌によって三度目の縁につくこと、そのことで父の利益を守ることであったろう。しかし、その麗しくまた賢い心の夫人の苦悩は、全く異った決心を彼女にさせた。最初の良人の許をも彼女は決して愛を失って去ったのではなかった。二度目の良人に縁あって妻となって、二人の美しい娘たちさえ設けた今、三度そこを去って行手に何が待っているかということは、彼女には十分推察のつくことであった。二人の娘の女としての行末もやはり自分のように他人の意志によってあちらへ動かされ、こちらへ動かされするはかないものであって見れば、後に生き永らえさせることも哀れと思うからというはっきりした遺書をのこして、娘たちをわが手にかけて自刃したのであった。当時の周囲から求められている女らしさとはまるでちがった悽愴な形で、その夫人の高貴で混りけない女の心の女らしさが発揮されなければならなかったのであった。女らしさの真実なあらわれが、過去においてもこのように喰いちがった表現をもつというところに、女らしさの含んでいる深刻な矛盾があるのではないだろうか。そして、形こそさまざまに変転していながら今日の私たちも、やはり一層こみ入った本質でその同じ女らしさの矛盾に苦しんでいるのではないだろうか。
ヨーロッパの社会でも、女らしさというものの観念はやはり日本と似たりよったりの社会の歴史のうちに発生していて、あちらでは仏教儒教の代りにキリスト教が相当に女の天真爛漫を傷つけた。原始キリスト教では、キリスト復活の第一の姿をマリアが見たとされて、愛の深さの基準で神への近さがいわれたのだが後年、暗黒時代の教会はやはり女を地獄と一緒に罪業の深いものとして、女に求める女らしさに生活の受動性が強調された。
十九世紀のヨーロッパでさえ、まだどんなに女の生活が女らしさで息づまるばかりにされていたかということは、ジョルジュ・サンドの「アンジアナ」を序文とともによんで感じることだし、ジェーン・オウスティンやブロンテ姉妹の生涯の実際を見ても感じられる。二十世紀の初頭、イギリスでヴィクトリア女皇の治世時代、いわゆるヴィクトーリアンの風俗が、女らしさの点でどんなに窮屈滑稽、そして女にとって悲しいものであったかということは、沢山の小説が描き出しているばかりでなく、今日ヴィクトーリアンという言葉そのものが、当時の女らしさの掟への憫笑(びんしょう)を意味していることで十分に理解されると思う。
女らしさは、女にとって随分不自然の重荷であった。真に人間らしい伴侶として婦人を求めている男にとっても苦痛を与えた。従って、その固定観念への闘争は十八世紀ぐらいから絶えず心ある男女によって行われてきているということは注目すべきことだと思う。それらの運動は単純に家長的な立場から見られている女らしさの定義に反対するというだけではなくて、本当の女の心情の発育、表現、向上の欲求をも伴い、その可能を社会生活の条件のうちに増して行こうとするものであった。社会形成の推移の過程にあらわれて来ているこの女にとって自然でない女らしさの観念がつみとられ消え去るためには、社会生活そのものが更に数歩の前進を遂げなければならないこと、そしてその中で女の生活の実質上の推進がもたらされなければならないということを、今日理解していない者はないのである。
女らしさ、などという表現は、雨について雨らしさ、というのが奇妙であるように、いわば奇妙なものだと思う。社会が進んで万葉集の時代の条件とは全く異りつつしかも自然な合理性の上に自由に女の生活が営まれるようになった場合、はたして女らしさというような社会感情の語彙(ヴォキャビュラリ)が存在しつづけるものだろうか。きっと、それは一つの古語になるだろうと思われる。昔は、女らしさというようなことで女が苦しんだのね。まアねえ、と、幾世紀か後の娘たちは、彼女たちの純真闊達な心に過ぎし昔への恐怖と同情とを感じて語るのではあるまいか。私たちはそういう歴史の展望をも空想ではない未来の絵姿として自分の一つの生涯の彼方によろこびをもって見ているのも事実である。
未来の絵姿はそのように透明生気充満したものであるとしても、現在私たちの日常は実に女らしさの魑魅魍魎(ちみもうりょう)にとりまかれていると思う。女にとって一番の困難は、いつとはなし女自身が、その女らしさという観念を何か自分の本態、あるいは本心に附随したもののように思いこんでいる点ではなかろうか。
万葉集を読んだ人は、誰でもあの詩歌の世界で、実にすなおに率直に男女の心持が流露されているのを知っているが、あのなかには沢山の可愛い女、美しい女、あでやかな女を恋い讚えた表現があるけれども、一つも女らしい女という規準で讚美されている女の例はない。これは本当に心持のよいことだと思う。あの時代、女と男との生活は原始ながら自然な条件を多くもっていたために、女は美しい女、醜い女、賢い女、愚かな女というようなおのずからな差別をうけながらも、女らしいという自然性については、何も特別な見かたはされていない。紫陽花(あじさい)が紫陽花らしいことに何の疑いもはさまれていず、紅梅が紅梅らしいのに特殊な観念化は附加されていない。それなりに評価されていて、紫陽花には珍しい色合いの花が咲けば、その現象を自然のままに見て、これはマア紫陽花に数少い色合であることよ、という風に鑑賞されている。牝鹿がある時どんなに優しく、ある時どんなに猛くてもやはりそれなり牝鹿らしいと見るままの心で女の女らしさが社会の感情の中に流動していたのであったと思われる。
近松になると、もう明瞭に女の女らしさ、男の心に対置されたものとしての女心の独特な波調が、その芸術のなかにとらえられて来ている。よきにつけあしきにつけ主動的であり、積極的である男心に添うて、娘としては親のために、嫁いでは良人のために、老いては子のために自分の悲喜を殺し、あきらめてゆかねばならない女心の悶えというものを、近松は色彩濃やかなさまざまのシチュエーションの中に描き出している。彼の芸術が日本の文芸史のなかにあれほど巨大な場所を占めているのを見れば、近松の情の世界が、日本の社会の歴史のなかではいかに長い世代にわたって一般の感情に共感をよびさますものであったかがうかがわれる。その封建時代の女心が男女にこぼさせた涙が今日でもまだ私たちの生活の中では完全に昔の物語となり切っていない有様である。
女らしさ、という表現が女の生活の規準とされるようにまでなって来た社会の歴史の過程で、女がどういう役割を得てきているかといえば、女らしさという観念を女に向ってつくったのは決して女ではなかった。社会の形成の変遷につれ次第に財産とともにそれを相続する家系を重んじはじめた男が、社会と家庭とを支配するものとしての立場から、その便宜と利害とから、女というものを見て、そこに求めるものを基本として女らしさの観念をまとめて来たのであった。それ故、女らしさ、という一つの社会的な意味をもった観念のかためられる道筋で女が演じなければならなかった役割は、社会的には女の実権の喪失の姿である。
女らしさは一番家庭生活と結びついたものとしていわれているかのようでありながら、そういう観念の発生の歴史をさかのぼって見れば、現代でいう家庭の形が父権とともに形成せられはじめたそもそもから、女ののびのびとした自然性の発露はある絆をうけて、決して万葉時代のような天真なものであり得なくなっているということは、まことに意味深いところであると思う。
源氏物語の時代にしろ、女らしさは紫式部が描き出しているとおりなかなか多難なものであった。仏教や儒教が、女らしさにますます忍苦の面を強要している。孟母三遷というような女の積極的な判断が行動へあらわれたような例よりも、女は三界に家なきもの、女は三従の教えにしたがうべきもの、それこそ女らしいこととされた。従って女としてのそういう苦痛な生涯のありようから人間的な成長、達観へ到達する道は諦めしかなく、諦めということもそれだから女らしさといわれる観念の定式の中には一つの大切な要素としてあげられて来ているのである。
戦国時代ある大名の夫人が、戦いに敗れてその城が落ちるとき、実父の救い出しの使者を拒んで二人の娘とともに自分の命をも絶って城と運命を共にした話は、つよく心にのこすものをもっていると思う。当時の男のこしらえた女らしさの掟にしたがって、その夫人は最初ある大名の許に嫁しずけられた。ところが、その時代の政略にしたがって実父はその娘の良人と不和に到ったら娘を強いてもとり戻して、さらに二度目の良人であるその城主に嫁しずけた。不幸にもまたここに実父の側との戦いがはじまって、良人の軍は敗れたので、夫人の実父は前例どおり、また夫人を救い出そうとしたのであった。これまでまことに女らしく父の命のままに行動した娘に、今回も父が期待していたことは、彼女の無事な脱出と身の平安とやがて輝くような美貌によって三度目の縁につくこと、そのことで父の利益を守ることであったろう。しかし、その麗しくまた賢い心の夫人の苦悩は、全く異った決心を彼女にさせた。最初の良人の許をも彼女は決して愛を失って去ったのではなかった。二度目の良人に縁あって妻となって、二人の美しい娘たちさえ設けた今、三度そこを去って行手に何が待っているかということは、彼女には十分推察のつくことであった。二人の娘の女としての行末もやはり自分のように他人の意志によってあちらへ動かされ、こちらへ動かされするはかないものであって見れば、後に生き永らえさせることも哀れと思うからというはっきりした遺書をのこして、娘たちをわが手にかけて自刃したのであった。当時の周囲から求められている女らしさとはまるでちがった悽愴な形で、その夫人の高貴で混りけない女の心の女らしさが発揮されなければならなかったのであった。女らしさの真実なあらわれが、過去においてもこのように喰いちがった表現をもつというところに、女らしさの含んでいる深刻な矛盾があるのではないだろうか。そして、形こそさまざまに変転していながら今日の私たちも、やはり一層こみ入った本質でその同じ女らしさの矛盾に苦しんでいるのではないだろうか。
ヨーロッパの社会でも、女らしさというものの観念はやはり日本と似たりよったりの社会の歴史のうちに発生していて、あちらでは仏教儒教の代りにキリスト教が相当に女の天真爛漫を傷つけた。原始キリスト教では、キリスト復活の第一の姿をマリアが見たとされて、愛の深さの基準で神への近さがいわれたのだが後年、暗黒時代の教会はやはり女を地獄と一緒に罪業の深いものとして、女に求める女らしさに生活の受動性が強調された。
十九世紀のヨーロッパでさえ、まだどんなに女の生活が女らしさで息づまるばかりにされていたかということは、ジョルジュ・サンドの「アンジアナ」を序文とともによんで感じることだし、ジェーン・オウスティンやブロンテ姉妹の生涯の実際を見ても感じられる。二十世紀の初頭、イギリスでヴィクトリア女皇の治世時代、いわゆるヴィクトーリアンの風俗が、女らしさの点でどんなに窮屈滑稽、そして女にとって悲しいものであったかということは、沢山の小説が描き出しているばかりでなく、今日ヴィクトーリアンという言葉そのものが、当時の女らしさの掟への憫笑(びんしょう)を意味していることで十分に理解されると思う。
女らしさは、女にとって随分不自然の重荷であった。真に人間らしい伴侶として婦人を求めている男にとっても苦痛を与えた。従って、その固定観念への闘争は十八世紀ぐらいから絶えず心ある男女によって行われてきているということは注目すべきことだと思う。それらの運動は単純に家長的な立場から見られている女らしさの定義に反対するというだけではなくて、本当の女の心情の発育、表現、向上の欲求をも伴い、その可能を社会生活の条件のうちに増して行こうとするものであった。社会形成の推移の過程にあらわれて来ているこの女にとって自然でない女らしさの観念がつみとられ消え去るためには、社会生活そのものが更に数歩の前進を遂げなければならないこと、そしてその中で女の生活の実質上の推進がもたらされなければならないということを、今日理解していない者はないのである。
女らしさ、などという表現は、雨について雨らしさ、というのが奇妙であるように、いわば奇妙なものだと思う。社会が進んで万葉集の時代の条件とは全く異りつつしかも自然な合理性の上に自由に女の生活が営まれるようになった場合、はたして女らしさというような社会感情の語彙(ヴォキャビュラリ)が存在しつづけるものだろうか。きっと、それは一つの古語になるだろうと思われる。昔は、女らしさというようなことで女が苦しんだのね。まアねえ、と、幾世紀か後の娘たちは、彼女たちの純真闊達な心に過ぎし昔への恐怖と同情とを感じて語るのではあるまいか。私たちはそういう歴史の展望をも空想ではない未来の絵姿として自分の一つの生涯の彼方によろこびをもって見ているのも事実である。
未来の絵姿はそのように透明生気充満したものであるとしても、現在私たちの日常は実に女らしさの魑魅魍魎(ちみもうりょう)にとりまかれていると思う。女にとって一番の困難は、いつとはなし女自身が、その女らしさという観念を何か自分の本態、あるいは本心に附随したもののように思いこんでいる点ではなかろうか。
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