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日本の河童 火野葦平のことなど - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

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日本河童 ――火野葦平のことなど――  生活感情は実にまざまざと複雑になって来ている。作家がそういう今日感情を生きているのだし、文学読む人々の心にもその波動は在る。
 作家とあれば、こういう時代だからこそ益々いい作品を書いて行くばかりだと、一層覚悟の臍(ほぞ)をかためるわけだと思うが、いい作品自分に向って考えるとき、それはどのような作品として浮んで来るのだろう。
 この答えは、作家一人一人によって様々であろうと思われる。その様々であるという現実が却って逆に反射して、ごく大掴みに国民文学というような表現が現われたり、その国民文学ロマンティックなものであるだろうというようなつきつめてみれば主観的な表現があったりするのでもあると思う。
 私たちの足跡は、ほかならぬ私たちの足の下からしか現れないという意味で、一人一人作家必然の道がよきにつけあしきにつけ、その作家文学現実決定してゆくし、日本今日文学性格の一要因としてかかわりあってゆくわけである。
 一人一人作家がそれぞれにちがうという必然は、だが他面に何か通有な一つ二つの文学としての希望、願望、更につよくは意欲という風なものを持ってはいないだろうか。
 どんな時代にも、作家現実にたえるものとして自分作品を生もうとして来たと思う。歴史現実は、その荒っぽい摩擦を経て、現実にたえた作品を、古典として私たちに伝えているのである。
 今日歴史の波濤の間で私たちの自身の文学について新しい愛と勇気とを覚えるとすれば、それはきのうも思っていたように漠然といい作品を書こうと思うばかりでなくて、一層現実にひろくたえる作品を創ろうと願う何かの新鮮な心の目ざめが経験されるからであろう。
 日本文学の命は、真面目作家たちの努力によって、益々現実に広くたえるものとして生まれて行かなければならないのだろうと思う。
 これは、現代社会生活文学とにあって一つの痛切で美しい願いだが、そこにある困難は非常に大きい。
 その作品世界の中に、人々の生々しい現実を広く複雑に負うているという意味で、しかも個々の現象模写されているというのではなくて、それらの現象を通じて生きる人の姿が動いているという意味で、今日現実に堪える作品がつくられてゆくことは容易な業でない。だからこそ、野暮にしちくどく希望されていいことなのだろうと思う。
 一人作家動きとして火野葦平氏をみる。するとそこには「糞尿譚」の作者があり、つづいて麦と土と花と兵隊作者があり、やがて河童の「魚眼記」が現れている。この過程に何が語られているだろう。「土と兵隊」の作者に「魚眼記」の現れたのは誰そのひとだけにかかわった現実であって、私たちには他人のことだと云えるのだろうか。
 日本近代文学河童登場することについては考えるべき何事かがある。周知のとおり、芥川龍之介は死の数ヵ月前、昭和二年の二月小説河童」を書いた。漁師のパック、詩人トック、音楽家クラバックなどの活躍する芥川河童の国には、生活判断とが溌溂と盛られていて、作者社会批評人生芸術への気持が、積極な熱をもって流れている。
 それにもかかわらず、河童の国へ墜ちなければ、クラバックの直情をも描けなかったところに、作家芥川としての悲しい河童性があった。河童とは詰まるところ日本の前時代的な物の怪なのである。
 火野葦平河童は、一九四〇年の日本に現れて、「土と兵隊」「石炭の黒きは」の後に現れて、何と自足した自身の伝説の原形をさらしていることだろう。実際上は歴史的な経験を生きた筈の一個の作家が、今日河童を語り、文学上に変化変化たる所以の諷刺の通力さえ失ったまま、唯濃い墨の色と灰色との画面色彩をたのしんで描き眺めるというようなことの裡には、文学として何かの不健全がある。
 河童幻想の生棲物だからというのではなく、それを扱う作者火野の態度本質は、芥川よりも文学のこととして不健全な低下を示していると云えるのである。
 これは、作家個人としての問題でもあり同時に今日という時代傾斜問題でもある。人々の現実にたえる作品を生み出して行こうという作家希望が偽りでないならば工夫をこらしその斜面ピッケルをうちこんで、着実に抵抗して、進んで通過しなければならない角度なのだと思う。何によってその雪崩れでそぎとられた斜面ピッケルをうちこむべき地点判断してゆくかと云えば、先ずその岩の性質の鑑識に立つということを答えない登攀者はないだろうと思えるのである。
〔一九四一年一月



底本:「宮本百合子全集 第十二巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年4月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「日本学新聞
   1941(昭和16)年1月10日号
入力柴田卓治
校正松永正敏
2003年2月13日作成
青空文庫作成ファイル
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